ダビド・デ・ヘア

SOCCERPEDIA / 選手ページ / スペインのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

スペインダビド・デ・ヘア(David de Gea、1990年11月7日生)は、スペイン・マドリード出身のサッカー選手。ポジションはGK(ゴールキーパー)、2024年からフィオレンティーナ(セリエA)に所属、背番号は43。スペインでは2014年から通算45試合0得点を記録している。クラブでは公式戦通算760試合0得点(2008-09 シーズン以降)。クラブ・代表で通算19個のタイトルを獲得、個人賞は29回(PFA チーム・オブ・ザ・イヤー 5回、サー・マット・バスビー賞 4回)。

ダビド・デ・ヘア・キンターナ(、1990年11月7日 - )は、スペイン・マドリード出身のサッカー選手。セリエA・ACFフィオレンティーナ所属。ポジションはゴールキーパー。元スペイン代表。

クラブ経歴

アトレティコ・マドリード

10歳の時にアトレティコ・マドリードの下部組織に入団し、各カテゴリーを昇格していった。2007年にセグンダ・ディビシオンB(3部)のアトレティコ・マドリードBに昇格してプロ契約を交わした。2009年夏、トップチームの正GKであるセルヒオ・アセンホがFIFA U-20ワールドカップに参加するためにクラブを離脱。代役を務めるロベルト・ヒメネスの控えとしてトップチームに招集された。9月30日、UEFAチャンピオンズリーグのFCポルト戦(0-2)に先発出場したロベルトが26分に肉離れを起こして負傷退場したため、急遽交代出場してトップチームデビューを果たした。この試合では2点を許して敗れたが、10月3日のレアル・サラゴサ戦でプリメーラ・ディビシオン(1部)デビュー。19分にPKで失点したものの、その後はマルコ・バビッチのシュートを防いで名誉挽回し、チームは2点を挙げて逆転勝利した。その後、ワールドカップから戻った正GKのアセンホは幾度も致命的なミスを犯し、キケ・サンチェス・フローレス監督によってレギュラーに据えられた。

2009-10シーズンにはアスレティック・ビルバオ戦とバレンシアCF戦の2試合でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。UEFAヨーロッパリーグでは8試合に出場し、決勝のフラムFC戦では失点を1点に抑えて優勝した。2010年8月27日のUEFAスーパーカップ・インテル戦ではディエゴ・ミリートのPKを止めるなどして完封し2-0で勝利してタイトルを獲得した。2010-11シーズンも絶対的な守護神としてリーグ戦全試合にフル出場した。

マンチェスター・ユナイテッドへの移籍が決まると、アトレティコのファンに向けてアトレティコの公式ホームページで、「カルデロンで名前が呼ばれることが夢だった子供の僕を、ファンの皆が誇りに思えるような活躍を見せる。」「どんなエンブレムを身につけても、僕の心はその感情とともにある。そして、いつの日か僕のホームに必ず帰る。」とメッセージを送った。

マンチェスター・ユナイテッド

2011年6月27日にプレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドFCのメディカルチェックを受け、6月29日に5年契約を交わした。7月23日、シカゴ・ファイアーとのプレシーズンマッチ(3-1)でマンUでの初出場を飾った。8月7日、FAコミュニティ・シールドのマンチェスター・シティFC戦(3-2)で公式戦デビューした。前半に2点を失ったが、後半に3点を奪って逆転勝利した。コミュニティ・シールドの1週間後、開幕のウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC戦でプレミアリーグデビューし、シェーン・ロングのなんでもないシュートを後逸して失点したが、チームは2-1で勝利した。WBA戦の翌節のトッテナム・ホットスパーFC戦(3-0)でオールド・トラッフォードデビューし、何度かの決定機を防いで移籍後初のクリーンシートを達成した。トッテナム戦の6日後のアーセナル戦ではロビン・ファン・ペルシのPKを防いだ。その後も何度かファン・ペルシーとアンドレイ・アルシャビンのシュートをセーブし、強豪相手の8-2という大勝につなげた。9月18日のチェルシーFC戦では印象的なセーブを何度も見せ、特にラミレスが空のゴールにシュートした場面では体全体を投げ出してゴールを阻止した。続くストーク・シティFC戦(1-1)でも2度の美しいセーブを見せ、急速なパフォーマンス改善を印象付けた。9月27日、UEFAチャンピオンズリーグのFCバーゼル戦(3-3)では、同大会において自身初の先発出場を果たした。10月23日に行われたマンチェスター・シティとのマンチェスター・ダービーでは、1955年以降のホームゲームで6失点を喫した。その後はアンデルス・リンデゴーアとの併用となったが最終的には29試合に出場した。

