下平隆宏

SOCCERPEDIA / 監督ページ / 日本のサッカー監督 / 最終更新:2026年9月1日


概要

日本下平隆宏(Takahiro Shimotaira、1971年12月18日生)は、日本出身のサッカー監督。2026から高知ユナイテッドSCの監督を務めている。これまでに6クラブを指揮した。

下平 隆宏(しもたいら たかひろ、1971年12月18日 - )は、青森県三戸郡五戸町出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。現在はJリーグ・高知ユナイテッドSCの監督を務める。

クラブ経歴

プロ入り前

兄の影響でサッカーを始める。青森県立五戸高等学校では中盤の攻撃的プレイヤーで、インターハイや高校選手権大会の出場経験を有する。

高校卒業後に美容師として東京での就職が内定していたが、サッカー選手の夢を断ちがたく、小学校時代の恩師の紹介で日立製作所サッカー部(後の柏レイソル)のテストを受け、1990年に社員選手として入団。テクニックで勝負するのは厳しいと感じ、守備で貢献するボランチへと転向した。

日立製作所・柏レイソル

1993年にレギュラーを掴んだことで1994年になってプロ契約を締結。同年は柱谷幸一とドイスボランチを構成し、ジャパンフットボールリーグで準優勝。翌年からのJリーグ昇格を果たした。以後、Jリーグにおいても的確なカバーリングと激しいタックルで中盤の守備を支え、1997年には加茂周監督率いる日本代表にも選出された。柏では主将も務め、1999年のナビスコカップでは自身の手で優勝カップを掲げた。同クラブでコーチ及び監督を務めた西野朗は、チームの中心的存在となった下平を「柏の魂」と評した。

FC東京

2000年、西野から「ボランチに外国人を獲るから来季は出場機会が減ることになる」と告げられ、2年契約を打診するFC東京への移籍を決意。2001年より完全移籍した。加入早々にして主将に就任。同年、ボランチには三浦文丈及び浅利悟が入ることが多く、満足に出場することは出来なかったが、下平の努力を絶やさない姿勢はチームの財産となった。2002年は三浦・浅利の負傷もあり、ほぼレギュラーとしてプレー。左サイドバックを務めることもあった。

柏レイソル復帰

2003年、強い復帰要請を受け3年ぶりに柏へ復帰。堅実な守備は健在で、高いプロ意識は若手の見本となった。2004年末に現役引退を表明。

監督経歴

柏レイソル監督・スタッフ

引退後は柏レイソル強化部スタッフとしてスカウト活動に携わった後、2009年にU-18ユースチームのコーチに、2010年からは監督に就任。同年S級ライセンス取得。2012年のクラブユース選手権ではチーム発足以来初の優勝を果たした。2016年からはトップチームのヘットコーチに就任したが、この年からトップチーム監督に就任したミルトン・メンデスが3月12日に家族の健康上の理由で退任したため、同日付で監督に昇格した。J2降格の危機からチームを建て直し7位でファーストステージを終えた。セカンドステージでは一時優勝争いに加わったが、最終的にステージ5位、通年ではリーグ8位の成績となった。2017年シーズンは前年同様優勝争いに加わり、最終順位は2014年以来の4位となりAFCチャンピオンズリーグ2018プレーオフ出場権を獲得した。

2018年シーズンはACLの敗退やリーグ戦の成績不振を理由に5月12日に監督を解任され、強化チームダイレクターへ異動した。

横浜FC監督・ヘッドコーチ

2019年、J2・横浜FCのヘッドコーチに就任。同年5月14日に解任されたタヴァレスの後任として、同日付で横浜FCの監督に昇格した。監督就任時はJ2・14位だったチームを29試合で19勝7分3敗という成績で2位へ導き、チームとして13年ぶりのJ1昇格を達成した。以上のことが評価され、同年のJリーグアウォーズにおいてJ2優秀監督賞を受賞した。2020年は新型コロナウイルス感染症流行の影響を受けJ2降格無しのレギュレーションへの変更はあったものの、例年通りであれば残留圏内となる15位でフィニッシュした。

2021年は開幕から8試合で1分7敗の最下位に低迷し、4月7日付で監督を解任された。

大分トリニータ監督

最終順位は5位。J1参入プレーオフに進出。熊本に2-2で引き分け、1年でのJ1復帰を逃した。

V・ファーレン長崎監督・ヘッドコーチ

2024年1月5日、V・ファーレン長崎のヘッドコーチに就任することが発表された。なお、2024年の監督契約を当初更新していたファビオ・カリーレが、その後サントスFC監督就任の意向を表明し、長崎に対して正式なオファーがないままサントス側で就任会見も実施した事を踏まえ、下平が暫定でチームの指揮を執る事も併せて発表されている。

7月28日に行われたファン感謝祭イベント中に負傷し、途中退場。右足アキレス腱断裂の診断を受け、翌日に手術を受けた。

2025年は前半戦を終えて7勝7分5敗の8位となり、6月16日に契約解除が発表された。

2026年3月、大分県別府市でパーソナルジムを開設する一方で、ジェイリースFCクラブアドバイザーに就任。

高知ユナイテッドSC監督

2026年6月、ジェイリースFCクラブアドバイザーを退任し、高知ユナイテッドSCの監督に就任。

監督成績

在任別・通算

英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1359974189)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。

在任期間年齢チーム試合勝分敗勝率
——日本柏レイソル9947223047.5%
——日本横浜FC7731153140.3%
——日本大分トリニータ9435302937.2%
〜現在—日本V・ファーレン長崎20136165.0%
通算290126739143.4%

所属チーム

ユース(選手時代)

期間年齢チーム
1987〜198915日本五戸高校

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ(選手時代)

期間年齢チーム
1990〜200018日本日立/柏レイソル
2001〜200229日本FC東京
2003〜200431日本柏レイソル

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表(選手時代)

期間年齢チーム
199725日本日本

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
2010〜201538柏レイソルU-18監督
2016〜201844日本柏レイソル監督
2019〜202147日本横浜FC監督
2022〜202350日本大分トリニータ監督
2024〜202552日本V・ファーレン長崎監督
2026〜54日本高知ユナイテッドSC監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
199018五戸高校日立/柏レイソル移籍—形態・移籍金は未確認
200129日立/柏レイソル日本FC東京移籍—形態・移籍金は未確認
200331日本FC東京日本柏レイソル移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「下平隆宏」(版 110255308)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  2. Wikipedia(日本語版)「下平隆宏」、版 ID 110255308、2026年10月11日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%B9%B3%E9%9A%86%E5%AE%8F
  3. Wikipedia(英語版)、版 ID 1359974189、2026年10月11日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Takahiro_Shimotaira

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