「マジでレベル低い」
「後で意見書を出して『あれはファウルでした、ハンドでした』って言われてももう遅いんでね。絶対ダメ。」
「マジでJ2のレフェリーのレベルを上げないと壊れます」
出典:FOOTBALL ZONE 2026年10月24日
SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / 日本のサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日
槙野智章(Tomoaki Makino、1987年5月11日生)は、日本出身の元サッカー選手。ポジションはDF(ディフェンダー)、所属は藤枝MYFC、背番号は14。日本では2010年から通算38試合4得点を記録している。クラブでは公式戦通算611試合67得点(2006 シーズン以降)。クラブ・代表で通算11個のタイトルを獲得、個人賞は4回(Jリーグ ベストイレブン 3回)。
槙野 智章(まきの ともあき、1987年〈昭和62年〉5月11日 - )は、広島県広島市西区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者・解説者、タレント、YouTuber。現役時代のポジションはディフェンダー、フォワード。元日本代表。
サッカーファンでサッカーをプレーした父と、すでにサッカーを始めていた2人の兄の影響で、小学1年生からサッカーを始めた。草津小学校のサッカー少年団員は4年生以上であるため、隣町井口の井口明神小学校のサッカークラブに入団し、小学6年次にFWとしてフジパンカップ広島県大会で3位入賞した。
2000年にサンフレッチェ広島ジュニアユースに入団。同期には森重真人、左山晋平などがいる。当初はFWのポジションでプレーし、森重や平繁龍一と2トップを組んでいたが、トップ下、サイド、ボランチなど様々なポジションを経て、中学3年次にコーチの月岡利明によりセンターバックにコンバートされた。
2003年にユースチームに昇格。ユース時代からの同期には、木原正和、福本尚純らがいる。2年次からセンターバックとしてレギュラーを獲得し、ユースレベルでの3大大会の全てで決勝に進出し2冠達成に貢献した。一学年上の藤井大輔と組んだセンターバックは森山佳郎監督から「同世代には絶対に破れない」と賞賛された。3年次には広島ユースおよびおかやま国体における広島県選抜の主将を務めた。各年代別代表にも招集されここでも主将を務め中心選手として活躍した。
2007年8月にダリオ・ダバツおよび盛田剛平が負傷したため先発メンバーに抜擢された。以降は、レギュラーとして定着した。J2降格が決まった際、元日本代表FW佐藤寿人と広島残留を表明する。
流動的に動いた2008年は、元日本代表SB駒野友一の移籍で空いた背番号5をつけて、出場停止1試合を除く全試合に出場する。その結果、悲願のJ1復帰に貢献した。
2009年は初めてJ1で1年間レギュラーとして出場し続け、センターバックではリーグ最多の8得点を挙げた。
2010年はリーグ全34試合に出場、うち33試合ではフル出場し、初のJリーグベストイレブンに選出。全試合に出場しながら警告、退場が1つもなく、フェアプレー個人賞を受賞した。
2010年12月、ドイツへ渡った。欧州挑戦を目指し、ボルシア・ドルトムントとTSG 1899ホッフェンハイムの練習に参加した。しかし、独誌キッカーの回答としては「1対1の弱さがあり、右サイドバック向きとして獲得は現実的ではない」と評された。欧州レベルでは、センターバックとしては評価されなかった。結局、正式契約には至らず、槙野は日本へ帰国する。しかし同年12月30日、当時ケルンのスポーツディレクターを務めていたフォルカー・フィンケの誘いでドイツ・ブンデスリーガの1.FCケルンへ完全移籍。契約期間は2013年6月30日まで。元代理人は長谷部誠、香川真司らと同じトーマス・クロート。
2011年1月29日、FCザンクトパウリ戦でブンデスリーガデビュー。チームは敗れたが、センターバックとしてフル出場。その後は出場機会に恵まれず、移籍1年目の出場は5試合にとどまった。翌2011-12シーズンも3試合の出場のみとなり、レギオナルリーガのケルンIIの試合にも出場した。槙野を起用しなかった結果、ケルンは成績が低迷。BL2へと降格することとなった。
2012年1月11日、復活を目指して、ミハイロ・ペトロヴィッチが監督に就任した浦和レッズへの1年間の期限付き移籍が決定した。浦和加入後、ペトロヴィッチ監督の愛弟子としてチームを牽引。6得点を記録し、チームの2008年以来のACL出場に貢献。自らが音頭を取り、浦和サポーターが勝利の凱歌として歌う『We are Diamonds』をホーム開催試合に限り、メンバー入り選手全員もサポーターと共に歌うなど、持ち前の明るいキャラクターでチームとサポーターの距離を縮める施策を実行した。12月4日、2013年シーズンより浦和への完全移籍加入が発表された。背番号を5番に変更し、この年はリーグ戦34試合全試合に出場した。
