ダヴォル・シューケル

SOCCERPEDIA / 選手ページ / クロアチアのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

クロアチアダヴォル・シューケル(Davor Šuker、1968年1月1日生)は、オシエク出身の元サッカー選手。ポジションはFW。クロアチアでは1992年から通算68試合45得点を記録している。クラブでは公式戦通算527試合240得点(1985-86 シーズン以降)。クラブ・代表で通算8個のタイトルを獲得、個人賞は30回。

ダヴォール・シューケル(Davor Šuker、1968年1月1日 - )は、ユーゴスラビア・オシエク(現・クロアチア)出身の元サッカー選手。ポジションはFW。選手時代はサッカーユーゴスラビア代表、サッカークロアチア代表として選出されている。クロアチア代表としては最多の通算45得点を挙げている。2021年までクロアチアサッカー連盟会長を務めた。スーケルと表記されることもある。

クラブ経歴

クラブ経歴

1982年にユーゴスラビアのクラブ・NKオシエクでキャリアをスタート。1989年にNKディナモ・ザグレブへ移籍。2年間でリーグ60試合に出場、34得点を記録した。ここでの活躍により、ユーゴスラビア代表に呼ばれる。

1991年、セビージャへと移籍。11月17日のエスパニョール戦にてデビューを果たす。移籍初年度は22試合で6ゴールだったものの、翌年には開幕戦でアルバセテ相手にハットトリックを記録するなど33試合で13ゴールを挙げた。1993-94シーズンはロマーリオに次ぐリーガ24得点を挙げた。1996年にレアル・マドリードへと移る。そのシーズンには3度のハットトリックを含む再び24ゴールを挙げ、リーグ優勝に貢献した。1998年にはクラブの約30年振りとなるUEFAチャンピオンズリーグ優勝に貢献したが、当時のレアル・マドリードはラウル・ゴンサレス、フェルナンド・モリエンテス、プレドラグ・ミヤトヴィッチらフォワードの選手層が厚く、なかなか出場機会を得られなかった事もあってイングランド・プレミアリーグへ活躍の場を求める。

1999-00シーズン、アーセナルへと移籍。8月22日のマンチェスター・ユナイテッド戦で途中出場という形でプレミアリーグデビューを飾り、アストン・ヴィラにてリーグ初得点を含む2ゴールを挙げた。2000年のUEFAカップ決勝では途中出場、PK戦まで縺れ込むも第1キッカーを務めたシューケルが失敗。その後、第3キッカーであるパトリック・ヴィエラも失敗し、ガラタサライに敗退してしまった。

翌シーズン、ウェストハム・ユナイテッドへと移り1年間プレー。2001年に名古屋グランパスが獲得に動いたが、ドイツ・ブンデスリーガのTSV1860ミュンヘンへ移籍。2003年に選手生活に終止符を打った。

引退後

引退後は、首都ザグレブでサッカースクール「ダヴォール・シューケル サッカーアカデミー」を発足させ、若手選手の成長を見守っていた。しかし、裕福な家庭の子供を相手にしたアカデミーはクロアチアの人に受け入れられず、現在は閉鎖している。

代表経歴

代表経歴

1987年ワールドユースでは、全6試合6得点の活躍で優勝に大きく貢献した。1988年には、ソウルオリンピックに出場。1991年2月27日のトルコ戦でユーゴスラビア代表としてデビューし、1990年のワールドカップ・イタリア大会の代表メンバーにも選出された。

1992年にクロアチアが独立すると、シューケルもクロアチア代表として活躍する。内戦によりクラブチームこそ海外に移籍したものの、UEFA EURO '96では当時世界最高のゴールキーパーと言われたピーター・シュマイケルの頭上を越す鮮やかなループシュートを決めるなど3得点を挙げ、クロアチアをベスト8に押し上げた。

初のワールドカップ出場となった1998年のワールドカップ・フランス大会では、グループリーグ第2戦の日本代表戦での決勝ゴールを含む、大会得点王となる6得点を挙げクロアチアの3位入賞に貢献した。

