概要
ウーヴェ・ゼーラー(Uwe Seeler、1936年11月5日 - 2022年7月21日)は、ハンブルク出身の元サッカー選手。ポジションはFW。西ドイツでは1954年から通算72試合43得点を記録している。クラブでは公式戦通算581試合492得点(1954-55 シーズン以降)。クラブ・代表で通算5個のタイトルを獲得、個人賞は12回。
ウーヴェ・ゼーラー(Uwe Seeler, 1936年11月5日 - 2022年7月21日)は、ドイツ・ハンブルク出身の元サッカー選手。西ドイツ代表。選手時代のポジションはフォワード。
クラブ経歴
選手時代
ゼーラーは1946年に9歳の時にハンブルガーSVの下部組織に入団しサッカーを学んだ。1953年に18歳でトップチームへ昇格を果たし、翌1954年のDFBポカール、対ホルシュタイン・キール戦でデビューを飾り、この試合で4得点を決めた(試合は8-2でハンブルクの勝利)。
当時のドイツのサッカー選手の給与水準は低く、トップクラスの選手の中には国外へ活躍の場を求める者もいた。ゼーラーに対してもイタリアやスペインから高額のオファーが届いたが、現役生活を一貫してハンブルガーSVの為に出場を続けた。ハンブルクではドイツ選手権優勝1回(1960年)、DFBポカール優勝2回(1960年、1963年)に貢献。彼自身もブンデスリーガ創設初年度の1963-64シーズンに30得点を挙げ得点王を獲得するなど、ブンデスリーガ通算239試合に出場し137得点、またヨーロッパのカップ戦において29試合21得点を記録した。これらの活躍からドイツ年間最優秀選手賞を3度(1960年、1964年、1970年)受賞した。
ゼーラーは1972年に現役を引退したが、1978年にアイルランドのの選手として公式戦1試合に出場し2得点を記録した。ゼーラーは選手生活を通じて509試合に出場した。なお、この記録はドイツ歴代最多記録となっている。
西ドイツ代表としては1954年10月16日にデビュー。1958年のワールドカップ・スウェーデン大会4位、1962年のワールドカップ・チリ大会ベスト8、1966年のワールドカップ・イングランド大会準優勝、1970年のワールドカップ・メキシコ大会3位入賞に貢献した。また、参加した4つの大会全てで複数ゴールを挙げた。これは同じドイツのミロスラフ・クローゼと合わせて2人しか達成していない。1970年9月に代表から退くまで、国際Aマッチ72試合に出場し43得点を記録した。
また、1962年から1970年の長きに渡って西ドイツ代表のキャプテンを務め、引退後の1972年にドイツサッカー協会(DFB)から2人目のドイツ代表名誉キャプテンに選ばれた。
引退後
引退後の1995年に古巣であるハンブルガーSVの会長に就任した。しかし、1998年に財政的なスキャンダルが発覚すると、ゼーラー自身は関与をしていなかったものの、責任を問われる形で会長職を辞任した。
代表経歴
代表での出場記録とメダルから組み立てた説明です。
1954年に西ドイツでの出場記録が始まり、1970年までに通算72試合43得点を記録した。
人物像
人物
1950年代後半から1970年代のドイツを代表するサッカー選手。小柄で太めな体形からは想像もつかない程の俊敏さとジャンプ力、ボールの落下点に絶妙に合わせる得点感覚、旺盛な闘争心を持ち合わせていた。
現役生活を一貫してハンブルガーSVで過ごし、クラブ史上最も成功した選手であると共にシンボル的存在であった。引退後の現在もハンブルクでは「Uns Uwe」(私達のウーヴェ)と親しみを込めて呼ばれている。また2005年8月にはホームスタジアムのAOLアレナ(現、HSHノードバンク・アレナ)の前に彼の銅像が立てられた。
西ドイツ代表としては4度のFIFAワールドカップに参加し21試合に出場した。この記録は1998年に同じドイツのローター・マテウスによって塗り替えられるまで世界記録であった。
父親のと兄のもハンブルガーSVで出場したサッカー選手である。孫のレヴィン・エズトゥナリもサッカー選手で1.FCウニオン・ベルリンに所属している。
個人成績
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
クラブ
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 大陸大会1 | シーズン通算 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1954-55 | 17 | 1 | 1 | 2 | — | — | 32 | 31 | |
| 1955-56 | 18 | 4 | 2 | 2 | — | — | 36 | 37 | |
| 1956-57 | 19 | 2 | 1 | 0 | — | — | 31 | 33 | |
| 1957-58 | 20 | 2 | — | — | — | — | 28 | 26 | |
| 1958-59 | 21 | 5 | 1 | 0 | — | — | 32 | 34 | |
| 1959-60 | 22 | 13 | 1 | 0 | — | — | 34 | 49 | |
| 1960-61 | 23 | 8 | — | — | 7 | 5 | 36 | 42 | |
| 1961-62 | 24 | 4 | — | — | — | — | 30 | 32 | |
