概要
フアン・セバスティアン・ベロン(Juan Sebastián Verón、1975年3月9日生)は、アルゼンチン出身の元サッカー選手。ポジションはMF(ミッドフィールダー)。アルゼンチンでは1996年から通算72試合9得点を記録している。クラブでは公式戦通算657試合78得点(1993-94 シーズン以降)。クラブ・代表で通算21個のタイトルを獲得、個人賞は17回(アルゼンチン年間最優秀選手賞 2回)。
フアン・セバスティアン・ベロン(Juan Sebastián Verón、1975年3月9日 - )は、アルゼンチン・ブエノスアイレス州・ラ・プラタ出身のサッカー選手。アルゼンチン代表であった。
通称はセバス (Sebas)、セバ (Seba)、愛称はブルヒータ(La Brujita=小さな魔法使い)。
クラブ経歴
アルゼンチン時代
1975年3月9日、アルゼンチン・ブエノスアイレス州のラ・プラタに生まれた。1993年、地元のクラブであり、かつて父ラモンも在籍した、エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタでプロサッカー選手としてのキャリアを始めた。プロ1年目の1993-94シーズンはわずか7試合の出場に留まったが、プリメーラB・ナシオナル(2部)に降格して迎えた1994-95シーズンはチームのレギュラーとなり、主力として活躍した。
1996年、同じブエノスアイレスに本拠地を構える名門ボカ・ジュニアーズに移籍し、ここでも優れた活躍を見せた。ボカにはディエゴ・マラドーナやキリ・ゴンサレス、クラウディオ・カニーヒアなどの名選手が在籍していた。
1996年6月20日のポーランド戦でアルゼンチン代表デビューを飾った。同年にはアトランタオリンピックに参加し、銀メダルを獲得した。彼の活躍は欧州でも知られるところとなり、イタリア・セリエAのUCサンプドリアへ移籍。ボカ・ジュニアーズで出場したのはわずか17試合のみであった。
パルマ
1998年のフランスワールドカップではアルゼンチンの中心選手としてプレーし、全5試合にフル出場、大会最多タイの記録となる3つのアシストを決めるなど、ベスト8進出に貢献した。ワールドカップ後、パルマACへ移籍した。当時のパルマは1990年代後半より積極的な戦力補強を進め、イタリアの新勢力としての地位を固めつつあった。また、ベロンと同じアルゼンチン代表選手であり、同じクラブを渡り歩くことになるエルナン・クレスポが在籍していた。クレスポとは公私に渡る親友として知られている。1998-99シーズンにはチームの中心としてコッパ・イタリアとUEFAカップの2冠を達成に貢献した。
ラツィオ
1999年夏には、SSラツィオに移籍した。前年度のUEFAカップウィナーズカップ王者としてUEFAスーパーカップに出場し、タイトルを獲得した。1999-2000シーズンは大きな活躍を見せ、セリエAとコッパ・イタリア、スーペルコッパ・イタリアーナの3冠を飾った。2000年夏にはパルマ時代の同僚であるクレスポが加入した。この時期には、イタリア市民権を得るために偽造パスポートを使用したという疑惑が浮上したが、サッカー連盟は無実を認定した。
マンチェスター・ユナイテッド
2001年7月、イングランドのマンチェスター・ユナイテッドFCへ移籍。移籍金はイングランド史上最高の2810万ポンド(約50億円)であったといわれる。移籍当初は怪我や異国でのプレースタイルの違いもあったのか、これまでのような活躍ができなかった。2002年日韓ワールドカップにアルゼンチン代表のキャプテンとして臨んだが、グループリーグ敗退に終わり、批判を浴びた。2002-03シーズン、プレミアリーグで優勝したが、本来の実力は発揮できなかった。
チェルシー
2003年夏にチェルシーFCへ移籍した。チェルシーはこの年、ロシア人の大資産家ロマン・アブラモヴィッチがオーナーに就任し、金に物を言わせた補強政策をとっていた。クレスポもチェルシーに引き抜かれ、3度目のチームメイトとなった。このシーズンも怪我に悩まされた。2004年3月、ペレが選ぶFIFA 100(偉大なサッカー選手100人)に選出された。2004年夏にイタリア・セリエAのインテルへレンタル移籍した。クレスポはACミランへ移籍し、ベロンのライバルとなった。
エストゥディアンテス復帰
ボカ・ジュニアーズやCAリーベル・プレートなどのビッグクラブからのオファーもあったが 、2006年6月、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートしたエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタに復帰した。12月、優勝決定戦でボカ・ジュニアーズを破り、23年ぶりに国内リーグ優勝を果たした。2007年、ベネズエラで行われたコパ・アメリカで代表復帰し、3ボランチの一角として準優勝に貢献した。代表に復帰してしばらくは、ボールを持つたびにブーイングが浴びせられた。2008年のコパ・スダメリカーナでは決勝でSCインテルナシオナルに敗れたが、準優勝を果たした。2008年12月31日、フアン・ロマン・リケルメやサルバドール・カバニャスらを抑えて南米年間最優秀選手賞を獲得した。2009年のコパ・リベルタドーレス決勝はグループリーグでも対戦したクルゼイロECが相手だった。ホームでの第1戦を0-0で引き分け、優勝は難しいと思われたが、第2戦で0-1の劣勢から2-1と逆転し、自身初の優勝を果たした。クラブ史上39年ぶり4度目の優勝に導いたが、「(自分の給料を)下部組織のために使って欲しい」と40%減俸を受け入れ、契約延長に合意した。
