エドガー・ダービッツ

SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / オランダのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

スリナムエドガー・ダービッツ(Edgar Davids、1973年3月13日生)は、Suriname出身の元サッカー選手。ポジションはMF(ミッドフィールダー)。オランダでは1994年から通算74試合6得点を記録している。クラブ・代表で通算21個のタイトルを獲得、個人賞は5回。

エドガー・スティーヴン・ダーヴィッツ(Edgar Steven Davids, 1973年3月13日 - )は、オランダの元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF(アンカー)。元オランダ代表。

クラブ経歴

クラブ経歴

アムステルダムにあるアヤックスの下部組織、アヤックス・アカデミーを経た後、1991-92シーズンデビュー。

1994-95シーズンにはパトリック・クライファート、ヤリ・リトマネン(フィンランド代表)等と共に20歳の若さで、ACミランを下しUEFAチャンピオンズリーグを制覇する。その後トヨタカップにも訪日、グレミオをPK戦の末下して優勝した。翌年のUEFAチャンピオンズリーグも決勝まで勝ち進んだが、ユベントスに敗れた。

その活躍が認められ1996年にはイタリア、セリエAのビッグクラブ、ACミランに移籍。入団1年目は15試合に出場。2年目は開幕直後にペルージャ戦でGKと交錯して骨折した。その後、1997年にミラン首脳陣との確執を理由に、シーズン半ばに同セリエAのユヴェントスに移籍した。

1997-98シーズン途中加入ながらスクデット(当時25回目)に多大な貢献をしてチームメイトの皆が信頼を寄せた。

1999年、 ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で81位に選出された。2000年には薬物使用(筋肉増強剤ナンドロロン)に引っかかり出場停止となってしまう。本人は「緑内障の治療薬に含まれる成分が原因」とコメントしているがオランダ代表だったフランク・デ・ブールも同時期に同様の薬を服用したとして出場停止処分を受けている。

ユヴェントスとの契約は2001年までの予定であった。しかしながら、2004年6月まで延長となる。この契約更新後、両者の関係は悪化していく。CLでのアーセナル戦において、当時監督のマルチェロ・リッピが彼を休養させる為、クロアチア代表でもあるイゴール・トゥドールを起用すると、この起用策に怒りを露わにした彼は生中継中のカメラに「ゲームに出さないなら、チームを俺は離れるだけだ!!」とぶちまけた。これにユヴェントス首脳陣はダービッツに多額の罰金を科し、関係はますます悪化した。

2002年、ダーヴィッツはローマにもラブコールを送っているなどともささやかれた。ローマは高く彼を評価し、一時は移籍も話に出たがモッジGMはそうはさせず白紙となる。2003-04シーズンはブレシアから、若手のガーナ人、ステファン・アッピアーの入団によりポジションを奪われ、プレーするのは重要度の低い試合ばかりとなる。プレミアシップの強豪、チェルシーの大物会長ロマン・アブラモビッチからの多額のオファーもあったが、彼は首を縦に振らなかった。

一方、当時の代表監督ディック・アドフォカートはアヤックス時代エドガーが共にプレーしたこともある、FCバルセロナの監督のフランク・ライカールトにレンタルという名案を提案する。これを首脳陣も快く納得しスペイン、リーガ・エスパニョーラのFCバルセロナへと新天地も求めた。こうして2004年1月11日に正式に移籍が発表される。これでダーヴィッツはEUROまでの十分な環境を手に入れた。これは両チームにおいても効果的であったことは間違いない。1月17日、アスレティック・ビルバオ戦(結果1-1)にデビュー。ダービッツの加入によってバルセロナの中盤の守備がしっかり安定し、不振に苦しむチームをリーグ2位に押し上げる最大の原動力となった。

その後2004年7月、シーズン終了後に大量補強をにらんだイタリア、セリエAのインテルへ完全移籍、その戦場を移す事となる。しかし、序盤戦はスタメン出場をしたものの、徐々に戦術の関係で出場機会は少なくなり、同ポジションの豊富な選手層もそれに追い討ちをかけた。次第にマンチーニ監督との関係も悪化し、インテルを退団。2005年にイングランドのトットナムに移籍した。入団一年目はトットナムの好成績を後押しする形での貢献をしたが、2年目になると、コートジボワール代表で“パスマイスター”の異名を持つディディエ・ゾコラの入団、台頭もあって出場機会が減少。そのこともあってか、出場機会を求め、2007年1月に古巣アヤックスへ11年ぶりに復帰した。2007-08シーズン開幕前のプレーシーズンマッチゴー・アヘッド・イーグルス戦にプロテクターを付けずに出場、案の定左足脛骨を骨折し長期の離脱を余儀なくされた。2008年6月にアヤックスからリリースされ、約2年間のブランクを経て2010年8月にイングランド、フットボールリーグ・チャンピオンシップのクリスタル・パレスへ移籍するも、同年11月に退団した。

2012年10月、フットボールリーグ2のバーネットFCに選手兼任監督として加入すると発表された。

2013年12月28日に行われたソールズベリー・シティFC戦で2枚目のイエローカードを受けて退場処分、試合後審判への不満から現役引退を表明した。

2021年1月4日、SCオリャネンセの監督に就任した。しかし、7か月後に解任となった。

代表経歴

代表経歴

オランダ代表としては1994年4月20日に行われたアイルランド代表との国際親善試合でデビュー。

1998年のフランスワールドカップでは6試合に出場、決勝トーナメント1回戦ユーゴスラビア代表戦では試合終了間際にミドルシュートを叩き込み勝利に貢献した。

EURO2000にもフランク・ライカールト監督に率いられて全試合に出場しベスト4進出に貢献した。

しかし、ルイス・ファン・ハール監督に率いられた2002年W杯欧州予選ではチームの低迷(ファン・ニステルローイの離脱等)からその姿を日本、韓国に現すことは出来なかった。

