概要
ルート・クロル(Ruud Krol、1949年3月24日生)は、アムステルダム出身の元サッカー選手。ポジションはDF。オランダでは1969年から通算83試合4得点を記録している。クラブでは公式戦通算661試合31得点(1968-69 シーズン以降)。クラブ・代表で通算44個のタイトルを獲得、個人賞は26回(オンズ・ド・オンズ 5回)。
ルート・ヨセフ・クロル(Rudolf "Ruud" Josef Krol, 1949年3月24日 - )は、オランダ・アムステルダム出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(左サイドバック、スウィーパー)。
クラブ経歴
クラブ
クロルは1968年にアヤックス・アムステルダムでキャリアを開始した。デビュー当初は出場機会に恵まれなかったが、1969年夏に左サイドバックのテオ・ファン・ダイフェンボーデがフェイエノールトへ移籍すると、出場機会を掴みレギュラーとなった。
リヌス・ミケルス監督の下、ヨハン・クライフらと共にチームを牽引、リーグ優勝7回、カップ優勝4回、UEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)優勝3回、インターコンチネンタルカップ優勝1回など数多くのタイトルを獲得。1970-71シーズンのUEFAチャンピオンズカップ決勝は、足の骨折のため出場出来なかったが、翌1971-72と1972-73シーズンでは決勝に出場し大会三連覇に貢献するなど、アヤックスの黄金時代を支えた。
その後、クライフとヨハン・ニースケンスが新天地を求めてクラブを去り、1974年10月にピート・カイザーが引退すると主将としてアヤックスを牽引。1979年のバロンドール(欧州年間最優秀選手賞)ではケビン・キーガン、カール=ハインツ・ルンメニゲに次ぐ第3位に選ばれている。
1980年に北米サッカーリーグのバンクーバー・ホワイトキャップス 、イタリアのSSCナポリを渡り歩き、1986年にフランスのASカンヌ(当時リーグ・ドゥ所属)で現役を引退した。
引退後
引退後は指導者の道へ進み、1994年にエジプトのアル・ザマレクの監督に就任。エジプトカップ優勝1回(1999年)、 アフリカチャンピオンズカップ(CAFチャンピオンズリーグの前身)優勝1回(1996年)、アフロアジアクラブ選手権優勝1回(1997年)に導いた。
2000年からはオランダ代表のコーチを務め、ルイス・ファン・ハール監督を補佐。2002年からはロナルド・クーマン監督の下で古巣のアヤックスでコーチに就任し、2005年にクーマンが監督を辞任すると暫定監督を務めた。2008年から2011年まで南アフリカのオーランド・パイレーツFCの監督を務めた。2012年からチュニジア・リーグのCSスファクシアンの監督に就任。2013年9月、チュニジア代表の監督に就任した。2014 FIFAワールドカップ・アフリカ3次予選のみの短期間の契約であり、CSスファクシアン監督との兼任となる。
代表経歴
オランダ代表
オランダ代表としては1969年11月5日のイングランド戦でデビュー。クロルは1970年代のトータルフットボールと呼ばれた戦術の中で中盤からセンターバック、サイドバックを務め、守備能力と果敢なオーバーラップで重要な役割を担った。1974年のワールドカップ・西ドイツ大会では主に左サイドバックとしてプレーし、2次リーグのアルゼンチン戦では1得点。2次リーグ最終戦のブラジル戦では65分にロブ・レンセンブリンクとのパス交換から左サイドを突破、正確なクロスを上げクライフのジャンピングボレーシュートをアシストする活躍を見せた。決勝戦では地元の西ドイツに1-2で敗れ準優勝に終わった。
1978年のワールドカップ・アルゼンチン大会ではリベロを務め、参加を辞退したクライフに代わって主将を務めた。前回大会に続いて決勝進出に導いたが地元のアルゼンチンに延長戦の末1-3で敗れ去った。
1979年5月22日に行われたアルゼンチンとの親善試合で65試合出場を果たし、オランダ代表歴代最多出場記録を更新。1980年のUEFA欧州選手権1980にも出場したが、ワールドカップ・スペイン大会予選ではフランスに競り負け敗退。1983年のUEFA欧州選手権1984予選、スペイン戦を最後に代表から退いた。クロルは国際Aマッチ83試合に出場し4得点を記録した。なお出場記録は2000年6月29日のUEFA欧州選手権2000準決勝、イタリア戦でアーロン・ヴィンターによって塗り替えられるまで歴代最多出場記録であった。
個人成績
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クラブ
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | 大陸大会2 | その他3 | シーズン通算 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1968-69 | 19 | エールディヴィジ | 1 | 0 | — | — | — | — | — | — | 1 | 0 | |
| 1969-70 | 20 | エールディヴィジ | 34 | 2 | 5 | 0 | 10 | 0 | — | — | 48 | 2 | |
| 1970-71 | 21 | エールディヴィジ | 24 | 2 | 4 | 0 | 7 | 0 | — | — | 35 | 2 | |
| 1971-72 | 22 | エールディヴィジ | 33 | 0 | 5 | 0 | 9 | 0 | — | — | 47 | 0 | |
| 1972-73 | 23 | エールディヴィジ | 34 | 3 | 1 | 0 | 7 | 1 | 4 | 0 | 46 | 4 | |
| 1973-74 | 24 | エールディヴィジ | 34 | 3 | 4 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 42 | 3 | |
| 1974-75 | 25 | エールディヴィジ | 24 | 1 | 1 | 0 | 6 | 1 | — | — | 31 | 2 | |
| 1975-76 | 26 | エールディヴィジ | 31 | 3 | 3 | 0 | 6 | 0 | 3 | 0 | 43 | 3 | |
| 1976-77 | 27 | エールディヴィジ | 33 | 1 | — | — | 2 | 1 | — | — | 35 | 2 | |
| 1977-78 | 28 | エールディヴィジ | 34 | 2 | 7 | 0 | 6 | 0 | — | — | 47 | 2 | |
| 1978-79 | 29 | エールディヴィジ | 24 | 2 | 5 | 0 | 6 | 0 | — | — | 35 | 2 | |
| 1979-80 | 30 | エールディヴィジ | 33 | 4 | 6 | 0 | 7 | 4 | — | — | 46 | 8 | |
| 通算 | 339 | 23 | 41 | 0 | 68 | 7 | 9 | 0 | 456 | 30 | |||
| 1980 | 30 | 北米サッカーリーグ | 14 | 0 | — | — | — | — | — | — | 14 | 0 | |
| 通算 | 14 | 0 | — | — | — | — | — | — | 14 | 0 | |||
| 1980-81 | 31 | セリエA | 29 | 1 | — | — | — | — | — | — | 29 | 1 | |
| 1981-82 | 32 | セリエA | 27 | 0 | 6 | 0 | 1 | 0 | — | — | 34 | 0 | |
