「最初は、彼が代表監督なのか、それともまだサッカー解説者なのかを考えなければならなかった。いかにも解説者らしいコメントだった。」
「代表監督は、自分が何を言っているのかを正確に分かっていなければならないと思う。まさに今起きているように、その言葉が私たちの間で議論を呼ぶ可能性があるからだ。」
「ケインが自分のペナルティーエリア付近でプレーしていたのは、正直に言って控えめに言っても疑問だった。」
出典:Goal.com 2026年10月23日
SOCCERPEDIA / 選手ページ / ドイツのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日
オリバー・カーン(Oliver Kahn、1969年6月15日生)は、カールスルーエ出身の元サッカー選手。ポジションはGK。ドイツでは1995年から通算86試合0得点を記録している。クラブでは公式戦通算780試合0得点(1987-88 シーズン以降)。クラブ・代表で通算29個のタイトルを獲得、個人賞は34回(キッカー誌 ブンデスリーガ シーズンベストイレブン 2回、ESM チーム・オブ・ザ・イヤー 2回)。
オリバー・カーン(Oliver Rolf Kahn, 1969年6月15日 - )は、西ドイツ・カールスルーエ出身の元サッカー選手。ポジションはGK。
野性味のあるプレーと風貌で人気選手となった。またエリア外からのシュートはめったに入らず世界最高のゴールキーパーと呼ばれていた。ドイツサッカー界でも最も多くのタイトルを獲得した選手の一人であり、同時にドイツ社会で発言力を持つサッカー選手の一人である。ゼップ・マイヤーやハラルト・シューマッハーらと共にドイツサッカー史に残るGKの一人であり、欧州サッカー連盟が選ぶ歴代欧州サッカー選手ベスト50の中に、当時現役のゴールキーパーでは唯一選出された。
祖父母はラトビア出身。父もそこで生まれ、第二次世界大戦後にドイツへ来た。祖父が誕生日にGKのユニフォームを買ってくれたのがGKを目指した理由と述べている。
16歳の時にはクラブチームの加入試験にことごとく落ちる。カールスルーエに加入するまでは筋力トレーニングなど雌伏の時期を過ごした。カールスルーエでは数年かかって正GKの座を確保した。
ブンデスリーガやUEFAカップでの活躍が認められ、1994年、名門バイエルン・ミュンヘンへ移籍。初年度は味方ディフェンダーのクフォーと衝突し膝の十字靱帯を切断したためシーズンを棒に振ったが、翌年からは活躍を見せた。コンスタントにレベルの高いパフォーマンスを見せ、バイエルン・ミュンヘンのGKコーチ、ゼップ・マイヤーの下でワールドクラスのGKに成長した。
1998-99シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝は、終了直前の3分間に2失点を喫し、マンチェスター・ユナイテッドに敗れた。1999-00シーズン以降、4年連続で欧州最優秀ゴールキーパーに選出されている。またドイツサッカー雑誌「キッカー」の選手ランキングでも幾度も「ワールドクラス」の評価を得ており、1999年から2003年頃までドイツの各テレビや雑誌では世界ナンバーワンGKと紹介された。
2000-01シーズンには自らの活躍により、バイエルンをUEFAチャンピオンズリーグ優勝に導き、2年前の雪辱を果たした。2002 FIFAワールドカップ後は、。
バイエルン・ミュンヘンとの契約が切れた2008年限りで現役を引退。2008年9月2日、ミュンヘンで引退記念試合が行われ、21年間の現役生活に終止符を打った。
引退後はサッカー解説者やブンデスリーガのアンバサダーとして活動していたが、2020年1月から古巣のバイエルン・ミュンヘンに執行役員として復帰。翌2021年7月からはカール=ハインツ・ルンメニゲの後任として、同クラブの最高経営責任者(CEO)に就任した。しかし2023年5月、バイエルンがリーグ11連覇を達成した直後、CEOを解任された。
ドイツ代表では、FIFAワールドカップを4回経験している。しかし、1994年大会にはボド・イルクナー、1998年大会にはアンドレアス・ケプケと、共に世界レベルのゴールキーパーの存在が大きくサブに甘んじ、正キーパーとして出場できたのは2002年大会のみである。2006年大会では、守備範囲が広くハイボールに強いイェンス・レーマンとの正ゴールキーパーのポジション争いに敗れ、サブGKとして参加。3位決定戦のみの出場となった。
代表のレギュラーとして初めて国際大会に出場したのはUEFA欧州選手権2000。しかし、この大会では実力を発揮することができず、ドイツはグループリーグで敗退した。