2015年9月8日、サウジアラビア1部の強豪・アル・ナスルFCから約5億円の年俸での獲得オファーを受けたが、断り浦和に残留した。
2016年は29試合3ゴールでチームの年間勝ち点1位に貢献した。12月3日の鹿島アントラーズとのチャンピオンシップ第2戦の後半34分、自陣ペナルティーエリア内で鈴木優磨に対してファウルを犯し、その後ペナルティーキックを決められた。12月4日、中国サッカー・スーパーリーグの強豪・広州恒大から年俸は言い値という破格のオファーを受けたが、浦和の一員としてリーグやACLで悲願のタイトルを目指すため断った。
2017年3月19日、J1第4節のガンバ大阪戦でJ1通算250試合出場を果たした。
2018年8月19日、J1第23節の清水エスパルス戦で史上100人目となるJ1通算300試合出場を果たした。この年、2010年以来2度目の警告・退場0を記録した。
2020年10月10日、J1第21節のサガン鳥栖戦でJリーグ通算400試合出場(J1通算359試合、J2通算41試合)を果たした。シーズン終了後、国内外の複数クラブが槙野の獲得に動いたが、浦和の延長オファーに合意した。
2021年11月16日、シーズン終了後に浦和レッズを退団することをクラブが発表した。12月19日に国立競技場で開催された大分トリニータとの天皇杯決勝では後半ATに劇的な決勝ゴールを決め浦和を8度目の優勝に導き、来季のACL出場獲得へ貢献した。
2022年2月19日、開幕戦でスタメン出場し、J1通算400試合出場を果たした。2月22日、古巣との対決となったJ1第9節・浦和レッズ戦で、後半42分にMFアンドレス・イニエスタのクロスをヘディングであわせて移籍後初得点を挙げた。5月14日のJ1第13節・サガン鳥栖戦にフル出場し勝利に貢献したが、その試合で負傷し長期離脱を余儀なくされた。復帰後は試合終盤のクローザー的役割を担った。
2022年12月24日に放送されたスポーツ情報番組『Going!Sports&News』(日本テレビ)の冒頭で現役引退を発表した。番組内では日本代表で同僚だった本田圭佑からメッセージが送られた。同時刻、ヴィッセル神戸公式サイトからも現役引退が発表された。 「現役引退および槙野劇場第二章 開幕宣言会見」が12月26日12時10分から行われ、未来へのビジョンをプレゼンした。
2023年5月7日、ヴィッセル神戸のエバンジェリストに就任することが発表された。ホームゲームのゲスト出演やYouTubeチャンネルでの企画などへの出演を通して、ヴィッセル神戸の魅力を発信していく役割を担う。
2024年12月14日、引退試合「槙野智章 大感謝祭 ~1日限りのワッショイ劇場~」をノエビアスタジアム神戸で開催。KOBE STARSにもメンバー登録されていたが終始MAKINO JAPANでプレーし、PKで1得点を記録。前後半30分ハーフの試合をほぼフル出場で迎えた後半アディショナルタイム、退場処分を受け(後述)選手に花道を作られピッチを退き試合を終えた。
2006年11月に開催されたAFCユース選手権2006および翌2007年7月に開催された2007 FIFA U-20ワールドカップでは福元洋平とセンターバックでコンビを組み、守備の要やムードメーカーとしても活躍した。カナダで開催されたU-20ワールドカップ本大会では髪を赤に染めていたが、これは当時広島でチームメイトだった戸田和幸のFIFAワールドカップ・日韓大会でのヘアースタイルを真似たものである。現地では「ジャパニーズ・ベッカム」と評され注目を集めた。2009年にA代表に初招集されたときにも同様の髪型にしている。2009年5月にはキリンカップおよび2010 FIFAワールドカップ・アジア予選に臨む日本代表合宿に初招集されたものの出場はなかった。2010年1月、既に予選突破を決め、若手が起用されたアジアカップ最終予選のイエメン戦で代表初出場を果たし、ゲームキャプテンも務めた。5月に発表されたFIFAワールドカップ・南アフリカ大会本大会の日本代表メンバーからは落選したが、予備登録選手に選出された。同年末にはAFCアジアカップ2011に臨む日本代表に選出されたものの、怪我により大会直前に途中離脱した。2012年2月24日のキリンチャレンジカップ・アイスランド戦で代表初得点を挙げた。
2017年11月10日、国際親善試合ブラジル戦で得点を決めた。なお、日本代表がブラジル代表相手に得点したのは、2006年ドイツW杯で決めた玉田圭司から11年ぶりであり、DFで得点した初めての選手となった。
2018年6月、ロシアワールドカップメンバーに選出された。2017年後半以降、欧州遠征で全試合にレギュラーとして出場するなどW杯でもスタメンとして出場すると思われたが、第1戦のコロンビア戦では事前合宿のテストマッチ最後の試合で活躍した昌子源にレギュラーの座を奪われ、ロシアW杯本番でスタメン落ちとなる。しかしながら、ベテランとして本田圭佑と共に控え選手として裏側で日本代表チームを支え、第3戦のポーランド戦でW杯初出場を果たした。前評判の低かった日本代表チームはGL突破し、ベスト16進出を2大会振りに果たした。
