ロジェ・ミラ

SOCCERPEDIA / 選手ページ / カメルーンのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

カメルーンロジェ・ミラ(Roger Milla、1952年5月20日生)は、ヤウンデ出身の元サッカー選手。ポジションはFW。カメルーンでは1973年から通算77試合43得点を記録している。クラブでは公式戦通算794試合438得点(1968-69 シーズン以降)。クラブ・代表で通算15個のタイトルを獲得、個人賞は14回。

ロジェ・ミラことアルベール・ロジェ・ムー・ミラー(Roger Milla, 本名Albert Roger Mooh Miller, 1952年5月20日 - )は、カメルーン・ヤウンデ出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはフォワード。

クラブ経歴

経歴

幼少時は鉄道員である父に連れられ、頻繁に転居。13歳の時、カメルーンのドゥアラにあるクラブと契約し、プロサッカー選手としてスタートを踏んだ。18歳の時、別のドゥアラのクラブで初めてのリーグ制覇を達成した。1976年、トネール・ヤウンデに移籍し、そこでアフリカゴールデンボール賞を受賞した。

1977年、フランスのヴァランシエンヌFCに移籍したが、控え選手のまま2年間を過ごした。1979年にはモナコに移籍したが、故障を繰り返した。翌年はSCバスティアへ移籍するも、目立った活躍を見られなかった。

1984年にASサンテティエンヌへ移籍し、レギュラーの地位を獲得。その後、1986年から1989年までモンペリエHSCで活躍した後に引退し、コーチとしてクラブに残った。

フランスでプレーしている間、1978年にはカメルーン代表に初めて選出され、1982年のスペインW杯に出場したが、初戦のペルー戦でゴールを決めたものの反則により取り消され無得点の引分けに終わった。この時のカメルーンは3引分けの3位と1次リーグで敗退したものの健闘した。2年後の1984年にはロサンゼルスオリンピックに出場した(1勝2敗の3位で一次リーグ敗退)。1987年に代表チームから退き、その後インド洋のレユニオンに居を構え、プロとしては引退して、アマチュアクラブのサン・ピエロワーズでプレーしていた。

しかし1990年、カメルーン大統領ポール・ビヤの電話での代表復帰の要請を受け、現役復帰を決断。「不屈のライオン」(カメルーン代表の愛称)の一員としてイタリアで行われる、1990 FIFAワールドカップに出場した。

開幕戦である前回王者のアルゼンチン戦では2人の退場者を出しながらも1-0で勝利すると、2戦目のルーマニア戦では2得点を挙げて勝利(2-1)に貢献した。決勝ラウンド1回戦でもコロンビアから延長後半で2得点を挙げ、準々決勝進出を果たした。準々決勝ではイングランドに途中までリードしながら延長戦の末に敗れ、ミラも得点できなかったが、一度は逆転となったエジェール・エケケのゴールをアシストする活躍を見せ、「不屈のライオン」の躍進は世界に衝撃を与えた。MVP投票では4位に入った。

ミラはこの大会中4ゴールを挙げ、コーナーポストを囲んでの歓喜の踊りと共に、世界中のサッカーファンに鮮烈な印象を残した。

ミラは4年後の1994年、既にプロリーグレベルの選手としては引退していたが、再びカメルーン大統領ポール・ビヤから代表復帰の要請を受け、アメリカW杯のピッチに立った。この時、ミラは既に42歳になっていた。ミラは高齢の為に前回大会に比べ出場時間が極端に減った。 この大会では、カメルーン代表は前回から一転して1分け2敗の成績に終わりグループリーグで姿を消した。最終戦となったロシア戦ではオレグ・サレンコのワールドカップ記録となった1試合5得点を含む1-6で惨敗。しかしこの試合で、後半から投入された直後のミラがカメルーン唯一のゴールを決めた。この時のミラは42歳1か月8日であり、ワールドカップにおける最年長ゴールとして名を刻んでいる。40歳代選手によるゴールも、2018年大会終了時点でミラだけが達成。「W杯通算5得点」はカメルーンはもとより、2014年大会でガーナのアサモア・ギャンが通算6ゴールを達成するまで全てのアフリカ国籍選手の最多記録だった。

現在は、カメルーンの特別親善大使を務めている。1999年、ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で58位に選出された。2004年には、FIFA 100(国際サッカー連盟の100周年記念として、ペレによって選ばれた125人の「最も偉大なサッカー選手」)の一人として選ばれた。