2002 FIFAワールドカップにはキャプテンとして参加した。ドイツは2001年9月1日にミュンヘンで行われた日韓ワールドカップ地区予選、イングランド戦でマイケル・オーウェンのハットトリックなど5失点を喫し1-5で完敗するなど、苦戦の末の本大会出場ということもあって下馬評は高くなかった。しかし、ワールドカップ本選ではカーンはファインセーブを連発。。自身は決勝戦においてブラジル代表のジウベルト・シウバとの接触プレーにより靭帯損傷の怪我を負うが、そのままプレーを続行する気迫を見せた。最終的には準優勝に終わったものの、ゴールキーパーとして初のワールドカップMVPを獲得した。また、この年に自身3度目となる世界最優秀ゴールキーパー賞を受賞した。
カーンにとって実質3度目の国際大会となるUEFA欧州選手権2004では、実力を発揮したものの、ドイツは2大会連続のグループリーグ敗退となった。
EURO2004後に就任したユルゲン・クリンスマン監督の方針により、代表GKはローテーション制となり、ドイツワールドカップに向け長年のライバルであったイェンス・レーマンと正GKの座を争う形となったが、2006年4月7日、クリンスマン監督から正式にレーマンが正GKであると発表があった。これにより「正GKとしてワールドカップに出場できないのなら代表を引退する」と公言していたが、「冷静に考えてから答えを出す」とコメントし熟慮の末、代表に参加した。
実質最後のワールドカップといわれた地元開催の2006 FIFAワールドカップでは、正GKとなったレーマンの控えとなったが「たとえ試合に出られなくても貢献できることはある」と自身でコメントしたように、延長戦ではレーマンを含めた他のチームメイトを励ますなどチームを盛り上げる姿を見せた。そして2006年7月8日(日本時間9日)に行われた3位決定戦では先発出場。ケガのため欠場したバラックに代わって主将を務めると共に、好セーブを連発してチームの勝利に貢献した。この試合終了後、代表引退を正式に表明した。
相手のシュートに対する反応の鋭さ、味方への正確なロングパス、チームメートを引っ張るリーダーシップを持つなど、優れたゴールキーパーであり、存在感もあった。2021年1月にマヌエル・ノイアーに記録を更新されるまでリーグの最多クリンシート(無失点試合)記録を保持していた。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「最初は、彼が代表監督なのか、それともまだサッカー解説者なのかを考えなければならなかった。いかにも解説者らしいコメントだった。」
「代表監督は、自分が何を言っているのかを正確に分かっていなければならないと思う。まさに今起きているように、その言葉が私たちの間で議論を呼ぶ可能性があるからだ。」
「ケインが自分のペナルティーエリア付近でプレーしていたのは、正直に言って控えめに言っても疑問だった。」
出典:Goal.com 2026年10月23日
「今は誰にも何かを勧めることはできない。決められるのは本人だけだ。」
「36歳、37歳、38歳になると、私自身も経験したが、体は回復に時間がかかる。ミスはあちこちで起こるものだ。」
「いずれ、そして今それが少しずつ見えてきているが、それは本人の決断ではなく他人の決断になる。これほど素晴らしいキャリアに、そんなものは必要ない。」
出典:Goal.com 2026年10月16日
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 大陸大会1 | その他2 | シーズン通算 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1987-88 | 18 | 0 | — | — | — | — | — | — | 2 | 0 | |
| 1988-89 | 19 | 0 | — | — | — | — | — | — | 2 | 0 | |
| 1989-90 | 20 | 0 | — | — | — | — | — | — | 0 | 0 | |
| 1990-91 | 21 | 0 | — | — | — | — | — | — | 22 | 0 | |
| 1991-92 | 22 | 0 | — | — | — | — | — | — | 39 | 0 | |
| 1992-93 | 23 | 0 | — | — | — | — | — | — | 39 | 0 | |
| 1993-94 | 24 | 0 | — | — | 10 | 0 | — | — | 44 | 0 | |
| 通算 | — | — | 10 | 0 | — | — | 148 | 0 | |||
| 1994-95 | 25 | 0 | — | — | 5 | 0 | 1 | 0 | 30 | 0 | |
| 1995-96 | 26 | 0 | — | — | 12 | 0 | — | — | 46 | 0 | |
