ソクラテス

SOCCERPEDIA / 選手ページ / ブラジルのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

ブラジルソクラテス(Sócrates、1954年2月19日 - 2011年12月4日)は、ベレン出身の元サッカー選手。ポジションはMF。ブラジルでは1979年から通算60試合22得点を記録している。クラブでは公式戦通算513試合236得点(1973 シーズン以降)。クラブ・代表で通算10個のタイトルを獲得、個人賞は12回。

ソクラテス・ブラジレイロ・サンパイオ・ジ・ソウザ・ヴィエイラ・ジ・オリヴェイラ(、 1954年2月19日 - 2011年12月4日)は、ブラジル出身の元サッカー選手。元ブラジル代表。1983年には南米年間最優秀選手賞に選出され、2004年にはペレによってFIFA 100に選出された。実弟のライーもサッカー選手であり、ブラジル代表として1994 FIFAワールドカップで優勝した。

父親がギリシャ哲学の崇拝者であったためにソクラテスと名付けられた。プロサッカー選手としては珍しく医師免許を持ち、ドトール(、医師の意味)の愛称で呼ばれた。

クラブ経歴

クラブ

ベレンに生まれた。16歳でボタフォゴ-SPの下部組織に入団したが、下部組織入団の翌年にサンパウロ大学のリベイラン・プレト医学校に入学し、サッカーより学業を優先して練習にはほとんど参加しなかった。1974年にトップチームデビューすると、有力クラブからオファーが殺到したが、プロ選手生活を送りながら単位を取得し、23歳で大学を卒業するまでボタフォゴ-SPにとどまった。1978年にサンパウロのコリンチャンスに移籍すると、すぐにレギュラーポジションを獲得してチームの中心選手となり、6シーズンの間に297試合に出場して172得点を挙げた。1984年、これまで他のチームから多くのオファーを受けていたが、チーム愛からオファーを拒否し続けていた。しかし、政治的信念から、イタリアのACFフィオレンティーナに移籍した。このシーズンの公式戦33試合で9得点を挙げたが、チームはリーグ8位に終わり、個人としてのパフォーマンスも期待を裏切る結果となり、僅か1シーズンでブラジルへと帰国した。その後はCRフラメンゴやサントスFCでプレーした。1989年、古巣ボタフォゴ-SPでのプレーを最後に現役引退した。

現役引退から10年以上が経った2004年、50歳のソクラテスは選手兼任監督としてイングランド・ノーザンカウンティ・イースト・フットボールリーグのガーフォース・タウンAFCと1ヶ月の短期契約を結んだ。11月20日のタドキャスターAFC戦で途中出場して12分間プレーし、この試合がイングランドでの最初で最後の出場機会となった。

代表経歴

代表

1979年5月にブラジル代表デビューし、1986年6月までに60試合に出場して22得点している。2度のFIFAワールドカップ(1982 FIFAワールドカップ、1986 FIFAワールドカップ)と2度のコパ・アメリカ(コパ・アメリカ1979、コパ・アメリカ1983)に出場したが、タイトルを獲得することはできなかった。代表チームでは、テレ・サンターナ監督により、ジーコと共にプレーメーカーのポジションで起用された。

1982年にスペインで行われた1982 FIFAワールドカップにはブラジル代表のキャプテンとして臨んだ。テレ・サンタナ監督に率いられ、ジーコ、ファルカン、トニーニョ・セレーゾとともに組んだ中盤は黄金のカルテットと呼ばれた。1次リーグ初戦のソビエト戦で1ゴール、イタリア代表、アルゼンチン代表と強豪が集った2次リーグではイタリア戦で1ゴールを挙げたが、2-3と敗れ敗退した。1983年のコパ・アメリカでは決勝でウルグアイ代表に敗れて準優勝に終わった。1986年にはメキシコで開催された1986 FIFAワールドカップに出場、グループリーグ初戦のスペイン戦で1ゴール、ラウンド16のポーランド戦でも1ゴールを決める活躍を見せたが、準々決勝でPK戦の末にフランス代表に敗れた。

プレースタイル

プレースタイル

テクニックのあるプレーメーカーであり、図ったようなスルーパス、広い視野、フィジカルの強さなどで知られる。両足が自在に使え、得点力が高く、強烈なミドルシュートを得意とした。試合を読む能力も高く、ノールックヒールパスが十八番であった。あごひげとヘッドバンドが特徴であり、「全世代のサポーターにとっての上品さの象徴」であった。

人物像

人物

妻と 6人の子どもに囲まれ、現役引退後は故郷のリベイラン・プレトでスポーツクリニックを開業していた。重度の酒飲みであり喫煙者であった。ソクラテスはインテリとして知られ、多数の新聞や雑誌のコラムニストを務めたが、話題はスポーツだけでなく政治や経済の分野にも及んだ。頻繁にテレビ番組に出演し、ブラジルサッカー界のご意見番的存在であった。死去時は2014 FIFAワールドカップにおけるブラジル代表のフィクション本を執筆している最中であった。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1大陸大会2その他3シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
ボタフォゴ-SP197319———————3030
197420———————244244
197521———————157157
197622カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA195————25144419
197723カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA169————42185827
197824カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA2210————002210
通算5724——001094316667
ブラジルコリンチャンス197824カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA00————47234723
197925———————29102910
198026カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA1613————29154528
198127カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA11————36223723
198228カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA95————37184623
198329カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA2015————32215236
198430カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA137————00137
通算5941——00210109269150
イタリアフィオレンティーナ1984-8530セリエA2564142——339
ブラジルフラメンゴ198632カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA113————10123
198733カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA00————1010
通算113——0020133
ブラジルサントス198834カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA52————0052
198935カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA00————205205
通算52——00205257
ボタフォゴ-SP198935セリエB*60————0060
ガーフォース・タウン2004-0550ノーザン・カウンティーズ・イースト・フットボールリーグ*1000——0010
キャリア通算164764142341157513236

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 3. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

ブラジル としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19792465
19802582
198126156
19822794
19832882
19842900
19853051
19863192
通算6022

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

クラブ

期間年齢チーム
1974〜197819ブラジルボタフォゴ-SP
1978〜198423ブラジルコリンチャンス
1984〜198529イタリアフィオレンティーナ
1986〜198731ブラジルフラメンゴ
1988〜198933ブラジルサントス
198934ブラジルボタフォゴ-SP
200449イギリスガーフォース・タウン

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
1979〜198624ブラジルブラジル

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
1994〜199439ブラジルボタフォゴ監督
1996〜199641エクアドルLDUキト監督
1999〜199944ブラジルカボフリエンセ監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
197824ボタフォゴ-SPブラジルコリンチャンス移籍—形態・移籍金は未確認
198430ブラジルコリンチャンスイタリアフィオレンティーナ移籍—形態・移籍金は未確認
198632イタリアフィオレンティーナブラジルフラメンゴ移籍—形態・移籍金は未確認
198834ブラジルフラメンゴブラジルサントス移籍—形態・移籍金は未確認
198935ブラジルサントスボタフォゴ-SP移籍—形態・移籍金は未確認
200450ボタフォゴ-SPガーフォース・タウン移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

タイトル

クラブ

ブラジル代表

個人

英語の記録名しか確認できないもの(15件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(銀1・銅1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

コパ・アメリカ銀 1983銅 1979

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ソクラテス (サッカー選手)」(版 106702039)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
  2. Wikipedia(日本語版)「ソクラテス (サッカー選手)」、版 ID 106702039、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%B9_%28%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E9%81%B8%E6%89%8B%29
  3. Wikipedia(英語版)、版 ID 1379991465、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/S%C3%B3crates

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