ルイ・コスタ

SOCCERPEDIA / 選手ページ / ポルトガルのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

ポルトガルルイ・コスタ(Rui Costa、1972年3月29日生)は、アマドーラ出身の元サッカー選手。ポジションはMF。ポルトガルでは1993年から通算94試合26得点を記録している。クラブでは公式戦通算684試合97得点(1990-91 シーズン以降)。クラブ・代表で通算17個のタイトルを獲得、個人賞は22回(バロンドール 3回、UEFA欧州選手権 大会ベストイレブン 2回)。

ルイ・マヌエル・セーザル・コスタ(Rui Manuel César Costa, 1972年3月29日 - )は、ポルトガル・アマドーラ出身の元サッカー選手。元ポルトガル代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。現在はSLベンフィカで会長を務める。

現役時代は「マエストロ」の愛称で知られ、卓越したテクニックと広い視野、優れたパスセンスで知られていた。また、両足での正確な得点力も兼ね備えていた。選手時代にはSLベンフィカ、ACFフィオレンティーナ、ACミランなどでプレーし、プリメイラ・リーガ、タッサ・デ・ポルトガル、セリエA、コッパ・イタリア、UEFAチャンピオンズリーグ、UEFAスーパーカップなどのタイトルを獲得している。また、ポルトガル代表では94試合に出場して26得点を挙げている他、UEFA欧州選手権に3度とFIFAワールドカップに1度それぞれ出場している。

クラブ経歴

SLベンフィカ

1982年、コスタはベンフィカの入団テストに参加した。その際のプレーがベンフィカの英雄であるエウゼビオに評価され、彼は18歳になる1990年までベンフィカのユースチームでプレーした。1990年、コスタは2部のADファフェへレンタルで移籍し、トップデビューを飾った。1991年にはベンフィカに復帰し、中心選手として定期的に出番を得た。1991-92シーズンにはポルトガル・カップを、その翌シーズンの1993-94シーズンにはプリメイラ・リーガを制覇した。コスタはジョアン・ピントらと共に強力な中盤を形成し、彼のチームでの役割の重要さを示した。

ACFフィオレンティーナ

1994年の夏、ヨハン・クライフ監督が獲得を希望し、FCバルセロナへの移籍が確定していた。しかし、選挙戦でベンフィカの会長が変わったことにより、ベンフィカは更に高い移籍金を要求、イタリアのセリエAに所属するACFフィオレンティーナが、バルセロナより高額な移籍金を支払うことを約束したため、フィオレンティーナへ移籍することとなった。本人はバルセロナでのプレーを望んでいたが、チームの経済的な理由から、フィオレンティーナへの移籍を受け入れた。

ガブリエル・バティストゥータと強力なコンビを形成し、1996年にはコッパ・イタリア、スーペルコッパ・イタリアーナを制覇するなど、7シーズンの間、優れたプレーを見せてファンたちから愛された。

ACミラン

2001年、フィオレンティーナの財政悪化などもあり、2000-01シーズンにフィオレンティーナのコーチを務めていたファティ・テリムが指揮するACミランに移籍した。その際の移籍金は2001-02シーズンのセリエAでは最高額の850億リラ(4390万ユーロ)に上った。加入直後に怪我をしたこともあり初年度はあまり活躍できなかったが、翌シーズンには調子を上げ、UEFAチャンピオンズリーグとコッパ・イタリアの2冠に貢献した。しかし、2003年以降は新加入のカカにポジションを奪われ、十分な出場機会を得られなかった。それでもコスタはカカに対して賞賛を惜しまず、また個人的にもアドバイスを送り続けカカの成長を手助けした。後にカカも、「コスタは僕のことをすごく助けてくれた。コスタと僕は先生と生徒の関係だったね。」と述べている。コスタの引退試合の前日には、ミランの副会長のアドリアーノ・ガッリアーニは「ミラノ市民、そしてイタリア国民は決してコスタの名前を忘れることはないだろう。君はいつまでも“ロッソ・ネロ”(ミランの愛称)の家族の一員だ」とコスタをたたえる手紙をファックスで届け、キャプテンのパオロ・マルディーニは「コスタがまだまだ僕らのサッカー界で活躍できる一流の選手であることは僕が一番よく分かるよ。偉大なる男、そして友人だったルイにありがとうと言いたい」とのメッセージを寄せた。コスタはこれらのメッセージについて、「感動して泣いてしまった。」と引退試合後の記者会見で語っている。

