概要
デニス・ベルカンプ(Dennis Bergkamp、1969年5月10日生)は、アムステルダム出身の元サッカー選手。ポジションはFW。オランダでは1990年から通算79試合37得点を記録している。クラブでは公式戦通算736試合264得点(1986-87 シーズン以降)。クラブ・代表で通算20個のタイトルを獲得、個人賞は29回(プレミアリーグ月間最優秀選手 4回、バロンドール 2位 2回)。
デニス・ベルカンプ(Dennis Nicolaas Maria Bergkamp、1969年5月10日 - )は、オランダの首都アムステルダム出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはFW。「アイスマン」、「アンフライング・ダッチマン」のニックネームを持つ。現役時代は芸術的なファーストタッチからゴールを脅かし続けた。
クラブ経歴
アヤックス
11歳の時にWilskrachtでプレーしていたベルカンプはアヤックスにトレーニング参加を打診されたが、「当時アヤックスを傲慢なクラブと思っていた」という理由で拒否。しかし1年後に同意し、12歳でアヤックスのユースに入ったベルカンプは、ヨハン・クライフに才能を見出され1986-87シーズン、1986年12月14日のローダJC戦でトップチームにデビューを果たした。2月のハーレム戦で初ゴールを決めた。クライフが監督を退くと満足な出場機会を得られない時期もあったが、アヤックスで1990年から3年連続得点王に輝いた。1991-92シーズンのUEFAカップ決勝では得点こそ挙げられなかったが、PKを奪取する活躍で優勝に貢献、大会通算では6ゴールを挙げた。アヤックスでは239試合に出場し、122ゴールを挙げた。
インテル
1993-94シーズン、当時としてはかなり高額な移籍金約20億円で、大きな期待を受けて、アヤックスと代表でチームメートであったヴィム・ヨンクと共にインテルに移籍。アヤックスでは、攻撃的MFとしてプレーしていたが、インテルではセカンドストライカーとしての起用されることとなった。UEFAカップにおいてはFCラピド・ブカレストでのハットトリックを含む、11試合8ゴールを決める活躍でUEFAカップ獲得の原動力となった。国内リーグでは第3節のクレモネーゼ戦で移籍後初ゴールを決めたが、合計8ゴール(PKで5ゴール)全く能力を発揮できず、ルベン・ソサとのコンビネーションも全く噛み合わず、チームは13位と、何とかセリエB降格を免れる始末だった。1994-95シーズンは開幕のトリノFC戦でゴールを決める良いスタートを切ったが、次第にベンチを温める様にもなり、リーグ戦では僅か2ゴールに終わった。
アーセナル
チェルシーへの移籍話が進み、既にロンドンに滞在していたが、金銭的理由で移籍が破談になり、急遽代理人がアーセナルへ売り込みをかけ、アーセナルに移籍しチームの中心として活躍。97~98シーズン、01~02シーズンの二冠等に貢献。また、2003-2004シーズンには無敗でプレミアリーグを制するなど、一時代を築いた。
2005-06シーズン終了をもって引退を表明した。自身がプロデビューを果たしたチームであるアヤックス・アムステルダムとアーセナルの対戦で引退試合が行われ、オランダの往年の名選手であるヨハン・クライフ、元オランダ代表監督マルコ・ファン・バステン、元FCバルセロナ監督フランク・ライカールト、そしてジョバンニ・ファン・ブロンクホルストやパトリック・ヴィエラ、ティエリ・アンリ、デビッド・シーマン、エマニュエル・プティ、エドガー・ダーヴィッツなどが出場し、数多くのサッカー関係者がこの日のために駆けつけた。。また、クライフとファン・バステンは当初スタンドから観戦していたが、後半から当時のアヤックスのユニフォーム姿で実際にピッチに立ち、ベルカンプとプレイしている。なお、この試合はアーセナルの新スタジアムのエミレーツ・スタジアムのこけら落しとして行われた。
引退後
2008-2009シーズンから古巣アヤックスに指導者として復帰し、コーチングライセンス獲得を目指しはじめた。
アヤックスのビロード革命の結果、ベルカンプは『クラブカルチャーの番人』として2011年夏からトップチームでヘニー・スパイケルマンと共にフランク・デ・ブールのアシスタントコーチに就任。クラブのスポーツ面の方針を決定するテクニカル・ハートのメンバーにもなった。2016年夏にピーター・ボスが監督に就任した際もアシスタントに留まったが、このシーズンはベンチには座っていない。ボスが1シーズンで去った後もマルセル・カイザーのアシスタントとして留まったが、ベンチには座らず、アウェーゲームにも帯同しなかった。ボスが1シーズンでアヤックスを去ったのは、ベルカンプらとの衝突でクラブ運営陣から十分な支持が得られなかったことが理由と報道され、ベルカンプは衝突自体を否定したが、カイザーの監督就任を強く主張した本人と言われていたこともあり、2017-2018シーズン前半のアヤックスが不安定だった最大の責任者として、毎試合のようにベルカンプは、アヤックス・サポーターからのブーイングを受けることになった。2017年12月21日にシーズン前半戦の不安定な成績から現状のテクニカル・スタッフでは立て直しが困難との理由で、既に形骸化していたテクニカル・ハートの残りメンバーで対立関係にあったマルク・オーフェルマルスによってカイザー、スパイケルマンと共に解任された。その後契約解除は不当だと長く争っていたが、結局KNVBの仲裁委員会に持ち込まれることは無く、協議の末に2018年7月20日に弁護士のハロ・クナイフが、契約にある金銭による契約解除条件を理由に公式にアヤックスを去ることが決まったと認めた。