| 1982-83 | 33 | セリエA | 30 | 0 | 7 | 0 | 4 | 0 | — | — | 41 | 0 | |
| 1983-84 | 34 | セリエA | 21 | 0 | — | — | — | — | — | — | 21 | 0 | |
| 通算 | 107 | 1 | 13 | 0 | 5 | 0 | — | — | 125 | 1 | |||
| 1984-85 | 35 | リーグ・ドゥ* | 34 | 0 | 3 | 0 | — | — | — | — | 37 | 0 | |
| 1985-86 | 36 | リーグ・ドゥ* | 29 | 0 | — | — | — | — | — | — | 29 | 0 | |
| 通算 | 63 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | — | — | 66 | 0 | |||
| キャリア通算 | 523 | 24 | 57 | 0 | 73 | 7 | 9 | 0 | 661 | 31 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 3. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
代表
オランダ としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1969 | 19 | 1 | 0 | |
| 1970 | 20 | 2 | 0 | |
| 1971 | 21 | 2 | 0 | |
| 1972 | 22 | 5 | 0 | |
| 1973 | 23 | 7 | 0 | |
| 1974 | 24 | 14 | 2 | |
| 1975 | 25 | 6 | 0 | |
| 1976 | 26 | 6 | 1 | |
| 1977 | 27 | 6 | 0 | |
| 1978 | 28 | 14 | 1 | |
| 1979 | 29 | 6 | 0 | |
| 1980 | 30 | 6 | 0 | |
| 1981 | 31 | 5 | 0 | |
| 1982 | 32 | 2 | 0 | |
| 1983 | 33 | 1 | 0 | |
| 通算 | 83 | 4 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
所属チーム
クラブ
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1968〜1980 | 18 | |
| 1980 | 30 | |
| 1980〜1984 | 30 | |
| 1984〜1986 | 34 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
代表
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1969〜1983 | 19 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
監督
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 1989〜1990 | 39 | 監督 | |
| 1990〜1990 | 40 | 監督 | |
| 1994〜1995 | 44 | 監督 | |
| 1995〜1996 | 45 | 監督 | |
| 1997〜1999 | 47 | 監督 | |
| 1999〜1999 | 49 | 監督 | |
| 2006〜2007 | 56 | 監督 | |
| 2007〜2008 | 57 | 監督 | |
| 2008〜2011 | 58 | 監督 | |
| 2012〜2013 | 62 | 監督 | |
| 2013〜2013 | 63 | 監督 | |
| 2014〜2014 | 64 | 監督 | |
| 2014〜2014 | 64 | 監督 | |
| 2015〜2015 | 65 | 監督 | |
| 2016〜2016 | 66 | 監督 | |
| 2018〜2019 | 68 | 監督 | |
| 2020〜2020 | 70 | 監督 |
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1980 | 30 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1980 | 30 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1984 | 34 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
タイトル
クラブ
アヤックス(選手)
- エールディヴィジ:6回(1969-70, 1971-72, 1972-73, 1976-77, 1978-79, 1979-80)
- KNVBカップ:4回(1969-70, 1970-71, 1971-72, 1978-79)
- 欧州チャンピオンズカップ:3回(1970-71, 1971-72, 1972-73)
- UEFAスーパーカップ:2回(1972, 1973)
- インターコンチネンタルカップ:1回(1972)
オランダ代表(選手)
- FIFAワールドカップ準優勝:2回(1974, 1978)
その他
- エールディヴィジ:2回(2001-02, 2003-04)
- KNVBカップ:1回(2001-02)
個人
- オンズ・ド・オンズ:5回(1976, 1978, 1979, 1980, 1981)
- セリエA 年間ベストイレブン:1回(1982)
英語の記録名しか確認できないもの(32件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
獲得メダル
英語の記録名しか確認できないもの(1件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ルート・クロル」(版 105688264)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「ルート・クロル」、版 ID 105688264、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%AB
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1374388497、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Ruud_Krol
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
関連項目
- アヤックス
- バンクーバー・ホワイトキャップス
- ナポリ
- カンヌ
- KVメヘレン
- セルヴェット
- エジプト代表 U-23
- エジプト代表
- アル・ザマレク
- アル・ワフダ・アブダビ
- アジャクシオ
- オーランド・パイレーツ
- スファクシアン
- チュニジア代表
- エスペランス
- アル・アハリ
- ラジャ・カサブランカ
- クラブ・アフリカーン
- アル・クウェート
- オランダ
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