「マックスの契約延長に反対票を投じるべきか、長い間考えた。棄権すると決めたのは、会議の最中になってからだった。」
出典:Goal.com 2026年10月24日
SOCCERPEDIA / 選手ページ / ドイツのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日
カール=ハインツ・ルンメニゲ(Karl-Heinz Rummenigge、1955年9月25日生)は、リップシュタット出身の元サッカー選手。ポジションはFW。西ドイツでは1976年から通算95試合45得点を記録している。クラブでは公式戦通算593試合293得点(1974-75 シーズン以降)。クラブ・代表で通算10個のタイトルを獲得、個人賞は54回(ブラボー・オットー 5回、バロンドール 3回)。
カール=ハインツ・ルンメニゲ(Karl-Heinz Rummenigge、1955年9月25日 - )は、ドイツ出身の元サッカー選手。元西ドイツ代表。ポジションはFW。主にブンデスリーガのFCバイエルン・ミュンヘンでプレーした。1980年、1981年と2度のバロンドールを受賞し、その著しい活躍から『ミスターヨーロッパ』とも称えられた。引退後は、バイエルン・ミュンヘンの重職を歴任している。弟のミヒャエル・ルンメニゲはJリーグ、浦和レッズでもプレーした。
1955年、ノルトライン=ヴェストファーレン州リップシュタットに生まれた。1963年、地元のボルシア・リップシュタットでサッカーを始めた。子供の頃のアイドルはサンドロ・マッツォーラだった。10代の頃、ここでの活躍はドイツ国内で知れ渡るようになっていた。
18歳の頃にはバイエルン・ミュンヘン、シャルケ04、ボルシア・ドルトムントなど、ブンデスリーガの14チームからオファーを受けた。一番最初のオファーはバイエルンであったが、周囲の人間たちからは、バイエルンはいい選手が揃っているので、加入しても出場出来ないだろうと言われ、ボルシア・リップシュタットの監督に相談したところ、バイエルンに行くことを勧められた。1974-75シーズン、デットマール・クラマーの勧誘によりバイエルン・ミュンヘンに入団。 ブンデスリーガへのデビューは、1974年8月24日のオッフェンバッハ戦。9月7日、ポカールのVfBシュトゥットガルト戦で公式戦でのプロ初ゴールを決めた。リーグ第4節の1.FCケルン戦でブンデスリーガ初ゴールを決めた。このシーズンは、リーグ戦の25試合に出場、4得点。また、同シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは、4試合に出場し、無得点であったが、大会初優勝を果たした。
1975-76シーズンからレギュラーポジションを掴み、UEFAチャンピオンズカップ連覇。インターコンチネンタルカップでも優勝。このシーズンの公式戦50試合に出場、13得点を決めた。10月6日ウェールズ戦で西ドイツ代表デビューを飾った。
1976-77シーズン、インターコンチネンタルカップを連破、このシーズンの公式戦42試合で15得点を挙げた。1977-78シーズン、1977年11月にクラマー監督は解任され、チームはリーグ12位、UEFAカップもベスト16止まりであった。個人としては、公式戦38試合で14得点を決めた。 1979-80シーズン、リーグ戦では第34節のアイントラハト・ブラウンシュヴァイク戦でのハットトリックを含む、トータルで26ゴールを決め、初のブンデスリーガ得点王を獲得した。
1980-81シーズン、リーグ戦では第12節の1.FCニュルンベルク戦、第28節のMSVデュースブルク戦、第33節のボルシア・メンヒェングラートバッハ戦と3度のハットトリックを含む、29ゴールを決め、2度目のブンデスリーガ得点王を獲得した。また、12月にはバロンドール受賞。
1981-82シーズン、2年連続でバロンドール受賞。ブンデスリーガ、DFBポカールの二冠達成した。ポカール決勝の1.FCニュルンベルク戦では1ゴール1アシストを決めて優勝に貢献した。このシーズン、チャンピオンズカップでは、決勝でアストンヴィラに敗れた。1982-83シーズン、公式戦42試合で21得点を決めた。
1983-84シーズン、リーグ戦では第7節のSVヴァルトホーフ・マンハイム戦でハットトリックを、第21節のオッフェンバッハ戦では4ゴールを挙げ、第22節のブレーメン戦では弟のミヒャエルと共にゴールを決めるなど、トータルで26ゴールを決め、ブンデスリーガで3度目の得点王を獲得。ブンデスリーガ、DFBポカール二冠を達成。このシーズンの公式戦42試合で32得点を記録した。このシーズンでバイエルンを退団、以降母国のクラブでプレーすることは無かった。ブンデスリーガでは通算310試合162ゴール、ポカールでは42試合25ゴールの成績を残した。