代表経歴
代表経歴
オランダ代表としては、UEFA EURO 1992に出場、合計3ゴールを挙げ、大会の得点王になった。また94年アメリカ大会では5試合で3得点を挙げるなど、準々決勝まで進出した。1998年フランス大会では、準々決勝アルゼンチン戦で完璧なトラップから賞賛されるゴールなど、7試合で3ゴールを挙げただけでなく、大会最多タイの記録となる3つのアシストを決め、準決勝まで進出したが、前回大会と同じくブラジルに破れた。EURO 2000の準決勝でイタリアに敗れ、代表引退を発表した。
個人成績
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
クラブ
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | リーグカップ2 | 大陸大会3 | その他4 | シーズン通算 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1986-87 | 17 | エールディヴィジ | 14 | 2 | 5 | 0 | — | — | 4 | 0 | — | — | 23 | 2 | |
| 1987-88 | 18 | エールディヴィジ | 25 | 5 | 1 | 0 | — | — | 6 | 1 | 2 | 0 | 34 | 6 | |
| 1988-89 | 19 | エールディヴィジ | 30 | 13 | 3 | 3 | — | — | 1 | 0 | — | — | 34 | 16 | |
| 1989-90 | 20 | エールディヴィジ | 25 | 8 | 2 | 1 | — | — | 1 | 0 | — | — | 28 | 9 | |
| 1990-91 | 21 | エールディヴィジ | 33 | 25 | 3 | 1 | — | — | 0 | 0 | — | — | 36 | 26 | |
| 1991-92 | 22 | エールディヴィジ | 30 | 24 | 3 | 0 | — | — | 11 | 6 | — | — | 44 | 30 | |
| 1992-93 | 23 | エールディヴィジ | 28 | 26 | 4 | 4 | — | — | 8 | 3 | — | — | 40 | 33 | |
| 通算 | 185 | 103 | 21 | 9 | — | — | 31 | 10 | 2 | 0 | 239 | 122 | |||
| インテル・ミラノ | 1993-94 | 24 | セリエA | 31 | 8 | 6 | 2 | — | — | 11 | 8 | — | — | 48 | 18 |
| 1994-95 | 25 | セリエA | 21 | 3 | 3 | 0 | — | — | 2 | 1 | — | — | 26 | 4 | |
| 通算 | 52 | 11 | 9 | 2 | — | — | 13 | 9 | — | — | 74 | 22 | |||
| 1995-96 | 26 | プレミアリーグ | 33 | 11 | 1 | 0 | 7 | 5 | — | — | — | — | 41 | 16 | |
| 1996-97 | 27 | プレミアリーグ | 29 | 12 | 2 | 1 | 2 | 1 | 1 | 0 | — | — | 34 | 14 | |
| 1997-98 | 28 | プレミアリーグ | 28 | 16 | 7 | 3 | 4 | 2 | 1 | 1 | — | — | 40 | 22 | |
| 1998-99 | 29 | プレミアリーグ | 29 | 12 | 6 | 3 | 1 | 0 | 3 | 1 | 1 | 0 | 40 | 16 | |
| 1999-2000 | — | プレミアリーグ | 28 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 11 | 4 | 0 | 0 | 39 | 10 | |
| 2000-01 | 31 | プレミアリーグ | 25 | 3 | 5 | 1 | 0 | 0 | 5 | 1 | — | — | 35 | 5 | |
| 2001-02 | 32 | プレミアリーグ | 33 | 9 | 6 | 3 | 1 | 0 | 6 | 2 | — | — | 46 | 14 | |
| 2002-03 | 33 | プレミアリーグ | 29 | 4 | 4 | 2 | 0 | 0 | 7 | 1 | 1 | 0 | 41 | 7 | |
| 2003-04 | 34 | プレミアリーグ | 28 | 4 | 3 | 1 | 0 | 0 | 6 | 0 | 1 | 0 | 38 | 5 | |
| 2004-05 | 35 | プレミアリーグ | 29 | 8 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 38 | 8 | |
| 2005-06 | 36 | プレミアリーグ | 24 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 4 | 1 | 1 | 0 | 31 | 3 | |
| 通算 | 315 | 87 | 39 | 14 | 16 | 8 | 48 | 11 | 5 | 0 | 423 | 120 | |||
