本山雅志

SOCCERPEDIA / 選手ページ / 日本のサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

日本本山雅志(Masashi Motoyama、1979年6月20日生)は、日本出身の元サッカー選手。ポジションはMF(ミッドフィールダー)。クラブでは公式戦通算548試合63得点(全期間)。

本山 雅志(もとやま まさし、1979年6月20日 - )は、福岡県北九州市若松区出身の元プロサッカー選手。 現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。元日本代表。現鹿島アントラーズアカデミースカウト。

クラブ経歴

来歴

1979年6月20日、北九州市若松区で鮮魚店を営む一家に4人兄弟の末子として生まれる。3つ上の兄の影響で幼稚園の頃からサッカーを始め、地元の二島小学校に入学後1年生からサッカー少年団に所属、本格的に打ち込む。5年生の頃には、指導者から「お前は自由にやっていい。パスはやんないでどんどんドリブルで好きなように仕掛けろ」と言われていた。二島中学校時代には、1年後輩で後に高校の後輩にもなる宮原裕司、同じく2年後輩の山形恭平らと一緒だったが、全国大会には出場出来なかった。中学3年生の時に、福岡県の強豪校、東福岡高校の志波芳則監督にスカウトされ同校に進学。高校では、先輩だった生津将司から監督への提案により1年生からボランチでトップチームのレギュラーになり 、同年の高校選手権でもレギュラーとして出場、1回戦桐光学園戦では1学年上の中村俊輔をマンマークし勝利に貢献するなど、同年の準決勝進出の一翼を担う 。本山の在学中に週2回ほど同校を指導していた元八幡製鉄サッカー部監督の寺西忠成からも常に傍に置かれ薫陶を受けるが、2年時には椎間板ヘルニアを発症、当時は開腹手術しか完治する方法がなかったため、本人曰く「だましだましのまま」出場試合数を限定しながら1年を過ごし、チームもインターハイ、高校選手権ともに県予選で敗れる。しかし3年時の1997年には、攻撃的MFとして、インターハイ、全日本ユース選手権、高校選手権で優勝し、高校サッカー史上初の3冠を達成、併せて公式戦で年間49勝2分無敗という驚異的な記録も達成する。特に高校選手権決勝は、後に鹿島のチームメイトになる中田浩二がいる帝京高校との対戦であったが、史上初のインターハイ決勝との同一カード、かつインターハイ優勝校が高校選手権では優勝出来ないというジンクスが27年間続いており、それを打ち破っての快挙であった。

1998年に鹿島に入団(同期は小笠原満男、中田浩二、曽ヶ端準、山口武士、中村祥朗)。その年の天皇杯で4試合に出場し、3得点を挙げた。同年のAFCユース選手権ではチームの準優勝に貢献するとともに、自身も高原と並び大会得点王を獲得した。続く1999年には、ナイジェリアで開催されたU-20世界選手権(ワールドユース)の日本代表の一員として準優勝に貢献し、小野伸二と共にベストイレブンに選ばれた。 また、この年から鹿島でもリーグ戦にコンスタントに出場するようになり、翌2000年にはシドニーオリンピックに出場するとともに、A代表に選出され、6月18日のボリビア戦で代表デビューを果たした。さらには2000年、2001年の鹿島のリーグ連覇にスーパーサブとして貢献した。

2002年からは、前年限りで退団したビスマルクの背番号10を継承し、名実ともに鹿島の中心選手となった。しかし代表では主戦場としていた左サイドはチーム最大の人材過多のポジションであり、小野、中村俊、三都主、服部、三浦淳らが候補としてひしめいていた。特にスーパーサブのドリブラーとしての役割まで重なり2001年になって帰化した三都主が大ブレイク中であった事もあり、日本と韓国で開催された2002 FIFAワールドカップの代表には選出されなかった。

ジーコが代表を率いるようになった2003年からは代表に招集される機会が多くなり、FWもしくはトップ下としてAFCアジアカップ2004などに参加したものの、ある程度の出場機会が与えられたにも関わらず最後まで無得点だった事でアピールできず、ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップの代表からは外れた。

2007年には6月16日のサンフレッチェ広島戦でリーグ戦通算200試合出場を達成し、同試合で鹿島ホーム通算500得点目の記念ゴールを決めた。またプロ10年目にしてはじめてリーグ戦全試合出場を果たし、6年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。

2008年から移籍した柳沢敦から鹿島の選手会長を引き継ぐ。シーズン中盤の6月に先天性水腎症を患っていることが判明したが、リーグ戦終了までごく近い関係者にしかその事実を明かさず、国際試合のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)を含めてほぼフルに出場、リーグ連覇を果たした。12月25日水腎症の手術を受けた。