FIFAクラブワールドカップ2009では、決勝で欧州代表のFCバルセロナに敗れて準優勝だったが、この年には2年連続の南米年間最優秀選手賞に輝いた。大会後には世界中のクラブから獲得オファーの打診を受け、中でもインテル時代の恩師ロベルト・マンチーニが率いるマンチェスター・シティFCからは1年契約で700万ポンド(約10億円)という破格のオファーを受けたが、ベロン本人はこの話を固辞し 、エストゥディアンテスへの愛情を示した。
2011年10月7日に引退宣言をしたが、チームメートからの慰留を受け引退を半年遅らせることを決断した。2012年4月にプロのキャリアから引退し、クラブのスポーツディレクターに就任した。同年6月29日、アルゼンチン6部のアマチュアクラブ、アソシアシオン・コロネル・ブランドセンに加入し、2012年シーズンのクラブの優勝に貢献した。
2013年からエストゥディアンテスに復帰。2014年からは一度選手生活から退いてエストゥディアンテスの会長に就任していたが、2016年12月には現役復帰しコパ・リベルタドーレス2017に出場するために同クラブと18カ月の契約にサインした。ベロンは新しくなったスタジアムのボックスシートの65%以上をサポーターが買えば現役復帰すると誓っており、この契約にサインしてサポーターとの約束を果たした 。
代表経歴
代表での出場記録とメダルから組み立てた説明です。
1996年にアルゼンチンでの出場記録が始まり、2010年までに通算72試合9得点を記録した。
人物像
人物
セバスティアンの父フアン・ラモン・ベロンは左ウイングとして活躍したアルゼンチン代表の名選手であった。ラモンもテクニックに優れる選手であり、ファンからはブルッハ(La Bruja = 魔法使い)の愛称で親しまれていた。その才能を確実に受け継いだ息子もそれにちなみブルヒータ(La Brujita = 小さな魔法使い)と呼ばれる。また、アルゼンチンでファンが彼に対して送る応援歌も父のそれと同じく、魔法使いの魔法を期待するものである。
スキンヘッドがトレードマーク。幼少時は荒んだ時期もあったが、サッカー選手として成功を収めてからは故郷に学校を設立するなどの慈愛に溢れた側面も見せる。
個人成績
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
クラブ
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | リーグカップ2 | 大陸大会3 | その他4 | シーズン通算 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1993-94 | 18 | プリメーラ・ディビシオン | 7 | 0 | — | — | — | — | 1 | 0 | — | — | 8 | 0 | |
| 1994-95 | 19 | プリメーラ・ブ・ナシオナル* | 38 | 5 | — | — | — | — | 3 | 1 | — | — | 41 | 6 | |
| 1995-96 | 20 | プリメーラ・ディビシオン | 15 | 2 | — | — | — | — | 1 | 0 | — | — | 16 | 2 | |
| 通算 | 60 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 65 | 8 | |||
| 1995-96 | 20 | プリメーラ・ディビシオン | 17 | 4 | — | — | — | — | 0 | 0 | — | — | 17 | 4 | |
| サンプドリア | 1996-97 | 21 | セリエA | 32 | 5 | 2 | 0 | — | — | — | — | — | — | 34 | 5 |
| 1997-98 | 22 | セリエA | 29 | 2 | 3 | 0 | — | — | 2 | 0 | — | — | 34 | 2 | |
| 通算 | 61 | 7 | 5 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 68 | 7 | |||
| 1998-99 | 23 | セリエA | 26 | 1 | 6 | 3 | — | — | 10 | 0 | — | — | 42 | 4 | |
| 1999-2000 | — | セリエA | 31 | 8 | 4 | 0 | — | — | 11 | 2 | 1 | 0 | 47 | 10 | |
| 2000-01 | 25 | セリエA | 22 | 3 | 2 | 0 | — | — | 7 | 1 | 1 | 0 | 32 | 4 | |
| 通算 | 53 | 11 | 6 | 0 | 0 | 0 | 18 | 3 | 2 | 0 | 79 | 14 | |||
| 2001-02 | 26 | プレミアリーグ | 26 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 13 | 0 | — | — | 40 | 5 | |
| 2002-03 | 27 | プレミアリーグ | 25 | 2 | 1 | 0 | 5 | 0 | 11 | 4 | — | — | 42 | 6 | |
| 通算 | 51 | 7 | 2 | 0 | 5 | 0 | 24 | 4 | 0 | 0 | 82 | 11 | |||
| 2003-04 | 28 | プレミアリーグ | 7 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 6 | 0 | — | — | 14 | 1 | |