2004年EURO2004 ポルトガル大会では、準決勝ポルトガル戦まで駒を進めた。その後、代表監督ディック・アドフォカートが退任しマルコ・ファン・バステンが代表監督に就任。彼はエドガーを代表キャプテンに指名したが、インテルでの出場機会の激減により、2005年10月12日に行われた2006 FIFAワールドカップ・予選のマケドニア代表戦を最後に代表から遠ざかった。また、2006年ワールドカップでは、代表候補まで選ばれたが、最後に落選して出場することはなかった。

人物像

人物

国籍はオランダであるが、生まれは南米のスリナム共和国。代表のチームメイトでもあるクラレンス・セードルフやジミー・フロイド・ハッセルバインクも同国出身である。

2000年、左目に緑内障を発症し失明の危険もあったが、手術により克服し特殊防護ゴーグルを着用することとなった。そのゴーグルは彼のトレードマークとなっている。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1リーグカップ2大陸大会3その他4シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
オランダアヤックス1991-9218エールディヴィジ132————30——162
1992-9319エールディヴィジ28455——83——4112
1993-9420エールディヴィジ15210——52——214
1994-9521エールディヴィジ22520——70——315
1995-9622エールディヴィジ28760——11130488
通算10620145003463015731
イタリアミラン1996-9723セリエA15040——4110241
1997-9824セリエA4020——————60
通算19060004110301
イタリアユヴェントス1997-9824セリエA20230——50——282
1998-9925セリエA27241——9010413
1999-2000—セリエA27130——50——351
2000-0127セリエA26110——50——321
2001-0228セリエA28220——90——392
2002-0329セリエA26100——15100412
2003-0430セリエA5020——5000120
通算1598151005311022811
スペインバルセロナ2003-0430ラ・リーガ18120——————201
インテル・ミラノ2004-0531セリエA14040——50——230
イングランドトッテナム2005-0632プレミアリーグ3110000————311
2006-0733プレミアリーグ90003010——130
通算40100301000441
オランダアヤックス2006-0733エールディヴィジ11130——0000141
2007-0834エールディヴィジ14000——0000140
通算25130000000311
イングランドクリスタル・パレス2010-1137チャンピオンシップ60——10————70
イングランドバーネット2012-1339リーグ・ツー*2811000————291
2013-1440カンファレンス・プレミア*801000——10100
通算36120000010391

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 3. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 4. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

オランダ としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19942010
19952140
19962240
19972300
199824111
19992563
200026120
20012760
20022862
20032990
200430140
20053110
通算746

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

監督成績

在任別・通算

英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1372838345)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。

在任期間年齢チーム試合勝分敗勝率
2012.10〜2014.0139イングランドバーネット6825182536.8%
2021.01〜2021.0747ポルトガルオリャネンセ1885544.4%
通算8633233038.4%

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
1985〜199111オランダアヤックス

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム
1991〜199617オランダアヤックス
1996〜199722イタリアミラン
1997〜200423イタリアユヴェントス
200430スペインバルセロナ
2004〜200530イタリアインテル・ミラノ
2005〜200731イングランドトッテナム
2007〜200833オランダアヤックス
201036イングランドクリスタル・パレス
2012〜201438イングランドバーネット

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
1992〜199418オランダオランダ U-21
1994〜200520オランダオランダ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
2012〜201438イングランドバーネット監督
2021〜202147ポルトガルオリャネンセ監督
2022〜202248オランダオランダ代表監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
199622オランダアヤックスイタリアミラン移籍—形態・移籍金は未確認
199723イタリアミランイタリアユヴェントス移籍—形態・移籍金は未確認
200430インテル・ミラノスペインバルセロナ期限付き移籍—期間・移籍金は未確認
200430イタリアユヴェントスインテル・ミラノ移籍—形態・移籍金は未確認
200531インテル・ミラノイングランドトッテナム移籍—形態・移籍金は未確認
200733イングランドトッテナムオランダアヤックス移籍—形態・移籍金は未確認
201036オランダアヤックスイングランドクリスタル・パレス移籍—形態・移籍金は未確認
201238イングランドクリスタル・パレスイングランドバーネット移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

人物相関

所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。

共にプレーした選手

同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。

選手クラブ期間シーズン 
ジャマル・ロウイングランドバーネット20121

指導を受けた監督

本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。

監督クラブ・代表在任
ルイ・ファン・ハールオランダアヤックス1991年9月〜1997年6月
マルチェロ・リッピイタリアユヴェントス2001年7月〜2004年6月

日本語名を確認できない監督 1 人は掲載していません。

タイトル

クラブ

アヤックス

ユヴェントス

インテル

個人

英語の記録名しか確認できないもの(6件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「エドガー・ダーヴィッツ」(版 110462856)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. API-Football(選手・監督データ)、2026年10月25日 取得 https://www.api-football.com/
  2. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  3. Wikipedia(日本語版)「エドガー・ダーヴィッツ」、版 ID 110462856、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84
  4. Wikipedia(英語版)、版 ID 1372838345、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Edgar_Davids

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