現役引退後の2023年、品川CCのテクニカルアドバイザーに就任し、あわせて品川CCセカンドの監督として指揮を執った。2023年11月、2024シーズンから品川CCトップチームの監督に就任することが発表された。
2025年12月8日にJFA Proライセンスを取得したのち、明治安田J2・J3百年構想リーグおよび2026/27シーズンJ2リーグに向け、藤枝MYFCの監督に就任したことが発表された。
森山佳郎曰く「一言で言うとファイター」、ミハイロ・ペトロヴィッチ曰く「DFらしいDF」。コーチングに優れ、高い身体能力と闘争心を持ち、1対1の局面での強さに定評がある。
得点への意欲が非常に高いことも特長。広島では3バックの一角を務めていたが、試合中もセットプレーのみならず、流れの中で自由に前線へ上がり、強引なドリブル突破からシュートを放つシーンもしばしば見られ、自らのポジションを「DFW(DFながらFWの役割も果たす)」と称する。フリーキック、ペナルティキックなどのプレースキッカーも務め、特にFKは高い精度を持つ。PKは後方を向いた状態から反転してキックする。
広島ユース時代は豚汁ばかり食べていたため、チームメイトや寮母からは「トンジ」と呼ばれていた。
好きな言葉は木村孝洋元サンフレッチェ監督が語った、アーセナルFCの下部組織に所属する選手が教わるという『Big heart』と、広島ユース時代の監督・森山佳郎の『気持ちには引力がある』であるとインタビューで語っている。
2011年3月24日に大手芸能プロダクションのホリプロとマネジメント契約を締結。スカパー!「URAWAチャンネル」内のコーナー「槙野の部屋 〜俺たちの休日〜」MC担当。
2016年9月発売のサッカーゲーム「FIFA 17」日本版のパッケージになった。
2016年6月に共通の知人を交えた食事会にて知り合った女優の高梨臨と、約1年6か月の交際期間を経て翌2017年12月17日にプロポーズし、翌2018年1月20日、高梨との結婚を正式発表。同年2月9日に婚姻届を提出した。2025年11月には第23回ベストフォーマリストの男性部門を受賞したが、女性部門は高梨が受賞。夫婦での受賞は初めてであった。
2013年頃から2018年頃にかけてスパイクを左右非対称で履く「槙野スタイル」が注目された。本人曰く「サッカーを好きになる人を増やすため、悪いプレーをしたら注目されるためそうならないためにプレッシャーをかけている」とのこと。なお、スパイクはプレデター、ナイトロチャージ、アディゼロ、エース、X、ネメシスを使った。
2021年のJリーグ最終節、名古屋グランパス戦での勇退を表明していた村上伸次審判員への感謝のメッセージを自身のアンダーシャツに書き込み、両チームの選手によって作られた花道を村上が通る際に見せ、村上からイエローカードを貰うという場面があった。なお、このイエローカードは村上の要望もあり公式記録には記載されていない。
それから3年後、2024年に開催された自身の引退試合で、後半アディショナルタイムに妻の高梨臨のPKで3-0とした際のゴールパフォーマンスでコーナーフラッグを引き抜き「過度な喜び」を表した結果、この日主審を務めた村上がイエローカードを提示。その後VARのオンフィールドレビューが行われ、スタジアムビジョンに前述の2021年Jリーグ最終節の模様が映し出され、その後、村上よりこの時に貰ったイエローカードとの累積で2枚目となる説明があった後、槙野へレッドカードが提示され退場となった。
5月11日生まれで、2022年時点ではチームメイトに同じ誕生日にアンドレス・イニエスタ、日高光揮がいる。槙野が35歳となった2022年の誕生日には3人一緒に顔中にクリームを塗られて祝福された。
好きなサッカー選手は森保一で、今でもアンケートに書く時は「森保一"選手"」と書く時があるという。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「マジでレベル低い」
「後で意見書を出して『あれはファウルでした、ハンドでした』って言われてももう遅いんでね。絶対ダメ。」
「マジでJ2のレフェリーのレベルを上げないと壊れます」
出典:FOOTBALL ZONE 2026年10月24日
「やりたいようなことはできました」
「前半は自分たちが守備的な戦いをする。相手にボールを持たせたなかでブロックを作る、というところをやりました」
「納得いかない」
出典:Yahoo!ニュース 2026年10月3日
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | リーグカップ2 | 大陸大会3 | その他4 | シーズン通算 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 2006 | 18 | J1リーグ* | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | — | — | — | — | 2 | 0 | |