ベンフィカ復帰

2006年5月25日、コスタは相方合意の上でミランとの契約を解除し、古巣のベンフィカに復帰した。同年8月22日、コスタは復帰初戦の、チャンピオンズリーグの本戦出場を懸けたFKアウストリア・ウィーンとの予選3回戦で、豪快なミドルシュートで先制ゴールを上げ、ベンフィカの3-0での勝利と本戦への出場に大きく貢献した。

しかしこの試合で彼は右足太ももの筋肉を傷めてしまい、さらに2週間後のボアヴィスタFC戦での強行出場が裏目に出て1ヶ月間の離脱を余儀なくされた。そして復帰後のCDアヴェス戦でも違和感を訴え、再び3ヶ月の間負傷離脱した。2007年1月のタッサ・デ・ポルトガル4回戦の戦で復帰した後は、11試合に先発出場した。しかしチームはFCポルトとスポルティングCPに次ぐ3位に終わり、タッサ・デ・ポルトガルではベスト16で敗退すると、チャンピオンズリーグでも敗退し、UEFAカップではRCDエスパニョールに敗れて無冠に終わった。

2007-08シーズンの開幕前、コスタは同シーズン限りで引退することになるだろうと話した。同シーズン開幕時、ベンフィカは監督のフェルナンド・サントスを解任し、後任の監督としてホセ・アントニオ・カマーチョを指名したが、コスタは監督交代後もレギュラーを務めた。シーズン初戦のチャンピオンズリーグ予選のFCコペンハーゲン戦では2得点を挙げ、チームの本戦出場に貢献した また同じカードでアウェーでの第2戦でも1-0での勝利に重要な役割を果たし、ベンフィカの3年連続のグループステージ進出に貢献した。9月のCDナシオナル戦では、リーグ戦では復帰以来初となる得点を挙げるなど、公式戦6試合で4ゴールの好スタートを切り、を獲得した。またチャンピオンズリーグでは、アウェーで古巣ミランと対戦し、この試合には1-2で敗れたが、5日後のホームでの再戦では1-1で引き分けた。しかしチームはミランとセルティックFCの後塵を拝し、3位に終わった。

2007年12月31日、コスタは2007-08シーズンを持って選手生活を引退することを正式に表明した。そして2008年5月11日、スーペル・リーガの2007-08シーズン最終戦となったヴィトーリアFCとのホームゲームで、「多くのファンとプライドと共にピッチを去る」という言葉を残し、選手生活を引退した。この試合には54000人の観客が集まり、大きな拍手を受けた。試合後の記者会見では、一番の思い出としてワールドユースでの優勝を挙げ、最高のチームメイトにはガブリエル・バティストゥータとパオロ・マルディーニを挙げている。また、「(怪我で活躍できなかった大きな大会が多かったこと、所属クラブの財政難から移籍した経験などを指して)選手生活に運が無かったとは思わないか?」との質問を受けた。これに対し、コスタは「最後の試合に5万4千人も集まって声援を送ってくれた。これほど幸せな選手はいないんじゃないかな?僕は十分運が強いと思うよ。」と答え、最後まで前向きで周囲に感謝する彼らしさを感じさせる受け答えとなった。

引退後

引退試合の翌日、コスタはベンフィカのテクニカル・ディレクターに就任した。2008年には、新監督にスペイン人のキケ・サンチェス・フローレスを任命し、アルゼンチン代表の司令塔パブロ・アイマール、スペイン代表のウィングホセ・アントニオ・レジェス、ホンジュラス代表のストライカーダビド・スアソらとの契約を成立させた。その翌年の2009年には、アルゼンチン代表のストライカーハビエル・サビオラ、ブラジル代表の攻撃的MFラミレス、スペインの守備的MFハビ・ガルシアらを獲得した他、監督のキケ・サンチェスとの契約を解除し、新監督にポルトガル人のジョルジェ・ジェズスを指名した。このシーズン、ベンフィカはライバルのFCポルトを破り、5シーズンぶりのリーグ戦優勝を果たした。

2021年10月9日、ベンフィカの新会長に選出されたことが発表された。得票率は84.48%で任期は2025年までの4年間。

代表経歴

ポルトガル代表経歴

1991年、U-20ポルトガル代表としてカルロス・ケイロスの下で地元開催のワールドユースに出場し、決勝でブラジルを破って優勝を果たした。以降、ルイス・フィーゴらと共にポルトガルサッカー黄金世代の中心選手となった。