2014年7月27日のJ1第17節・浦和戦で、クラブ最長の17シーズン目で通算500試合を達成した。

2015年シーズンでは僅か6試合計139分間の出場にとどまったため、「まだピッチに立ち続けたい。プロ選手として、あるべき姿を追い求めたい」との願いから、11月26日、18シーズン在籍した鹿島を退団することが発表され、12月26日、ギラヴァンツ北九州に加入した。

2016年はJ2リーグ戦36試合に出場、うち22試合で先発出場し、4アシストを記録したものの得点はなく、チームはJ2最下位となり翌年のJ3降格となり、リーグ最終節終了翌日の11月21日には右ひざ前十字靭帯損傷と診断され、手術をすると発表された。その後リハビリテーションを続け、練習には復帰していたが、2017年8月7日、練習中に右膝に違和感を感じ、翌日半月板損傷と診断され、東京都内で手術を受ける。結果、合計11か月ほど戦列を離脱。2017年10月1日、ホームのJ3リーグ対SC相模原で途中出場ながら復帰を果たした。翌2018年はチーム開幕戦となる第2節で先発、第4節ではフル出場したが、先発出場は第8節を最後になく、第23節の後半交代出場が同シーズン最後の公式戦出場となった。2019年シーズン、北九州はJ3リーグ優勝を果たすが、本山はGK以外のフィールドプレーヤーとしては唯一公式戦出場なしに終わり、同シーズン終了後の12月24日、契約満了が発表された。

2021年からマレーシア・プレミアリーグのクランタン・ユナイテッドFCに所属。本山にとって初の国外リーグ参加となる。

2023年11月19日、カシマスタジアムで引退試合「モトフェス」を行い、本山が「10番」を背負った「ANTLERS LEGENDS」と小野伸二や稲本潤一ら黄金世代のメンバーも名を連ねた「MO10 FRIENDS」が対戦した。「ANTLERS LEGENDS」が最終的に9-4で勝利を収めた。全メンバーはエピソードに記載する。

プレースタイル

プレースタイル

圧倒的なキレとドリブルセンスを持った選手。独特のリズムとタッチですり抜けていくドリブラー。2002年以降ジーコ、レオナルド、ビスマルクらがつけたアントラーズの10番を託され、攻撃の中心としてチームを引っ張っていく存在となっていった。

2005年にはクリスティアーノ・ロナウド擁するマンチェスター・ユナイテッドに本山の2ゴールで2-1と勝利する。

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
1992〜199412日本二島中学校
1995〜199715日本東福岡高校

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム出場得点
1998〜201518日本鹿島アントラーズ593
2016〜201936日本ギラヴァンツ北九州——
2021〜202241マレーシアクランタン・ユナイテッド——

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は国内リーグ戦の合計で、カップ戦・大陸大会を含む内訳は「個人成績」の表にあります。

代表

期間年齢チーム
1998〜199918日本日本 U-20
200020日本日本 U-23
2000〜200620日本日本

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
199515二島中学校東福岡高校移籍—下部組織への移籍
形態・移籍金は未確認
199818東福岡高校日本鹿島アントラーズ移籍—形態・移籍金は未確認
2016-0136日本鹿島アントラーズ日本ギラヴァンツ北九州完全移籍—移籍金は非公表・不明
202141日本ギラヴァンツ北九州マレーシアクランタン・ユナイテッド移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
日本語版 Wikipedia(経歴)・API-Football(移籍データ)。移籍の有無と移籍先は日本語版 Wikipedia の情報欄、日付・形態・移籍金は API-Football の掲載値。億円換算は ECB レート(2026-10-21 時点)

人物相関

所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。

共にプレーした選手

同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。

選手クラブ期間シーズン 
小笠原満男日本鹿島アントラーズ2012〜20154
青木剛日本鹿島アントラーズ2012〜20154
中田浩二日本鹿島アントラーズ2012〜20143
大迫勇也日本鹿島アントラーズ2012〜20132
大島秀夫日本ギラヴァンツ北九州*20161
鈴木優磨日本鹿島アントラーズ20151

指導を受けた監督

本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。

監督クラブ・代表在任
小林伸二日本ギラヴァンツ北九州2019年2月〜2021年12月

日本語名を確認できない監督 2 人は掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(金1・銀1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

AFCアジアカップ金 2004 中国
FIFA U-20ワールドカップ銀 1999 ナイジェリア

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

英語の記録名しか確認できないもの(1件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「本山雅志」(版 106396928)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. API-Football(移籍データ)、2026年10月22日 取得 https://www.api-football.com/
  2. API-Football(選手・監督データ)、2026年10月25日 取得 https://www.api-football.com/
  3. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  4. Wikipedia(日本語版)「本山雅志」、版 ID 106396928、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B1%B1%E9%9B%85%E5%BF%97
  5. Wikipedia(英語版)、版 ID 1373668717、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Masashi_Motoyama

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