概要
柱谷哲二(Tetsuji Hashiratani、1964年7月15日生)は、京都市出身の元サッカー選手。ポジションはDF、所属は明海大学。
柱谷 哲二(はしらたに てつじ、1964年7月15日 - )は、京都府京都市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者・解説者。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。元日本代表。
出場時の多くはキャプテンとしての出場であり、チームを激しく鼓舞するその姿から「闘将」と呼ばれた。現役引退後はJリーグ選手協会、Jリーグ選手OB会それぞれの初代会長を務める。
クラブ経歴
選手として
日産自動車サッカー部、ヴェルディ川崎、日本代表等でセンターバック、守備的MFを務め長年活躍。日産では加茂周監督の下、「ボランチ」という言葉が日本国内に普及する以前に中盤の底の役割を確立し、1992年にはこのポジションの選手としては初となるJSL年間最優秀選手に選出された。しかし1991-92年シーズンのJSLの終了後、日産のライバルチームである読売ヴェルディに移籍、すぐにJリーグカップ優勝を経験するなど、チームの中心メンバーの一人として1998年まで在籍した。1993年5月15日、Jリーグ開幕戦となったマリノス戦に出場、5月29日の浦和戦でJリーグ初ゴールを挙げた。1998年のシーズン終了後、高年俸だったことと、チームの若返りを図る意図からV川崎から「0円提示」。現役続行の意思を表明していたが、他チームからオファーが来ずそのまま現役を引退した。Jリーグでは通算183試合に出場、13ゴールを挙げた。
1988年1月27日のアラブ首長国連邦戦で代表デビューを果たすとこの試合で代表初ゴールを挙げた。1992年からのオフトジャパン時代にはキャプテンに指名される。1993年開催のワールドカップアメリカ大会アジア最終予選のイラク戦でも主将として先発フル出場、ドーハの悲劇を経験した。加茂ジャパン発足後もでもキャプテンに指名されていた。1996年オーストラリア遠征の代表メンバーに選出されていたが、この時はコンディションの悪さから参加を辞退、以降は怪我もあり代表から遠ざかった。1988年から1995年までの間に日本代表に選出され、Aマッチ72試合に出場した。
監督経歴
引退後
2002年、岡田武史の後任としてコンサドーレ札幌監督に内定。前年に講習を受けていたS級ライセンス取得後に正式に就任となった。J1リーグ戦と ナビスコカップを含めた公式戦13試合で2勝と低迷し、2002 FIFAワールドカップ開催中の6月に解任された。札幌は16チーム中最下位でJ2リーグへ降格した。
2001年から2002年まで国士舘大学サッカー部のコーチに就任したが、天皇杯で国見高校に敗れた。
2003年に浦和レッドダイヤモンズのコーチに就任し、主にサテライトを中心に指導。
2005年にJ2・東京ヴェルディ1969のコーチに就任。2006年から監督を務めるラモス瑠偉をサポートし2年がかりでのJ1復帰を果たした。
2008年からラモスの監督退任に伴い東京Vの監督に就任。札幌時代以来、6年ぶりとなるJ1クラブの指揮を執ることになった。最終節の敗戦を受けて、18チーム中17位と降格が決定。シーズン終了後に監督を退任した。
2011年シーズンより、J2・水戸ホーリーホック監督に就任。2015年6月、成績不振により解任された。
2016年シーズンより、J3・ガイナーレ鳥取監督に就任 したが、同シーズン限りでの退任が11月に発表された。
2017年シーズンより、JFLのヴァンラーレ八戸監督に就任。2017年11月、昇格を果たせなかったことなどを理由として八戸の監督を退任した。
同年6月20日、J3・ギラヴァンツ北九州の監督に就任。11月2日、契約満了により北九州の監督を退任すると発表された。
監督成績
在任別・通算
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1370826351)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| — | — | 13 | 2 | 4 | 7 | 15.4% | |
| — | — | 40 | 10 | 10 | 20 | 25.0% | |
| — | — | 181 | 55 | 51 | 75 | 30.4% | |
| — | — | 30 | 8 | 6 | 16 | 26.7% | |
| — | — | 19 | 4 | 7 | 8 | 21.1% | |
| 通算 | 253 | 71 | 70 | 112 | 28.1% | ||
所属チーム
ユース
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1980〜1982 | 15 | |
| 1983〜1986 | 18 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
クラブ
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1987〜1992 | 22 | |
| 1992〜1998 | 27 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
代表
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1988〜1995 | 23 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
監督
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 2002〜2002 | 37 | コンサドーレ札幌 | 監督 |
| 2008〜2008 | 43 | 監督 | |
| 2011〜2015 | 46 | 監督 | |
| 2016〜2016 | 51 | 監督 | |
| 2017〜2017 | 52 | 監督 | |
| 2018〜2018 | 53 | 監督 | |
| 2026〜 | 61 | 監督 |
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1983 | 18 | 京都商業高校 | 国士舘大学 | 移籍 | — | 下部組織への移籍 形態・移籍金は未確認 |
| 1987 | 22 | 国士舘大学 | 日産自動車 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
| 1992 | 27 | 日産自動車 | ヴェルディ川崎 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
獲得メダル
代表チームで獲得したメダルです(金1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| AFCアジアカップ | 金 1992 日本 |
|---|
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「柱谷哲二」(版 110325209)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「柱谷哲二」、版 ID 110325209、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B1%E8%B0%B7%E5%93%B2%E4%BA%8C
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1370826351、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Tetsuji_Hashiratani
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
関連項目
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