| インテル・ミラノ | 2004-05 | 29 | セリエA | 24 | 3 | 5 | 0 | — | — | 10 | 0 | — | — | 39 | 3 |
| 2005-06 | 30 | セリエA | 25 | 0 | 0 | 0 | — | — | 9 | 0 | 1 | 1 | 35 | 1 | |
| 通算 | 49 | 3 | 5 | 0 | 0 | 0 | 19 | 0 | 1 | 1 | 74 | 4 | |||
| 2006-07 | 31 | プリメーラ・ディビシオン | 30 | 2 | — | — | — | — | — | — | — | — | 30 | 2 | |
| 2007-08 | 32 | プリメーラ・ディビシオン | 18 | 7 | — | — | — | — | 8 | 2 | — | — | 26 | 9 | |
| 2008-09 | 33 | プリメーラ・ディビシオン | 18 | 3 | — | — | — | — | 24 | 2 | — | — | 42 | 5 | |
| 2009-10 | 34 | プリメーラ・ディビシオン | 27 | 4 | — | — | — | — | 9 | 1 | 2 | 0 | 38 | 5 | |
| 2010-11 | 35 | プリメーラ・ディビシオン | 24 | 2 | — | — | — | — | 6 | 0 | 2 | 0 | 32 | 2 | |
| 2011-12 | 36 | プリメーラ・ディビシオン | 20 | 2 | — | — | — | — | 1 | 0 | — | — | 21 | 2 | |
| 2013-14 | 38 | プリメーラ・ディビシオン | 22 | 0 | — | — | — | — | — | — | — | — | 22 | 0 | |
| 2016-17 | 41 | プリメーラ・ディビシオン | 0 | 0 | — | — | — | — | 5 | 0 | — | — | 5 | 0 | |
| キャリア通算 | 483 | 61 | 24 | 3 | 6 | 0 | 137 | 13 | 7 | 1 | 657 | 78 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 3. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 4. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
代表
アルゼンチン としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1996 | 20 | 1 | 0 | |
| 1997 | 21 | 8 | 1 | |
| 1998 | 22 | 13 | 0 | |
| 1999 | 23 | 4 | 1 | |
| 2000 | 24 | 10 | 3 | |
| 2001 | 25 | 8 | 2 | |
| 2002 | 26 | 6 | 1 | |
| 2003 | 27 | 5 | 1 | |
| 2004 | 28 | 0 | 0 | |
| 2005 | 29 | 0 | 0 | |
| 2006 | 30 | 0 | 0 | |
| 2007 | 31 | 5 | 0 | |
| 2008 | 32 | 1 | 0 | |
| 2009 | 33 | 6 | 0 | |
| 2010 | 34 | 5 | 0 | |
| 通算 | 72 | 9 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
所属チーム
ユース
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1993〜1994 | 17 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
クラブ
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1994〜1996 | 18 | |
| 1996 | 20 | |
| 1996〜1998 | 20 | |
| 1998〜1999 | 22 | |
| 1999〜2001 | 23 | |
| 2001〜2003 | 25 | |
| 2003〜2007 | 27 | |
| 2004〜2005 | 28 | |
| 2006〜2007 | 30 | |
| 2007〜2012 | 31 | |
| 2012〜2013 | 36 | |
| 2013〜2014 | 37 | |
| 2017 | 41 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
代表
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1991〜1992 | 15 | |
| 1996〜2010 | 20 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1996 | 20 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1996 | 20 | サンプドリア | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1998 | 22 | サンプドリア | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1999 | 23 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2001 | 25 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2003 | 27 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2004 | 28 | インテル・ミラノ | 期限付き移籍 | — | 期間・移籍金は未確認 | |
