概要
ズビグニェフ・ボニエク(Zbigniew Boniek、1956年3月3日生)は、ブィドゴシュチュ出身の元サッカー選手。ポジションはMF。ポーランドでは1976年から通算80試合24得点を記録している。クラブでは公式戦通算419試合113得点(1975-76 シーズン以降)。クラブ・代表で通算9個のタイトルを獲得、個人賞は11回。
ズビグニェフ・ボニエク(, 本名:ズビクニェフ・カジミェシュ・ボニエク、、1956年3月3日 - )は、ポーランド・ビドゴシチ出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはFW、MF。
スピードに優れ、ディエゴ・マラドーナは世界最高のカウンターアタック選手と評した。
クラブ経歴
経歴
地元のサッカークラブ、ザヴィシャ・ビドゴシチでサッカーを学び、1975年にヴィジェフ・ウッチと契約して選手キャリアをスタートさせる。当初はDFとしてプレーしていたが、後にFWへ転身した。1976年にポーランド代表デビューを果たすと1978、1982、1986年と3度のワールドカップ出場に導いた。1978年のワールドカップ・アルゼンチン大会ではメキシコ戦で2ゴールを挙げた。またチームは2次リーグまで進出した。1982年のワールドカップ・スペイン大会ではペルー戦で1ゴール2アシスト、ベルギー戦でハットトリックを決めるなど、チームを準決勝に導いたが、累積警告でイタリア戦には出場出来ず、チームは敗れたが、3位決定戦のフランス戦でも1アシストで勝利に貢献し、チームの3位入賞に貢献、MVP投票で4位に入る活躍で、同年のバロンドール投票では第3位に選ばれた。代表チームでは80試合に出場26ゴールを挙げた。
1982年、イタリアのユヴェントスへ移籍すると直ぐにレギュラーの座を掴み、また特にミシェル・プラティニとは良い連携を見せた。1983-1984シーズンのセリエA優勝、チャンピオンズカップでは決勝でハンブルガーSVに破れた。翌1984-1985シーズンのスーパーカップでは2得点を挙げて優勝。また同年のUEFAチャンピオンズカップ決勝のリヴァプールFC戦では相手DFの裏に抜け出し、PKを奪取、そのPKをプラティニが決め、ユベントスは初の欧州制覇を成し遂げた。それらの活躍によりユヴェントス会長のジャンニ・アニェッリから「 Bello di notte(美しき夜) 」の愛称を与えられた。
その後1985年にASローマへ移籍、1986年にはコッパ・イタリア決勝でサンプドリアを破り優勝、同年のワールドカップ・メキシコ大会ではラウンド16まで進出したが、ブラジルに敗れた。1985-86シーズンは古巣ユベントスに競り負け優勝を逃したがリーグで2位に貢献、1987-88シーズンを最後に現役引退をした。
引退後は指導者の道へ進み、主にイタリアの地方クラブで指揮を執った後に、2002年7月からはポーランド代表監督に就任したが同年12月に退任している。その後はイタリアの放送局 Rai Due の Domenica Sportiva という番組で解説者を務めていたが、2012年ポーランドサッカー協会の代表に就任した。2019年にはイタリアサッカー界の殿堂入りも果たした。
代表経歴
代表での出場記録とメダルから組み立てた説明です。
1976年にポーランドでの出場記録が始まり、1988年までに通算80試合24得点を記録した。
代表で獲得したメダルはFIFAワールドカップ銅(1982 スペイン)。
個人成績
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
クラブ
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | 大陸大会2 | シーズン通算 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1975-76 | 19 | エクストラクラサ* | 27 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 27 | 7 | |
| 1976-77 | 20 | エクストラクラサ* | 24 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 25 | 9 | |
| 1977-78 | 21 | エクストラクラサ* | 30 | 11 | 2 | 1 | 4 | 3 | 36 | 15 | |
| 1978-79 | 22 | エクストラクラサ* | 28 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 29 | 5 | |
| 1979-80 | 23 | エクストラクラサ* | 26 | 10 | 2 | 1 | 2 | 1 | 30 | 12 | |
| 1980-81 | 24 | エクストラクラサ* | 11 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | 16 | 1 | |
| 1981-82 | 25 | エクストラクラサ* | 26 | 8 | 3 | 2 | 2 | 0 | 31 | 10 | |
| 通算 | 172 | 50 | 9 | 5 | 13 | 4 | 194 | 59 | |||
| 1982-83 | 26 | セリエA | 28 | 5 | 12 | 3 | 9 | 2 | 49 | 10 | |
| 1983-84 | 27 | セリエA | 27 | 3 | 6 | 2 | 9 | 4 | 42 | 9 | |
| 1984-85 | 28 | セリエA | 26 | 6 | 6 | 3 | 10 | 3 | 42 | 12 | |
| 通算 | 81 | 14 | 24 | 8 | 28 | 9 | 133 | 31 | |||
| ローマ | 1985-86 | 29 | セリエA | 29 | 7 | 5 | 1 | 0 | 0 | 34 | 8 |
| 1986-87 | 30 | セリエA | 26 | 4 | 6 | 4 | 2 | 0 | 34 | 8 | |