1984-85シーズン、インテル・ミラノからオファーを受け、8月に、600万ユーロでイタリアのインテルへ移籍。この金額は当時、ディエゴ・マラドーナに次いで、史上2番目に高額な移籍金であった。ここではアルトヴェリ、リアム・ブレイディとチームの攻撃を担った。8月22日のコッパ・イタリア、S.P.A.L.戦で移籍後初ゴールを挙げた。セリエA第8節のユヴェントスとのイタリアダービーでセリエA初ゴールを含む2ゴールを挙げた。移籍1年目は、リーグ戦26試合で8得点に終わったが、コッパ・イタリアで5得点、UEFAカップでの5得点を決めた。UEFAカップでは準決勝まで進んだが、レアル・マドリードに敗れた。2シーズン目にはリーグ戦では24試合で13ゴール、年間トータルでは19ゴールを挙げたが、3シーズン目はアキレス腱の怪我に悩まされ、年間トータルで僅か24試合6ゴールに終わった。インテルからは、契約延長を提示されず、チームを去ることとなった。
1987年、スイスのセルヴェットFCへ移籍し、2シーズン活躍した後の1989年に、33歳で現役を引退。
1990年からドイツ公共放送連盟(ARD)の解説者を務めた。翌1991年、バイエルン・ミュンヘンに副会長として復帰、2002年、フランツ・ベッケンバウアーの後任として同クラブの最高経営責任者(CEO)に就任。2021年6月をもって勇退した。
2004年に、ペレが選ぶ偉大なサッカー選手100人(FIFA100)に選出される。
西ドイツ代表では、1976年10月6日ウェールズ戦でデビュー。1977年10月8日のイタリア戦で代表初ゴールを挙げた。
1978年、ワールドカップアルゼンチン大会では1次リーグのメキシコ戦でワールドカップ初出場を果たし、2ゴールを決め、2次リーグのオーストリア戦でも1ゴールを決めたが、2次リーグで敗退し、準決勝には進出出来ず、6試合3得点
1980年のUEFA欧州選手権では決勝のベルギー戦でホルスト・ルベッシュの決勝ゴールをアシストして優勝に貢献した。
ワールドカップスペイン大会では1次リーグのアルジェリア戦で1ゴール、チリ戦ではハットトリックを決め、準決勝のフランス戦の延長戦でもゴールを決め、決勝進出したが、決勝のイタリア戦ではゴールを決められず、チームも敗れて準優勝に終わった。
1986年、ワールドカップメキシコ大会決勝のアルゼンチン戦でもゴールを決めたが、2-3と敗れた。大会後代表を引退、同試合が代表最後の出場であった。
1982年、1986年大会とも怪我を抱えながらの出場ながら、3大会で計19試合に出場して9ゴールを挙げ、2度決勝に進出したが、どちらの大会とも敗れ準優勝に終わった。代表通算では95試合45ゴールの成績を残した。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「マックスの契約延長に反対票を投じるべきか、長い間考えた。棄権すると決めたのは、会議の最中になってからだった。」
出典:Goal.com 2026年10月24日
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | 大陸大会2 | その他3 | シーズン通算 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1974-75 | 18 | ブンデスリーガ | 21 | 5 | 3 | 1 | 4 | 0 | — | — | 28 | 6 | |
| 1975-76 | 19 | ブンデスリーガ | 32 | 8 | 7 | 2 | 9 | 3 | 2 | 0 | 50 | 13 | |
| 1976-77 | 20 | ブンデスリーガ | 31 | 12 | 5 | 2 | 6 | 1 | 4 | 0 | 46 | 15 | |
| 1977-78 | 21 | ブンデスリーガ | 29 | 8 | 3 | 0 | 6 | 6 | — | — | 38 | 14 | |
| 1978-79 | 22 | ブンデスリーガ | 34 | 14 | 2 | 0 | — | — | — | — | 36 | 14 | |
| 1979-80 | 23 | ブンデスリーガ | 34 | 26 | 3 | 5 | 10 | 5 | — | — | 47 | 36 | |
| 1980-81 | 24 | ブンデスリーガ | 34 | 29 | 3 | 4 | 8 | 6 | — | — | 45 | 39 | |
