「時間帯含めて、そういう一瞬の隙っていうところでゲームが決まってしまったなという印象です」
「メンタル的なところもあると思いますし、失点したことで少し相手の勢い、相手のホームというところで勢いづかさせてしまったというところもあると思います。時間帯もアディショナルタイムだったと思いますし、中はしっかり競っていたんですけど、もう少し上げさせないっていうところも含めての対応は、改善していかないといけないなと思います」
出典:Yahoo!ニュース 2026年10月9日
SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / 日本のサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日
明神智和(Tomokazu Myōjin、1978年1月24日生)は、日本出身の元サッカー選手。ポジションはMF(ミッドフィールダー)、所属はガンバ大阪。日本では2000年から通算26試合3得点を記録している。クラブでは公式戦通算703試合33得点(1996 シーズン以降)。クラブ・代表で通算8個のタイトルを獲得、個人賞は1回。
明神 智和(みょうじん ともかず、1978年1月24日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。Jリーグ・ガンバ大阪監督。ポジションはミッドフィールダー。元日本代表。
2歳年上の兄の影響で小学2年生の頃から、地元神戸市の木津SCでサッカーを始める。小学5年時に兵庫県から千葉県流山市に引越し、イーグルスユナイテッドFC(現・柏レイソルアライアンスアカデミーTOR'82)に編入。同クラブのジュニアユースチームでもプレーした。
イーグルスユナイテッドFCから1993年柏レイソルユースに所属し、同ユースを経て、1996年に柏レイソルへ入団。1997年にはFIFAワールドユース選手権中盤の主力として活躍を見せるとともに、長らくキャプテンを務め、1999年にはクラブ初タイトルとなるナビスコカップ優勝に貢献。2000年にはクラブ初のJリーグベストイレブンを受賞した。
2000年、当時のU-23兼日本代表監督であったフィリップ・トルシエの高い評価を受け、U-23代表、及びA代表に選出された。U-23では主にディフェンシブハーフとして、A代表では主に右サイドで起用されると、シドニーオリンピックでのベスト8進出や、アジアカップでは2得点を挙げ、日本代表のアジア制覇に貢献。堅実で勤勉なプレースタイルから、トルシエは「完璧なチームとは、8人の明神と3人のクレイジーな選手で構成される」と、組織的な日本のチームにおいて不可欠な選手であると絶賛した。以後、トルシエジャパンのレギュラーの座を獲得、2002 FIFAワールドカップでも3試合に出場し、日本初の決勝トーナメント進出に貢献した。2003年には、山本昌邦監督率いるU-22日本代表のテストマッチに(アテネオリンピックのオーバーエイジ枠を見据えて)出場したが、本大会には選出されなかった。
2006年、柏のJ2降格に伴い、かつて柏を率いていた西野朗が監督を務めるガンバ大阪に加地亮、播戸竜二、マグノ・アウベス、ガンバユースから平井将生、安田理大、横谷繁らと共に移籍加入した。その後、遠藤保仁、二川孝広、橋本英郎らと共に黄金の中盤と称されながらガンバ攻撃陣の中軸を担い、多くのタイトル獲得に貢献。2009年には当時の鹿島アントラーズ監督オズワルド・オリヴェイラからJリーグ選抜に選出され、韓国・Kリーグ選抜とのオールスターゲームJOMO CUPに出場。また、同年度の日刊スポーツ提供「黄金の脚賞」を受賞し、天皇杯決勝の名古屋グランパスエイト戦では豊富な運動量でチャンスを演出し、チームの天皇杯連覇に貢献。
2010年からは前年に松代直樹が現役引退したことで、チーム最年長選手となり、松代から主将を引き継いだ。2011年10月2日Jリーグ第28節・ガンバ大阪創立20周年記念試合において、サポーターが選ぶガンバ大阪歴代ベストイレブンに輝き、またガンバの公式応援番組『GAMBA TV〜青と黒〜』の年末特別企画『GAMBA TV アウォーズ』において、影のMVPにも選出された。
2012年、リーグ戦にて伊東輝悦、山田暢久、楢﨑正剛に続き史上4人目となるJ1通算450試合出場を達成した。1年通して大きな怪我もなく出場したが、チームは極度の不振に陥りJ2へ降格した。
2013年、チーム主将を遠藤保仁に譲った。自身初のJ2でのプレーとなったこの年、開幕当初こそスタメンで起用されたものの、怪我と若手の台頭で徐々に出場機会を減らし、シーズン終盤は右膝靭帯損傷で長期離脱となってしまった。それでも代表の遠藤・今野が不在となったFIFAコンフェデレーションズカップ期間中はチーム最年長としてチームを牽引し、無敗でリーグ戦を折り返した。その後も経験値を活かしながら要所で活躍。出場は天皇杯を含め21試合に留まったがクラブのJ2優勝、J1昇格に貢献した。
2014年、リーグ戦の出場はG大阪移籍後では最も少ない12試合に留まったが、ヤマザキナビスコカップ5試合、天皇杯4試合に出場し、試合前などチームを引き締める姿勢は指揮官の長谷川健太から絶大な信頼を寄せられた。この年、ガンバは昇格1年目にして国内三冠を達成し、自身にとってはプロ入り19年目にして初のリーグ優勝となった。
