北澤豪

SOCCERPEDIA / 選手ページ / 日本のサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

日本北澤豪(Tsuyoshi Kitazawa、1968年8月10日生)は、町田市出身の元サッカー選手。ポジションはMF。

北澤 豪(きたざわ つよし、1968年8月10日 - )は、東京都町田市出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF。元サッカー日本代表。現在は日本サッカー協会参与、フットサル委員長、日本障がい者サッカー連盟会長、國學院大學客員教授。三桂所属のタレント、サッカー解説者としても活躍している。

クラブ経歴

クラブ

小学生時代は町田SSS、町田市の町田JFC、中学時代は読売ジュニアユースに在籍。修徳高等学校に進学後はユースとの掛け持ちを認められず部活動に専念、1985年に全国高校サッカー選手権出場、翌1986年に高校総体ベスト8進出に貢献した。卒業後は宮本征勝監督の勧誘もあり本田技研工業サッカー部に入部した(同い年で同期就職に古川昌明・黒崎久志)。

本田の海外支社に短期配属という形で西ドイツのアイントラハト・フランクフルトやブラジルのSEパルメイラスに留学し実力向上やレベルアップを図った。1990-91シーズンの日本サッカーリーグで得点王に輝いた。

1991年に古巣である読売クラブに倉田安治と一緒に移籍。JSLカップ決勝で対戦した古巣本田技研戦では決勝点を挙げた。Jリーグでは三浦知良やラモス瑠偉、ビスマルクらと共にヴェルディ黄金時代を支える主力選手の1人となり、アイドル的な人気を誇った。1994年にはベストジーニスト賞にも選ばれている。Jリーグ開幕戦となったマリノス戦では日本代表の合宿での怪我の影響で、後半からの出場となったが、第2節のジェフ戦でJリーグ初ゴールを挙げた。同年のJリーグカップ決勝、清水エスパルス戦では決勝ゴールを決めて優勝に貢献した。1994年、サンフレッチェ広島とのチャンピオンシップ第1戦で決勝ゴールを奪うなど、優勝に貢献した。1995年頃、スポルティング・リスボンへの移籍話もあったが、クラブが難色を示したことで移籍には至らなかったという。

1997年元旦、第76回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝のサンフレッチェ広島戦では決勝ゴールを決めて優勝した。1999年3月27日1stステージ第4節の鹿島アントラーズ戦で決めた約35メートルの位置からのゴールは、本人が現役時のベストゴールに挙げるとともに、Jリーグ30周年「J30ベストアウォーズ ロングシュート/ミドルシュート部門」にノミネートされた。

2002年出場機会を減らして引退を決断。終盤に、翌年横浜F・マリノスの監督の就任が決定していた、岡田武史から移籍のオファーが届いたが、膝の調子が芳しくなくオファーを断り引退を決断した。同年の7月27日には清水エスパルス戦で現役最後の得点を挙げた。1998年限りでラモス瑠偉、三浦知良、柱谷哲二ら黄金期を知る選手たちが退団したの後もチームを牽引していたが、晩年は出場機会に恵まれなくなったものの、旺盛な闘志と豊富な運動量を誇るプレースタイルから、中盤の“ダイナモ”と称された。Jリーグでは通算264試合に出場、41ゴールを挙げた。2003年6月21日に国立競技場で開催された引退試合には多くのファン、プレーヤーなどが集まった。

Jリーグ開幕後はスタメン選手は11以下の背番号という決まりがあったため8番をつけた(固定背番号制になっても8を着用)が、好んで付けていたのは、憧れを抱いていた戸塚哲也が付けていた背番号14だった。