2015年8月31日、かねてから移籍が噂されていたレアル・マドリードへの移籍合意が報道されたが、移籍や選手登録に必要な書類を移籍期限内に提出することが出来ずに破談となった。この件については両クラブが互いの不手際を指摘し、非難し合う事態となった。シーズン中の対応に注目が集まったが9月11日、マンチェスター・ユナイテッドとの4年間の契約延長に合意した。2013-14シーズンから2015-16シーズンまで、3季連続でチーム内のシーズンMVPに選ばれた。

2017年4月、今シーズンのパフォーマンスが認められ、プレミアリーグ年間ベストイレブンに選ばれた。翌2018年4月にも、自身5度目となるベストイレブンにマンチェスター・ユナイテッドで唯一選ばれた。

2019年2月24日、リヴァプールFC戦でプレミアリーグ通算100試合目となるクリーンシートを達成。同リーグ史上7人目、マンチェスター・ユナイテッドにおいてはピーター・シュマイケルに次ぎ2人目の達成となる。2020年2月1日プレミアリーグ第25節ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ戦でマンチェスター・ユナイテッドの選手としては史上8人目のプレミアリーグ300試合出場を達成した。

2020-21シーズンのヨーロッパリーグ決勝、ヴィジャレアル戦では延長PK戦で11人目のキッカーを務めたがこれを外し、チームはタイトルを逃した、またこのPK戦でも相手のキックを1本も止めることが出来ず、これで40回連続でPKストップ無しとなった。同年はシェフィールド・ユナイテッドから復帰したイングランド代表ディーン・ヘンダーソンが一時レギュラーに定着したこともあり、自身の出場は26試合に留まった。

2022-23シーズンからは開幕戦からスタメンに定着。2月のレスター・シティ戦では好守もあり、レスターを無得点に抑えた。これにより通算180回目のクリーンシートを記録したこととなり、シュマイケルの記録に並んだ。3月5日に行われたリヴァプール戦にてデ・ヘアは先発。しかし終始相手にペースを握られ0-7で敗戦、ユナイテッドは約92年ぶりに7点差での敗北を記録した。

マンチェスター・ユナイテッドとの契約が2022-23シーズンで満了となるため、シーズン中より契約延長の話し合いが進められていたが、7月8日に12年間所属した同クラブを退団することを表明した。

フィオレンティーナ

マンチェスター・ユナイテッド退団後、1年間無所属が続いたが、2024年8月9日にACFフィオレンティーナに加入した。加入当初の活躍が評価され2025年5月にフィオレンティーナとの契約を2028年6月まで大幅延長した。またチームを牽引するリーダーシップが認められ、当時のキャプテンだったDFルカ・ラニエリからアームバンドを引き継ぐ形で正式に新キャプテンに指名された。就任直後の12月24日に行われたウディネーゼ戦ではキャプテンとしてチームを5-1の勝利に導いた。

代表経歴

世代別代表

2007年にはU-17スペイン代表としてUEFA U-17欧州選手権2007に出場して優勝し、同年のFIFA U-17ワールドカップでは準優勝した。2011年にはU-21スペイン代表としてUEFA U-21欧州選手権に出場して優勝した。

A代表

2010年5月10日、ビセンテ・デル・ボスケ監督によって2010 FIFAワールドカップのスペイン代表候補30人に選出され、スペインA代表初招集となったが、本大会に出場する23人からは外れた。

2014年6月7日に行われたエルサルバドルとの親善試合でA代表初出場を果たした。

これまで正ゴールキーパーであったイケル・カシージャスが代表に選ばれなくなると、デ・ヘアは代表の正ゴールキーパーとなった。

2018年のロシアW杯一次リーグ初戦ポルトガル戦ではクリスティアーノ・ロナウドのシュートをハンブルしゴールを許した。この後も低調なパフォーマンスに終始し、英Whoscored.comなどではワースト11にゴールキーパーとして選出されることとなった。

2021年5月21日、UEFA EURO 2020を戦うスペイン代表24人に選出された。しかし若手で新守護神のウナイ・シモンが全試合に先発したため、自身の出場は0で大会を終えた。