| 2007 | 19 | J1リーグ* | 18 | 1 | 5 | 0 | 4 | 0 | — | — | 2 | 0 | 29 | 1 | |
| 2008 | 20 | J1リーグ* | 41 | 7 | 4 | 1 | — | — | — | — | 1 | 0 | 46 | 8 | |
| 2009 | 21 | J1リーグ* | 33 | 8 | 2 | 0 | 2 | 0 | — | — | — | — | 37 | 8 | |
| 2010 | 22 | J1リーグ* | 34 | 4 | 1 | 1 | 4 | 1 | 4 | 1 | — | — | 43 | 7 | |
| 通算 | 127 | 20 | 12 | 2 | 11 | 1 | 4 | 1 | 3 | 0 | 157 | 24 | |||
| 2010-11 | 23 | ブンデスリーガ | 5 | 0 | — | — | — | — | — | — | — | — | 5 | 0 | |
| 2011-12 | 24 | ブンデスリーガ | 3 | 0 | — | — | — | — | — | — | — | — | 3 | 0 | |
| 通算 | 8 | 0 | — | — | — | — | — | — | — | — | 8 | 0 | |||
| 2011-12 | 24 | レギオナルリーガ西地区* | 1 | 0 | — | — | — | — | — | — | — | — | 1 | 0 | |
| 2012 | 24 | J1リーグ* | 33 | 6 | 3 | 0 | 4 | 0 | — | — | — | — | 40 | 6 | |
| 2013 | 25 | J1リーグ* | 34 | 6 | 0 | 0 | 4 | 0 | — | — | 6 | 0 | 44 | 6 | |
| 2014 | 26 | J1リーグ* | 31 | 4 | 0 | 0 | 7 | 2 | — | — | 0 | 0 | 38 | 6 | |
| 2015 | 27 | J1リーグ | 34 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 1 | 0 | 43 | 4 | |
| 2016 | 28 | J1リーグ | 31 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 7 | 0 | 0 | 0 | 39 | 3 | |
| 2017 | 29 | J1リーグ | 32 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 14 | 1 | 3 | 0 | 50 | 3 | |
| 2018 | 30 | J1リーグ | 32 | 4 | 3 | 1 | 4 | 0 | — | — | — | — | 39 | 5 | |
| 2019 | 31 | J1リーグ | 32 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 14 | 2 | 1 | 0 | 49 | 3 | |
| 2020 | 32 | J1リーグ | 26 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | — | — | — | — | 26 | 2 | |
| 2021 | 33 | J1リーグ | 31 | 2 | 11 | 1 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 47 | 4 | |
| 通算 | 313 | 32 | 33 | 4 | 18 | 2 | 46 | 4 | 11 | 0 | 421 | 42 | |||
| 2022 | 34 | J1リーグ | 16 | 1 | 2 | 0 | 2 | 0 | — | — | — | — | 20 | 1 | |
| 通算 | 16 | 1 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 20 | 1 | |||
| キャリア通算 | 464 | 53 | 46 | 5 | 32 | 4 | 55 | 5 | 14 | 0 | 611 | 67 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 3. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 4. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