| 1981-82 | 25 | ブンデスリーガ | 32 | 14 | 7 | 7 | 9 | 6 | — | — | 48 | 27 | |
| 1982-83 | 26 | ブンデスリーガ | 34 | 20 | 2 | 0 | 6 | 1 | — | — | 42 | 21 | |
| 1983-84 | 27 | ブンデスリーガ | 29 | 26 | 7 | 4 | 6 | 2 | — | — | 42 | 32 | |
| 通算 | 310 | 162 | 42 | 25 | 64 | 30 | 6 | 0 | 422 | 217 | |||
| インテル・ミラノ | 1984-85 | 28 | セリエA | 26 | 8 | 9 | 5 | 9 | 5 | — | — | 44 | 18 |
| 1985-86 | 29 | セリエA | 24 | 13 | 6 | 2 | 9 | 3 | — | — | 39 | 18 | |
| 1986-87 | 30 | セリエA | 14 | 3 | 5 | 2 | 5 | 1 | — | — | 24 | 6 | |
| 通算 | 64 | 24 | 20 | 9 | 23 | 9 | — | — | 107 | 42 | |||
| 1987-88 | 31 | ナツィオナールリーガA | 28 | 10 | — | — | — | — | — | — | 28 | 10 | |
| 1988-89 | 32 | ナツィオナールリーガA | 32 | 24 | — | — | 4 | 0 | — | — | 36 | 24 | |
| 通算 | 60 | 34 | — | — | 4 | 0 | — | — | 64 | 34 | |||
| キャリア通算 | 434 | 220 | 62 | 34 | 91 | 39 | 6 | 0 | 593 | 293 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 3. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
西ドイツ としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1976 | 20 | 2 | 0 | |
| 1977 | 21 | 6 | 1 | |
| 1978 | 22 | 12 | 4 | |
| 1979 | 23 | 8 | 5 | |
| 1980 | 24 | 10 | 4 | |
| 1981 | 25 | 11 | 9 | |
| 1982 | 26 | 13 | 9 | |
| 1983 | 27 | 10 | 8 | |
| 1984 | 28 | 8 | 1 | |
| 1985 | 29 | 6 | 3 | |
| 1986 | 30 | 9 | 1 | |
| 通算 | 95 | 45 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1974〜1984 | 18 | |
| 1984〜1987 | 28 | |
| 1987〜1989 | 31 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1976〜1986 | 20 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1984 | 28 | インテル・ミラノ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1987 | 31 | インテル・ミラノ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
英語の記録名しか確認できないもの(18件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
代表チームで獲得したメダルです(金1・銀2)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| UEFA欧州選手権 | 金 1980 イタリア |
|---|---|
| FIFAワールドカップ | 銀 1982 スペイン銀 1986 メキシコ |
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「カール=ハインツ・ルンメニゲ」(版 109387878)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。