引退後

引退後はサッカー解説者を務める傍ら2003年4月からはJFAアンバサダーとして、若年層へのサッカーの普及活動にも積極的に取り組んでいたが、多忙のためか2006年3月に同職を退任している。現在はフットサルチーム監督の他、日本サッカー協会特任理事兼国際委員、サッカースクールフットボールコミュニケーションアカデミー主宰、国際協力機構(JICA)オフィシャルサポーター。カンボジアやアフリカ大陸の難民にサッカーの文化を広めようとサッカー教室・講演などを行っている。また、人気サッカーゲーム「ウイニングイレブン」シリーズにて、実況を長年務めるジョン・カビラと共に解説を長年務めている。

三桂に所属している点からTBS色・関口宏ファミリーが濃いと思われがちだが、引退当初はNHK衛星テレビに出演。その後は読売グループ繋がりで日本テレビへの出演が多く、スポーツ報知の専属評論家も務めている。2004年4月改編から、日本テレビ系のスポーツニュース番組『スポーツMAX』(2005年10月から『スポんちゅ』と改名)月曜日のコメンテーター及び『ズームイン!!サタデー』のコメンテーターとして出演。2006年10月からの『スポんちゅ』の後番組『NEWS ZERO』にも引き続き出演している。また、WOWOWの海外サッカー中継の解説や絵本「ぼく(わたし)と魔法のスパイク」を執筆するなど幅広い活躍をしている。

2012年4月、日本フットサルリーグ(Fリーグ)のCOO補佐に就任。同年5月には日本スポーツ振興センターによる「NAASH スポーツ・ジャパン・アンバサダー」にも就任。2012年6月、日本サッカー協会理事に就任。2016年4月には新たに設立された日本障がい者サッカー連盟会長に就任している。

代表経歴

日本代表

1991年4月4日のスパルタク・モスクワとの親善試合で代表デビューを飾り、同年6月のキリンカップでは2得点を決め、日本の初優勝に貢献するなど、レギュラーを務めていたが、1994 FIFAワールドカップ・アジア予選前の合宿中に負傷して以降は控えに回った。最終予選の第4戦の韓国戦では先発出場して勝利、しかし最終戦のイラク戦(ドーハの悲劇)では出場機会が訪れなかった。1998年のFIFAワールドカップ・フランス大会では、(前年のアジア最終予選では4試合で先発出場、ジョホールバルの歓喜と言われる、ワールドカップアジア第3代表決定戦のイラン戦で先発出場して勝利)、アジア予選突破に貢献したにも関わらず、本大会直前のフランス合宿中に三浦知良と共にメンバーから「ポジションがない」という理由で外された。1991年から1999年までの間に日本代表に選出され、Aマッチ59試合に出場した。

第1回FIFAフットサル世界選手権出場の為に(自身と同い年の野田知1名除き)本田技研の選手によって構成されたフットサル日本代表にも選出されており、グループリーグの対カナダ戦で宮本監督の期待に応え2得点を挙げている。

人物像

エピソード

現役時代、ヴェルディのチームメートのみならず、他のチームの選手の間でも、髪はかつらではないかという噂になっていた。1996年のJOMO CUP Jリーグドリームマッチ開催時のロッカールームにおいて、三浦知良がふざけて「ズレてるよ」と北澤に言ったところ、他の選手たちはやはり噂は本当だったのかと、信じ込んだという。

ヴェルディと同じ、味の素スタジアムをホームグランドとするFC東京からオファーを受けたことがあったが、同じホームグランドを使用しているFC東京に移籍することはヴェルディを裏切ることになると考え残留した。

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
1984〜198615日本修徳高校

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム
1987〜199118日本本田技研
1991〜200222日本読売/東京ヴェルディ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
1991〜199922日本日本

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
198718修徳高校本田技研移籍—形態・移籍金は未確認
199122本田技研読売/東京ヴェルディ移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(金1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

AFCアジアカップ金 1992 日本

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「北澤豪」(版 110119470)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
  2. Wikipedia(日本語版)「北澤豪」、版 ID 110119470、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%BE%A4%E8%B1%AA
  3. Wikipedia(英語版)、版 ID 1378839533、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Tsuyoshi_Kitazawa

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