日本 としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 2010 | 22 | 4 | 0 | |
| 2011 | 23 | 4 | 0 | |
| 2012 | 24 | 3 | 1 | |
| 2013 | 25 | 3 | 0 | |
| 2014 | 26 | 0 | 0 | |
| 2015 | 27 | 8 | 1 | |
| 2016 | 28 | 2 | 0 | |
| 2017 | 29 | 4 | 1 | |
| 2018 | 30 | 8 | 1 | |
| 2019 | 31 | 2 | 0 | |
| 通算 | 38 | 4 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1370506270)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2025.11〜現在 | 38 | 5 | 3 | 0 | 2 | 60.0% | |
| 通算 | 0 | 0 | 0 | 0 | — | ||
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1994〜1999 | 6 | 井口明神FC |
| 2000〜2002 | 12 | サンフレッチェ広島ジュニアユース |
| 2003〜2005 | 15 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|---|
| 2006〜2010 | 18 | — | — | |
| 2010〜2012 | 22 | 8 | 0 | |
| 2012 | 24 | 33 | 6 | |
| 2013〜2021 | 25 | 283 | 26 | |
| 2022 | 34 | — | — |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は国内リーグ戦の合計で、カップ戦・大陸大会を含む内訳は「個人成績」の表にあります。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 2005〜2007 | 17 | |
| 2009〜2019 | 21 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 2023〜2023 | 35 | 監督 | |
| 2024〜2025 | 36 | 品川CC横浜 | 監督 |
| 2026〜 | 38 | 監督 |
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2003 | 15 | サンフレッチェ広島ジュニアユース | サンフレッチェ広島ユース | 移籍 | — | 下部組織への移籍 形態・移籍金は未確認 |
| 2010-01 | 22 | フリー移籍 | — | |||
| 2012-01 | 24 | 期限付き移籍 | — | |||
| 2013-01 | 25 | 完全移籍 | 3500万円 € 200K | |||
| 2022-01 | 34 | 完全移籍 | — | 移籍金は非公表・不明 |
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
日本語版 Wikipedia(経歴)・API-Football(移籍データ)。移籍の有無と移籍先は日本語版 Wikipedia の情報欄、日付・形態・移籍金は API-Football の掲載値。億円換算は ECB レート(2026-10-21 時点)
所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。
同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。
本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。
日本語名を確認できない監督 7 人は掲載していません。
英語の記録名しか確認できないもの(7件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
代表チームで獲得したメダルです(銀1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| AFCアジアカップ | 銀 2019 |
|---|
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
英語の記録名しか確認できないもの(1件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「槙野智章」(版 111286177)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。