2002年のワールドカップ・日韓大会にも出場しワールドカップ2大会連続出場を果たしたが、メキシコ代表1試合のみの出場に留まり(無得点)、チームもグループリーグ敗退に終わった。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1リーグカップ2大陸大会3その他4シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
クロアチアオシエク1985-8617ユーゴスラビア・ファーストリーグ*103————————103
1986-8718ユーゴスラビア・ファーストリーグ*269————————269
1987-8819ユーゴスラビア・ファーストリーグ*2910————————2910
1988-8920ユーゴスラビア・ファーストリーグ*2618————————2618
通算9140————————9140
D・ザグレブ1989-9021ユーゴスラビア・ファーストリーグ*281234——21——3317
1990-9122ユーゴスラビア・ファーストリーグ*3222————20——3422
1991-9223ユーゴスラビア・ファーストリーグ*——————10——10
通算603434——51——6839
スペインセビージャ1991-9223ラ・リーガ22643——————269
1992-9324ラ・リーガ331320——————3513
1993-9425ラ・リーガ342473——————4127
1994-9526ラ・リーガ321723——————3420
1995-9627ラ・リーガ321631——64——4121
通算153761810——64——17790
スペインレアル・マドリード1996-9728ラ・リーガ382455——————4329
1997-9829ラ・リーガ291011——74203915
1998-9930ラ・リーガ19420——61——275
通算863886——1352010949
イングランドアーセナル1999-2000—プレミアリーグ2283011132——3911
イギリスアカデミーオブフットボール2000-0132プレミアリーグ1120021————133
1860ミュンヘン2001-0233ブンデスリーガ14432——————176
2002-0334ブンデスリーガ11121——————132
通算25553——————308
キャリア通算448203372332371220527240

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 3. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 4. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

クロアチア としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19922412
19932511
19942655
19952778
199628106
19972974
1998301312
19993194
20003240
20013382
20023431
通算6845

年代別代表(Yugoslavia)の出場は「経歴」の表に記載しています。年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
198416クロアチアオシエク

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム
1984〜198916クロアチアオシエク
1989〜199121クロアチアD・ザグレブ
1991〜199623スペインセビージャ
1996〜199928スペインレアル・マドリード
1999〜200031イングランドアーセナル
2000〜200132イングランドウェストハム
2001〜200333ドイツ1860ミュンヘン

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
198719ユーゴスラビア U-20
1988〜199020ユーゴスラビア U-21
198820ユーゴスラビア U-23
1990〜199122ユーゴスラビア
1990〜200222クロアチアクロアチア

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
198921クロアチアオシエクD・ザグレブ移籍—形態・移籍金は未確認
199123D・ザグレブスペインセビージャ移籍—形態・移籍金は未確認
199628スペインセビージャスペインレアル・マドリード移籍—形態・移籍金は未確認
199931スペインレアル・マドリードイングランドアーセナル移籍—形態・移籍金は未確認
200032イングランドアーセナルイングランドウェストハム移籍—形態・移籍金は未確認
200133イングランドウェストハム1860ミュンヘン移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

人物相関

所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。

指導を受けた監督

本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。

監督クラブ・代表在任
アーセン・ヴェンゲルイングランドアーセナル1996年9月〜2018年5月
フース・ヒディンクスペインレアル・マドリード1998年7月〜1999年3月
ビセンテ・デル・ボスケスペインレアル・マドリード1999年11月〜2003年6月

タイトル

クラブ

レアル・マドリード

アーセナル

その他

個人

英語の記録名しか確認できないもの(20件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(金1・銀1・銅1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

FIFA U-20ワールドカップ金 1987
UEFA U-21欧州選手権銀 1990
FIFAワールドカップ銅 1998

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ダヴォール・シューケル」(版 107206959)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
  2. Wikipedia(日本語版)「ダヴォール・シューケル」、版 ID 107206959、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%AB
  3. Wikipedia(英語版)、版 ID 1376298033、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Davor_%C5%A0uker

※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。

掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。