| 1962-63 | 25 | 2 | 4 | 6 | — | — | 38 | 40 | |
| 1963-64 | 26 | — | 2 | 2 | 6 | 5 | 38 | 37 | |
| 1964-65 | 27 | — | 1 | 1 | — | — | 20 | 15 | |
| 1965-66 | 28 | — | 2 | 1 | — | — | 25 | 12 | |
| 1966-67 | 29 | — | 5 | 3 | — | — | 28 | 13 | |
| 1967-68 | 30 | — | 1 | 0 | 9 | 8 | 40 | 20 | |
| 1968-69 | 31 | — | 3 | 1 | 4 | 3 | 40 | 27 | |
| 1969-70 | 32 | — | 2 | 0 | 2 | 0 | 34 | 17 | |
| 1970-71 | 33 | — | 2 | 3 | 1 | 0 | 28 | 12 | |
| 1971-72 | 34 | — | 4 | 3 | — | — | 30 | 14 | |
| 通算 | 32 | 24 | 29 | 21 | 580 | 490 | |||
| 1977-78 | 40 | — | — | — | — | — | 1 | 2 | |
| キャリア通算 | 32 | 24 | 29 | 21 | 581 | 492 | |||
1. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
代表
西ドイツ としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1954 | 17 | 3 | 0 | |
| 1955 | 18 | 0 | 0 | |
| 1956 | 19 | 1 | 0 | |
| 1957 | 20 | 0 | 0 | |
| 1958 | 21 | 9 | 5 | |
| 1959 | 22 | 5 | 6 | |
| 1960 | 23 | 5 | 4 | |
| 1961 | 24 | 6 | 5 | |
| 1962 | 25 | 7 | 2 | |
| 1963 | 26 | 3 | 3 | |
| 1964 | 27 | 3 | 4 | |
| 1965 | 28 | 1 | 1 | |
| 1966 | 29 | 12 | 7 | |
| 1967 | 30 | 3 | 1 | |
| 1968 | 31 | 1 | 0 | |
| 1969 | 32 | 3 | 0 | |
| 1970 | 33 | 10 | 5 | |
| 通算 | 72 | 43 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
所属チーム
ユース
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1946〜1953 | 9 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
クラブ
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1953〜1972 | 16 | |
| 1978 | 41 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
代表
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1954〜1970 | 17 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1978 | 41 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
タイトル
クラブ
ハンブルガーSV
- DFBポカール:1回(1962-63)
- UEFAカップウィナーズカップ準優勝:1回(1967-68)
西ドイツ代表
- FIFAワールドカップ準優勝:2回(1966, 1970)
個人
- キッカー誌 ブンデスリーガ シーズンベストイレブン:1回(1969-70)
- FIFA 100(偉大な選手100人)
英語の記録名しか確認できないもの(9件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ウーヴェ・ゼーラー」(版 107579778)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「ウーヴェ・ゼーラー」、版 ID 107579778、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1366177681、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Uwe_Seeler
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
関連項目
- ハンブルガーSV
- コーク・セルティック
- 西ドイツ
- DFBポカール
- UEFAカップウィナーズカップ準優勝
- FIFAワールドカップ準優勝
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