2015年シーズン終盤、G大阪から契約を更新しないことを通知されコーチ就任を打診されたが、現役続行を決断。2016年1月6日、名古屋グランパスへの完全移籍が発表された。名古屋ではリーグ戦15試合に止まり、2016年シーズン終了後に契約満了により退団。
2017年よりAC長野パルセイロへ完全移籍により加入した。3シーズン在籍したが、出場機会は限られた。
代表での出場記録とメダルから組み立てた説明です。
2000年に日本での出場記録が始まり、2002年までに通算26試合3得点を記録した。
代表で獲得したメダルはAFCアジアカップ金(2000 レバノン)、FIFAコンフェデレーションズカップ銀(2001 日韓)。
2020年より古巣であるガンバ大阪のジュニアユースコーチに就任する事が発表された。
2026年、2026/27シーズンにおいてチーム始動直前に前監督のイェンス・ヴィッシングが海外クラブとの契約を前提に離脱し、その後アル・イテハドの監督就任に伴い、コーチングスタッフ2名と共に退任。オーストリアで行われたキャンプでは監督代理としてチームを指揮した。7月18日、ガンバ大阪トップチームの監督に就任が発表された。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「時間帯含めて、そういう一瞬の隙っていうところでゲームが決まってしまったなという印象です」
「メンタル的なところもあると思いますし、失点したことで少し相手の勢い、相手のホームというところで勢いづかさせてしまったというところもあると思います。時間帯もアディショナルタイムだったと思いますし、中はしっかり競っていたんですけど、もう少し上げさせないっていうところも含めての対応は、改善していかないといけないなと思います」
出典:Yahoo!ニュース 2026年10月9日
「コーチの時も頭の中はかなりサッカーを考えていたつもりでしたけど、監督になると24時間、寝ている時以外は頭からサッカーが離れないですね」
「コーチのときには、試合に出られていない選手に対して『お前は絶対できるからチャンスはあるぞ、頑張れよ』と声をかけられました。でも今、自分はメンバーを使う、使わないを決断する立場です。」
「下からあの景色を見るというのは、なかなか多くの人が経験できるものではないので……まさに『絶景』です。あの瞬間を味わうために試合をやっていますし、サポーターと繋がったと感じる最高の瞬間ですね」
出典:Yahoo!ニュース 2026年10月7日
「90分出場を目指してやって、その中で質や強度をどれくらい出せるかと話している」
出典:スポニチ 2026年10月1日
「下を向くことはないパフォーマンスだった」
「選手たちのパフォーマンスや内容については、下を向く必要はない」
出典:note 2026年9月20日
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | その他1 | シーズン通算 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1996 | 18 | 0 | — | — | — | — | 13 | 0 | |
| 1997 | 19 | 0 | — | — | — | — | 20 | 1 | |
| 1998 | 20 | 1 | — | — | — | — | 34 | 1 | |
| 1999 | 21 | 0 | — | — | — | — | 37 | 1 | |
| 2000 | 22 | 0 | — | — | — | — | 33 | 2 | |
| 2001 | 23 | 0 | — | — | — | — | 34 | 0 | |
| 2002 | 24 | 0 | — | — | — | — | 28 | 1 | |
| 2003 | 25 | 0 | — | — | — | — | 35 | 2 | |
| 2004 | 26 | 0 | — | — | — | — | 34 | 5 | |
| 2005 | 27 | 0 | — | — | — | — | 33 | 1 | |
| 通算 | — | — | — | — | 301 | 14 | |||
| 2006 | 28 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 36 | 0 | |
| 2007 | 29 | 0 | — | — | 1 | 0 | 46 | 2 | |
| 2008 | 30 | 0 | 14 | 1 | 3 | 0 | 58 | 4 | |
| 2009 | 31 | 1 | 5 | 0 | 1 | 0 | 44 | 5 | |
| 2010 | 32 | 0 | 6 | 0 | — | — | 39 | 4 | |
| 2011 | 33 | 0 | 5 | 0 | — | — | 33 | 2 | |
| 2012 | 34 | 0 | 5 | 0 | — | — | 43 | 2 | |
| 2013 | 35 | 0 | 0 | 0 | — | — | 21 | 0 | |