2010 FIFAワールドカップの期間にはオフィシャルスポンサーのコカ・コーラのCMに出演した。

代表経歴

代表での出場記録とメダルから組み立てた説明です。

1973年にカメルーンでの出場記録が始まり、1994年までに通算77試合43得点を記録した。

代表で獲得したメダルはアフリカネイションズカップ金(1984 コートジボワール)、アフリカネイションズカップ金(1988 モロッコ)、アフリカネイションズカップ銀(1986 エジプト)。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1シーズン通算
出場得点出場得点出場得点
レパード・ドゥアラ1968-6916プレミエ・ディビジョン*281————
1969-7017プレミエ・ディビジョン*295————
通算576————
レパード・ドゥアラ1970-7118プレミエ・ディビジョン*2925————
1971-7219プレミエ・ディビジョン*3020————
1972-7320プレミエ・ディビジョン*2819————
1973-7421プレミエ・ディビジョン*3025————
通算11789————
カメルーントネール・ヤウンデ1974-7522プレミエ・ディビジョン*2923————
1975-7623プレミエ・ディビジョン*2826————
1976-7724プレミエ・ディビジョン*3020————
通算8769————
フランスヴァランシエンヌ1977-7825ディヴィジョン100————
1978-7926ディヴィジョン128611——
通算28611——
フランスモナコ1979-8027ディヴィジョン117283——
フランスバスティア1980-8128ディヴィジョン130998——
1981-8229ディヴィジョン123863——
1982-8330ディヴィジョン1291320——
1983-8431ディヴィジョン131531——
通算113302012——
サンテティエンヌ1984-8532ディヴィジョン2312283——
1985-8633ディヴィジョン228922——
通算5931105——
モンペリエ1986-8734ディヴィジョン2331821——
1987-8835ディヴィジョン1331243——
1988-8936ディヴィジョン129720——
通算953784——
サンピエロワーズ198936———————
199037D1プロ*238————
通算238————
カメルーントネール・ヤウンデ1990-9138プレミエ・ディビジョン*2922————
1991-9239プレミエ・ディビジョン*3019————
1992-9340プレミエ・ディビジョン*2723————
1993-9441プレミエ・ディビジョン*3025————
通算11689————
インドネシアマドゥラ・ユナイテッドFC1994-9542プレミア・ディビジョン*2323————
インドネシアバリ・ユナイテッドFC1995-9643プレミア・ディビジョン*1218————
キャリア通算7474134725794438

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

カメルーン としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19732030
19752231
19762387
19772464
19782510
19792623
19802711
19812879
19822960
19843182
19853222
19863354
19873443
19883552
19903754
19913810
19923950
19944151
通算7743

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

クラブ

期間年齢チーム
1965〜197012レクトール・ドゥアラ
1970〜197217カメルーンレパード・ドゥアラ
1972〜197719カメルーントネール・ヤウンデ
1978〜197925フランスヴァランシエンヌ
1979〜198026フランスモナコ
1980〜198427フランスバスティア
1984〜198631フランスサンテティエンヌ
1986〜198933フランスモンペリエ
1989〜199036フランスサンピエロワーズ
1990〜199437カメルーントネール・ヤウンデ
1994〜199541インドネシアマドゥラ・ユナイテッドFC
1995〜199642インドネシアバリ・ユナイテッドFC

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
1978〜199425カメルーンカメルーン

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
197017レクトール・ドゥアラレパード・ドゥアラ移籍—形態・移籍金は未確認
197219レパード・ドゥアラカメルーントネール・ヤウンデ移籍—形態・移籍金は未確認
197825カメルーントネール・ヤウンデフランスヴァランシエンヌ移籍—形態・移籍金は未確認
197926フランスヴァランシエンヌフランスモナコ移籍—形態・移籍金は未確認
198027フランスモナコフランスバスティア移籍—形態・移籍金は未確認
198431フランスバスティアサンテティエンヌ移籍—形態・移籍金は未確認
198633サンテティエンヌモンペリエ移籍—形態・移籍金は未確認
198936モンペリエサンピエロワーズ移籍—形態・移籍金は未確認
199037サンピエロワーズトネール・ヤウンデ*移籍—形態・移籍金は未確認
199441トネール・ヤウンデ*インドネシアマドゥラ・ユナイテッドFC移籍—形態・移籍金は未確認
199542インドネシアマドゥラ・ユナイテッドFCバリ・ユナイテッドFC*移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

タイトル

クラブ

モナコ

バスティア

モンペリエHSC

個人

英語の記録名しか確認できないもの(14件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(金2・銀1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

アフリカネイションズカップ金 1984 コートジボワール金 1988 モロッコ銀 1986 エジプト

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

英語の記録名しか確認できないもの(1件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ロジェ・ミラ」(版 108296000)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
  2. Wikipedia(日本語版)「ロジェ・ミラ」、版 ID 108296000、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A9
  3. Wikipedia(英語版)、版 ID 1379076303、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Roger_Milla

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