1993年3月、FIFAワールドカップ欧州予選のスイス戦でA代表デビューを果たした。ポルトガル代表の主力としても成長し、1996年のEURO1996ではベスト8、2000年のEURO 2000ではベスト4に進出した。

2002 FIFAワールドカップでは、自身初のW杯出場を果たした。しかし、グループリーグ初戦のアメリカ戦で敗れると、2戦目のポーランド戦では得点したものの、3戦目の韓国戦では出場機会を得られず、チームもグループリーグで敗退した。2002 W杯が行われた01-02シーズンはルイ・コスタ自身のコンディションが1番良くなかった状態であり、ジョアン・ピントがトップ下の定位置となっていた。

地元開催のEURO2004にも出場し、グループリーグ第2回戦のロシア戦で得点を挙げ、チームの初勝利に貢献した。準々決勝のイングランド戦では延長後半に得点を挙げたが、直後にフランク・ランパードの同点ゴールを許してPK戦に突入した。PK戦ではコスタがPKを失敗したものの、チームは勝利した。その後準決勝でオランダを破り、決勝戦の前日にはこの決勝戦で代表を引退すると表明していたが、決勝では開幕戦でも敗れたギリシャに敗れ準優勝に終わった。この大会を最後にポルトガル代表を引退した。

コスタはミッドフィルダーであるにも関わらず、94試合に出場して26得点を記録した。出場試合数は歴代4位、得点数は歴代7位の記録である。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1大陸大会2その他3シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
ポルトガルファフェ*1990-9118セグンダ・ディヴィザン38600————386
ポルトガルベンフィカ1991-9219プリメイラ・リーガ214307010324
1992-9320プリメイラ・リーガ234414010325
1993-9421プリメイラ・リーガ3453184204710
通算78131021944011119
イタリアフィオレンティーナ1994-9522セリエA31940————359
1995-9623セリエA34472————416
1996-9724セリエA282108010382
1997-9825セリエA32352————375
1998-9926セリエA31107410——3914
1999-2000—セリエA30440142——486
2000-0128セリエA2967220——388
通算2153835102521027650
イタリアミラン2001-0229セリエA22010103——333
2002-0330セリエA25051180——481
2003-0431セリエA283406030413
2004-0532セリエA241409010381
2005-0633セリエA2503340——323
通算12441744734019211
ポルトガルベンフィカ2006-0734プリメイラ・リーガ1403051——221
2007-0835プリメイラ・リーガ29543122004510
通算43573173006711
キャリア通算498666919108129068497

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 3. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

ポルトガル としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19932072
19942151
19952273
199623112
19972440
19982553
19992696
200027133
20012860
20022972
200330111
20043193
通算9426

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
1977〜19904ポルトガルベンフィカ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム
1990〜199117ポルトガルファフェ
1991〜199418ポルトガルベンフィカ
1994〜200121イタリアフィオレンティーナ
2001〜200628イタリアミラン
2006〜200833ポルトガルベンフィカ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
199017ポルトガル U-18
199118ポルトガルポルトガル U-20
1992〜199419ポルトガルポルトガル U-21
1993〜200420ポルトガルポルトガル

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
199017ポルトガルベンフィカファフェ移籍—形態・移籍金は未確認
199118ファフェポルトガルベンフィカ移籍—形態・移籍金は未確認
199421ポルトガルベンフィカイタリアフィオレンティーナ移籍—形態・移籍金は未確認
200128イタリアフィオレンティーナイタリアミラン移籍—形態・移籍金は未確認
200633イタリアミランポルトガルベンフィカ移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

タイトル

クラブ

ベンフィカ

フィオレンティーナ

ACミラン

ポルトガル代表 U-20

ポルトガル代表

個人

英語の記録名しか確認できないもの(18件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(金1・銀1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

FIFA U-20ワールドカップ金 1991 ポルトガル
UEFA U-21欧州選手権銀 1994 フランス

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

英語の記録名しか確認できないもの(1件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ルイ・コスタ」(版 110207411)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
  2. Wikipedia(日本語版)「ルイ・コスタ」、版 ID 110207411、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%82%BF
  3. Wikipedia(英語版)、版 ID 1376628381、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Rui_Costa

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