| キャリア通算 | 552 | 201 | 69 | 25 | 16 | 8 | 92 | 30 | 7 | 0 | 736 | 264 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 3. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 4. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
代表
オランダ としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1990 | 20 | 4 | 3 | |
| 1991 | 21 | 5 | 2 | |
| 1992 | 22 | 11 | 7 | |
| 1993 | 23 | 6 | 4 | |
| 1994 | 24 | 11 | 6 | |
| 1995 | 25 | 5 | 1 | |
| 1996 | 26 | 10 | 6 | |
| 1997 | 27 | 5 | 4 | |
| 1998 | 28 | 9 | 3 | |
| 1999 | 29 | 5 | 1 | |
| 2000 | 30 | 8 | 0 | |
| 通算 | 79 | 37 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
所属チーム
ユース
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1975〜1981 | 5 | ゴーゼンミッデンメール |
| 1981〜1986 | 11 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
クラブ
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
代表
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1989 | 19 | |
| 1990〜2000 | 20 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
人物相関
所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。
指導を受けた監督
本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。
| 監督 | クラブ・代表 | 在任 |
|---|---|---|
| ルイ・ファン・ハール | 1991年9月〜1997年6月 | |
| アーセン・ヴェンゲル | 1996年9月〜2018年5月 |
タイトル
クラブ
アヤックス
- エールディヴィジ:1回(1989-90)
- KNVBカップ:2回(1986-87, 1992-93)
- UEFAカップウィナーズカップ:2回(1986-87, 1987-88)
- UEFAカップ:1回(1991-92)
インテル
- UEFAカップ:1回(1993-94)
アーセナル
- プレミアリーグ:3回(1997-98, 2001-02, 2003-04)
- FAカップ:5回(1997-98, 2001-02, 2002-03, 2004-05, 2000-01)
- UEFAチャンピオンズリーグ準優勝:1回(2005-06)
- UEFAカップ準優勝:1回(1999-2000)
個人
- UEFA欧州選手権 大会ベストイレブン:1回(1992)
- バロンドール 2位:2回(1993, 1992)
- プレミアリーグ月間最優秀選手:4回(1997, 1997, 2002, 2004)
- PFA チーム・オブ・ザ・イヤー:1回(1997-98)
- FWA年間最優秀選手:1回(1997-98)
- PFA年間最優秀選手:1回(1997-98)
- BBC シーズン最優秀ゴール:2回(1997-98, 2001-02)
- FIFA 100(偉大な選手100人)
英語の記録名しか確認できないもの(13件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「デニス・ベルカンプ」(版 111329201)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「デニス・ベルカンプ」、版 ID 111329201、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%97
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1379610167、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Dennis_Bergkamp
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
関連項目
- アヤックス
- インテル・ミラノ
- アーセナル
- オランダ
- オランダ U-21
- エールディヴィジ
- KNVBカップ
- UEFAカップウィナーズカップ
- UEFAカップ
- プレミアリーグ
- FAカップ
- UEFAチャンピオンズリーグ準優勝
- UEFAカップ準優勝
- プレミアリーグ月間最優秀選手
- バロンドール 2位
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