2022年に開催されたカタールW杯ではシモンやロベルト・サンチェスらの台頭によりスペイン代表の登録メンバー26名から外れた。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1リーグカップ2大陸大会3その他4シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
スペインアトレティコ・マドリードB2008-0917セグンダ・ディビシオンB350————————350
スペインアトレティコ・マドリード2009-1018ラ・リーガ19070——90——350
2010-1119ラ・リーガ38050——5010490
通算570120——14010840
イギリスマンチェスター・ユナイテッド2011-1220プレミアリーグ29010008010390
2012-1321プレミアリーグ280501070——410
2013-1422プレミアリーグ370004010010520
2014-1523プレミアリーグ3705010————430
2015-1624プレミアリーグ340601080——490
2016-1725プレミアリーグ35010503010450
2017-1826プレミアリーグ37020006010460
2018-1927プレミアリーグ380000090——470
2019-2028プレミアリーグ380102020——430
2020-2129プレミアリーグ2600000100——360
2021-2230プレミアリーグ380100070——460
2022-2331プレミアリーグ3806020120——580
通算4150280160820405450
イタリアフィオレンティーナ2024-2533セリエA35000——70——420
2025-2634セリエA37000——90——460
2026-2735セリエA6020——————80
通算78020——160——960
キャリア通算58504201601120507600

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 3. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 4. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

スペイン としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
20142330
20152440
201625110
20172670
201827130
20192830
20202940
通算450

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
2001〜200810スペインアトレティコ・マドリード

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム出場得点
2008〜200917スペインアトレティコ・マドリードB——
2009〜201118スペインアトレティコ・マドリード380
2011〜202320イングランドマンチェスター・ユナイテッド4150
2024〜33イタリアフィオレンティーナ38—

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は国内リーグ戦の合計で、カップ戦・大陸大会を含む内訳は「個人成績」の表にあります。

代表

期間年齢チーム
200413スペイン U-15
200716スペインスペイン U-17
2007〜200916スペインスペイン U-19
200918スペインスペイン U-20
2009〜201318スペインスペイン U-21
2012〜201321スペインスペイン U-23
201221スペインスペイン・オリンピック
2014〜202123スペインスペイン

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
2011-0720スペインアトレティコ・マドリードイギリスマンチェスター・ユナイテッド完全移籍35.5億円
€ 20M
202433イギリスマンチェスター・ユナイテッドイタリアフィオレンティーナフリー移籍—

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)・API-Football(移籍データ)。移籍の有無と移籍先は日本語版 Wikipedia の情報欄、日付・形態・移籍金は API-Football の掲載値。億円換算は ECB レート(2026-10-21 時点)
英語版 Wikipedia(クラブのシーズン記事)。移籍金・形態は英語版 Wikipedia の各クラブのシーズン記事の移籍の表による。億円換算は ECB レート(2026-10-21 時点)

人物相関

所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。

共にプレーした選手

同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。

指導を受けた監督

本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。

監督クラブ・代表在任
ビセンテ・デル・ボスケスペインスペイン代表2008年7月〜2016年7月
キケ・サンチェス・フローレススペインアトレティコ・M2009年10月〜2011年5月
デイヴィッド・モイーズイングランドマンチェスター・U2013年6月〜2014年4月
ルイ・ファン・ハールイングランドマンチェスター・U2014年7月〜2016年5月
ジョゼ・モウリーニョイングランドマンチェスター・U2016年5月〜2018年12月
エリック・テン・ハフイングランドマンチェスター・U2022年6月〜2024年10月
ルイス・デ・ラ・フエンテスペインスペイン代表2023年1月〜
ラッファエレ・パッラディーノイタリアフィオレンティーナ2024年6月〜
パオロ・ヴァノーリイタリアフィオレンティーナ2025年7月〜

日本語名を確認できない監督 8 人は掲載していません。

タイトル

クラブ

アトレティコ・M

マンチェスター・ユナイテッド

代表

スペイン代表

個人

英語の記録名しか確認できないもの(15件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(金2・銀1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

UEFA U-21欧州選手権金 2011 デンマーク金 2013 イスラエル
FIFA U-17ワールドカップ銀 2007 韓国

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

英語の記録名しか確認できないもの(1件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ダビド・デ・ヘア」(版 110592223)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. API-Football(移籍データ)、2026年10月22日 取得 https://www.api-football.com/
  2. API-Football(選手・監督データ)、2026年10月25日 取得 https://www.api-football.com/
  3. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  4. Wikipedia(日本語版)「ダビド・デ・ヘア」、版 ID 110592223、2026年10月13日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%98%E3%82%A2
  5. Wikipedia(英語版)、版 ID 1379714649、2026年10月13日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/David_de_Gea

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