| 1987-88 | 31 | セリエA | 21 | 6 | 3 | 1 | 0 | 0 | 24 | 7 | |
| 通算 | 76 | 17 | 14 | 6 | 2 | 0 | 92 | 23 | |||
| キャリア通算 | 329 | 81 | 47 | 19 | 43 | 13 | 419 | 113 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
代表
ポーランド としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1976 | 19 | 6 | 2 | |
| 1977 | 20 | 11 | 1 | |
| 1978 | 21 | 12 | 5 | |
| 1979 | 22 | 10 | 3 | |
| 1980 | 23 | 5 | 2 | |
| 1981 | 24 | 6 | 3 | |
| 1982 | 25 | 8 | 4 | |
| 1983 | 26 | 3 | 1 | |
| 1984 | 27 | 6 | 1 | |
| 1985 | 28 | 5 | 2 | |
| 1986 | 29 | 7 | 0 | |
| 1987 | 30 | 0 | 0 | |
| 1988 | 31 | 1 | 0 | |
| 通算 | 80 | 24 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
所属チーム
ユース
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1966〜1973 | 9 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
クラブ
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1973〜1975 | 16 | |
| 1975〜1982 | 18 | |
| 1982〜1985 | 25 | |
| 1985〜1988 | 28 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
代表
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1976〜1988 | 19 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
監督
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 1990〜1991 | 33 | 監督 | |
| 1991〜1992 | 34 | 監督 | |
| 1992〜1993 | 35 | 監督 | |
| 1994〜1996 | 37 | USアヴェリーノ | 監督 |
| 2002〜2002 | 45 | 監督 |
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1975 | 18 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1982 | 25 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1985 | 28 | ローマ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
タイトル
クラブ
ユヴェントス
- セリエA:1回(1983-84)
- コッパ・イタリア:1回(1982-83)
- 欧州チャンピオンズカップ:1回(1984-85)
- UEFAスーパーカップ:1回(1984)
- UEFAカップウィナーズカップ:1回(1983-84)
ASローマ
- コッパ・イタリア:1回(1985-86)
個人
- FIFA 100(偉大な選手100人):1回(2004)
- ゴールデンフット賞 レジェンド:1回(2009)
- イタリアサッカー殿堂:1回(2019)
英語の記録名しか確認できないもの(9件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
獲得メダル
代表チームで獲得したメダルです(銅1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| FIFAワールドカップ | 銅 1982 スペイン |
|---|
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ズビグニェフ・ボニエク」(版 109644934)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「ズビグニェフ・ボニエク」、版 ID 109644934、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BA%E3%83%93%E3%82%B0%E3%83%8B%E3%82%A7%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%82%AF
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1374870910、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Zbigniew_Boniek
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
関連項目
- ヴィジェフ・ウッチ
- ユヴェントス
- ローマ
- ザヴィシャ・ブィドゴシュチュ
- USレッチェ
- ASバーリ
- サンベネデッテーゼ
- USアヴェリーノ
- ポーランド代表
- ポーランド
- セリエA
- コッパ・イタリア
- 欧州チャンピオンズカップ
- UEFAスーパーカップ
- UEFAカップウィナーズカップ
- FIFAワールドカップ
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