| 2014 | 36 | 0 | — | — | — | — | 21 | 0 | |
| 2015 | 37 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 20 | 0 | |
| 通算 | 42 | 1 | 8 | 0 | 361 | 19 | |||
| 2016 | 38 | 0 | — | — | — | — | 18 | 0 | |
| 2017 | 39 | — | — | — | — | — | 17 | 0 | |
| 2018 | 40 | — | — | — | — | — | 14 | 0 | |
| 2019 | 41 | — | — | — | — | — | 10 | 0 | |
| 通算 | — | — | — | — | 41 | 0 | |||
| キャリア通算 | 42 | 1 | 7 | 0 | 703 | 33 | |||
1. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
日本 としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 2000 | 21 | 9 | 2 | |
| 2001 | 22 | 7 | 0 | |
| 2002 | 23 | 10 | 1 | |
| 通算 | 26 | 3 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1375005409)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2026.07〜現在 | 48 | 9 | 3 | 3 | 3 | 33.3% | |
| 通算 | 9 | 3 | 3 | 3 | 33.3% | ||
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1993〜1995 | 14 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は国内リーグ戦の合計で、カップ戦・大陸大会を含む内訳は「個人成績」の表にあります。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1997 | 18 | |
| 2000 | 21 | |
| 2000〜2003 | 21 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 2026〜 | 47 | 監督 |
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2006 | 28 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2016-01 | 37 | 完全移籍 | — | 移籍金は非公表・不明 | ||
| 2017 | 39 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
日本語版 Wikipedia(経歴)・API-Football(移籍データ)。移籍の有無と移籍先は日本語版 Wikipedia の情報欄、日付・形態・移籍金は API-Football の掲載値。億円換算は ECB レート(2026-10-21 時点)
所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。
同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。
| 選手 | クラブ | 期間 | シーズン | |
|---|---|---|---|---|
| 遠藤保仁 | 2012〜2015 | 4 | ||
| 呉宰碩 | 2013〜2015 | 3 | ||
| 宇佐美貴史 | 2013〜2015 | 3 | ||
| 田中マルクス闘莉王 | 2016 | 1 | ||
| 堂安律 | 2015 | 1 | ||
| 磯村亮太 | 2016 | 1 | ||
| 楢﨑正剛 | 2016 | 1 |
英語の記録名しか確認できないもの(9件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
代表チームで獲得したメダルです(金1・銀1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| AFCアジアカップ | 金 2000 レバノン |
|---|---|
| FIFAコンフェデレーションズカップ | 銀 2001 日韓 |
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「明神智和」(版 111285662)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
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