ホルヘ・ブルチャガ

SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / アルゼンチンのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

アルゼンチンホルヘ・ブルチャガ(Jorge Burruchaga、1962年10月9日生)は、グアレグアイ出身の元サッカー選手。ポジションはMF。アルゼンチンでは1983年から通算57試合13得点を記録している。クラブでは公式戦通算513試合129得点(1980 シーズン以降)。クラブ・代表で通算11個のタイトルを獲得。

ホルヘ・ルイス・ブルチャガ(Jorge Luis Burruchaga, 1962年10月9日 - )は、アルゼンチン・エントレ・リオス州出身のサッカー選手、サッカー指導者。ニックネームはブル (Burru) 。メインのポジションはミッドフィールダー(オフェンシブハーフ)だが、時にFWとしても起用された。息子のロマン・ブルチャガはテニス選手、マウロ・ブルチャガはサッカー選手である。

ィンデペンディエンテでは、1984年のリベルタドーレス杯で2試合を通じての決勝ゴールを決め、優勝に貢献。1986年メキシコワールドカップでは1ゴール1アシストの活躍で、アルゼンチンを優勝に導いた。

クラブ経歴

クラブ経歴

CAインデペンディエンテでは、1983年にアルゼンチンリーグ優勝、1984年コパ・リベルタドーレス1次リーグ、2次リーグで9試合5ゴールを決め、決勝進出に大きな役割を果たすと、決勝のグレミオ戦で第1戦で決勝ゴールを決め、これが第1戦、第2戦を通じて唯一のゴールとなり、優勝の原動力となった、同年12月日本で開催されたインターコンチネンタルカップではリヴァプールを1-0で破り優勝を果たした。

1985年、1982年と1983年にもオファーを出した、フランスのFCナントに移籍。移籍初年度はリーグ2位、UEFAカップでは準々決勝まで進出した。1986年のワールドカップ後、マラドーナの所属するSSCナポリが獲得に動いたが、クラブ間合意に至らず移籍は成立しなかった。1987年に膝に大怪我を負い、再起不能とまで言われたこともあった。数度の膝の故障により、サンプドリア、インテルへの移籍がそれぞれ破談となった。その後、ナントのキャプテンを務め、1992年まで在籍した。

1992-93シーズンはヴァランシエンヌFCに移籍、リーグ戦で二桁ゴールを挙げる活躍をしていたが、八百長疑惑に巻き込まれ、2年間はクラブチームでの試合からの出場停止処分を受けた。

処分が明けてからは古巣インデペンディエンテに復帰、1996年の南米スーパーカップ制覇や1995年のレコパカップの優勝に貢献し(1996年、神戸で開催されたグレミオ戦では試合には敗れたが、PKで1ゴールを決めている。)、1998年のアルゼンチンリーグ前期リーグ、ベレス・サルスフィエルド戦を最後に引退した。

代表経歴

代表経歴

1983年から1990年にかけてアルゼンチン代表でプレーし、1983年のコパ・アメリカでは得点数は3ゴールながら大会得点王になった。

1986年、メキシコワールドカップでは、グループリーグ最終戦のブルガリア戦でゴール、準決勝のベルギー戦ではマラドーナの決勝ゴールをアシスト、決勝戦の西ドイツ戦ではFKからブラウンの先制点をアシスト、さらに決勝点となる3点目のゴールを決めアルゼンチンに優勝をもたらした。

1990年、イタリアワールドカップでは、グループリーグ第2戦ソビエト連邦戦でゴールを決めるなど全7試合に出場、決勝に進出したが、西ドイツに0-1と破れ準優勝に終わった。1994年のワールドカップアメリカ大会時、アルゼンチンサッカー協会が大会メンバーに招集すべく動いたが、フランスリーグでの八百長事件により、1996年度まで出場停止であるとFIFAが結論付けたため、メンバー入りが出来なかった。代表では57試合に出場13ゴールを挙げた。

監督経歴

指導者経歴

現役引退後は指導者として国内クラブの監督を歴任している。2005年、レイナルド・メルロの後継としてエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタの監督に就任した。

2006年にCAインデペンディエンテの監督に就任したが、2007年4月に更迭された。2008年にCAバンフィエルドの監督に就任したが、2009年3月に辞任した。

プレースタイル

プレースタイルなど

ゴール前に突如出現してゴールを奪う感覚や、サッカーセンスの高さを武器に活躍した。代表ではディエゴ・マラドーナとのプレーの相性がとてもよく、マラドーナは、自分の副官の様な存在であったとしている。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1大陸大会2シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点
アルゼンチンアルセナル198017プリメーラB*151————151
198118プリメーラB*346————346
通算497————497
アルゼンチンインデペンディエンテ198219プリメーラ・ディビシオン5217————5217
198320プリメーラ・ディビシオン5523————5523
198421プリメーラ・ディビシオン2910——1264116
198522プリメーラ・ディビシオン103————103
通算14653——12615859
フランスナント1985-8622ディヴィジョン136910714410
1986-8723ディヴィジョン13061120337
1987-8824ディヴィジョン110230——132
1988-8925ディヴィジョン16231——93
1989-9026ディヴィジョン127430——304
1990-9127ディヴィジョン13020——50
1991-9228ディヴィジョン128410——294
通算140271429116330
フランスヴァランシエンヌ1992-9329ディヴィジョン1321021——3411
アルゼンチンインデペンディエンテ1994-9531プリメーラ・ディビシオン111——62173
1995-9632プリメーラ・ディビシオン276——71347
1996-9733プリメーラ・ディビシオン319——20339
1997-9834プリメーラ・ディビシオン203——50253
通算8919——20310922
キャリア通算4561161634110513129

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

アルゼンチン としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19832073
198421122
19852293
198623102
19872411
19882500
19892670
199027112
通算5713

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

クラブ

期間年齢チーム
1979〜198116アルゼンチンアルセナル
1982〜198519アルゼンチンインデペンディエンテ
1985〜199222フランスナント
1992〜199329フランスヴァランシエンヌ
1995〜199832アルゼンチンインデペンディエンテ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
198118アルゼンチンアルゼンチン U-20
1983〜199020アルゼンチンアルゼンチン

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
2002〜200539アルゼンチンアルセナル監督
2005〜200642アルゼンチンエストゥディアンテス監督
2006〜200743アルゼンチンインデペンディエンテ監督
2008〜200945アルゼンチンバンフィエルド監督
2009〜201046アルゼンチンアルセナル監督
2011〜201248パラグアイリベルタ監督
2012〜201449アルゼンチンアトレティコ・デ・ラファエラ監督
2015〜201652アルゼンチンアトレティコ・デ・ラファエラ監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
198219アルゼンチンアルセナルアルゼンチンインデペンディエンテ移籍—形態・移籍金は未確認
198522アルゼンチンインデペンディエンテフランスナント移籍—形態・移籍金は未確認
199229フランスナントフランスヴァランシエンヌ移籍—形態・移籍金は未確認
199532フランスヴァランシエンヌアルゼンチンインデペンディエンテ移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

タイトル

クラブ

インデペンディエンテ

ナント

代表

アルゼンチン代表

英語の記録名しか確認できないもの(6件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(金1・銀1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

FIFAワールドカップ金 1986 メキシコ銀 1990 イタリア

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ホルヘ・ブルチャガ」(版 110732162)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
  2. Wikipedia(日本語版)「ホルヘ・ブルチャガ」、版 ID 110732162、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%AC
  3. Wikipedia(英語版)、版 ID 1367106075、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Jorge_Burruchaga

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