| 2006-07 | 31 | 期限付き移籍 | — | |||
| 2007 | 31 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2012 | 36 | ブランドセン | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 2013 | 37 | ブランドセン | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
日本語版 Wikipedia(経歴)・API-Football(移籍データ)。移籍の有無と移籍先は日本語版 Wikipedia の情報欄、日付・形態・移籍金は API-Football の掲載値。億円換算は ECB レート(2026-10-21 時点)
人物相関
所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。
指導を受けた監督
本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。
| 監督 | クラブ・代表 | 在任 |
|---|---|---|
| クラウディオ・ラニエリ | 2000年9月〜2004年6月 | |
| ジョゼ・モウリーニョ | 2004年7月〜2007年9月 | |
| ヘラルド・マルティーノ | 2014年8月〜2016年7月 | |
| リオネル・スカローニ | 2018年8月〜 |
日本語名を確認できない監督 4 人は掲載していません。
タイトル
クラブ
エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ
- プリメーラ・ディビシオン:2回(2006, 2010)
- FIFAクラブワールドカップ準優勝:1回(2009)
パルマ
- コッパ・イタリア:1回(1998-99)
- UEFAカップ:1回(1998-99)
ラツィオ
- セリエA:1回(1999-2000)
- コッパ・イタリア:1回(1999-2000)
- スーペルコッパ・イタリアーナ:1回(2000)
- UEFAスーパーカップ:1回(1999)
マンチェスター・ユナイテッド
- プレミアリーグ:1回(2002-03)
インテル
- セリエA:1回(2005-06)
- コッパ・イタリア:2回(2004-05, 2005-06)
- スーペルコッパ・イタリアーナ:1回(2005)
代表
アルゼンチン代表
- コパ・アメリカ準優勝:1回(2007)
個人
- ESM チーム・オブ・ザ・イヤー:1回(1999-2000)
- プレミアリーグ月間最優秀選手:1回(2001)
- FIFA 100(偉大な選手100人)
- アルゼンチン年間最優秀選手賞:2回(2006, 2009)
英語の記録名しか確認できないもの(14件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「フアン・セバスティアン・ベロン」(版 110678004)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- API-Football(移籍データ)、2026年10月22日 取得 https://www.api-football.com/
- API-Football(選手・監督データ)、2026年10月26日 取得 https://www.api-football.com/
- Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「フアン・セバスティアン・ベロン」、版 ID 110678004、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%90%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AD%E3%83%B3
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1379338027、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Juan_Sebasti%C3%A1n_Ver%C3%B3n
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
関連項目
- エストゥディアンテス
- ボカ・ジュニアーズ
- サンプドリア
- パルマ
- ラツィオ
- マンチェスター・ユナイテッド
- チェルシー
- インテル・ミラノ
- ブランドセン
- アルゼンチン
- アルゼンチン U-17
- プリメーラ・ディビシオン
- FIFAクラブワールドカップ準優勝
- コッパ・イタリア
- UEFAカップ
- セリエA
- スーペルコッパ・イタリアーナ
- UEFAスーパーカップ
- プレミアリーグ
- コパ・アメリカ準優勝
掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。