| 1996-97 | 27 | 0 | — | — | 2 | 0 | — | — | 38 | 0 | |
| 1997-98 | 28 | 0 | 2 | 0 | 8 | 0 | — | — | 50 | 0 | |
| 1998-99 | 29 | 0 | 2 | 0 | 13 | 0 | — | — | 51 | 0 | |
| 1999-2000 | — | 0 | 0 | 0 | 13 | 0 | — | — | 45 | 0 | |
| 2000-01 | 31 | 0 | 2 | 0 | 16 | 0 | — | — | 52 | 0 | |
| 2001-02 | 32 | 0 | 1 | 0 | 12 | 0 | 2 | 0 | 51 | 0 | |
| 2002-03 | 33 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | — | — | 45 | 0 | |
| 2003-04 | 34 | 0 | 1 | 0 | 8 | 0 | — | — | 46 | 0 | |
| 2004-05 | 35 | 0 | 2 | 0 | 10 | 0 | — | — | 49 | 0 | |
| 2005-06 | 36 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | — | — | 44 | 0 | |
| 2006-07 | 37 | 0 | 1 | 0 | 9 | 0 | — | — | 43 | 0 | |
| 2007-08 | 38 | 0 | 2 | 0 | 9 | 0 | — | — | 42 | 0 | |
| 通算 | 13 | 0 | 130 | 0 | 3 | 0 | 632 | 0 | |||
| キャリア通算 | 13 | 0 | 140 | 0 | 3 | 0 | 780 | 0 | |||
1. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 2. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
ドイツ としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1995 | 25 | 2 | 0 | |
| 1996 | 26 | 3 | 0 | |
| 1997 | 27 | 3 | 0 | |
| 1998 | 28 | 7 | 0 | |
| 1999 | 29 | 6 | 0 | |
| 2000 | 30 | 10 | 0 | |
| 2001 | 31 | 10 | 0 | |
| 2002 | 32 | 15 | 0 | |
| 2003 | 33 | 9 | 0 | |
| 2004 | 34 | 11 | 0 | |
| 2005 | 35 | 7 | 0 | |
| 2006 | 36 | 3 | 0 | |
| 通算 | 86 | 0 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1975〜1987 | 5 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1987〜1990 | 17 | |
| 1987〜1994 | 17 | |
| 1994〜2008 | 24 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1994〜2006 | 24 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1994 | 24 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
英語の記録名しか確認できないもの(15件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
代表チームで獲得したメダルです(金1・銀1・銅2)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| UEFA欧州選手権 | 金 1996 イングランド |
|---|---|
| FIFAワールドカップ | 銀 2002 日韓銅 2006 ドイツ |
| FIFAコンフェデレーションズカップ | 銅 2005 ドイツ |
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「オリバー・カーン」(版 110012433)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。