「場所を見つけてほしい」
出典:FOOTBALL ZONE 2026年10月14日
SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / ボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日
ハビエル・アギーレ(Javier Aguirre、1958年12月1日生)は、メキシコシティ出身の元サッカー選手。ポジションはMF、所属はバレンシア。クラブ・代表で通算11個のタイトルを獲得、個人賞は2回。
ハビエル・アギーレ・オナインディア(、1958年12月1日 - )は、メキシコ・メキシコシティ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。ハビエル・アギレとも。
両親はスペイン・バスクからメキシコへの移民者で、アギーレ自身はバスク系メキシコ人。長男は弁護士、次男はサッカー指導者、三男はサッカー選手である。
現役時代のポジションは、フォワードとして選手生活をスタートし、やがてミッドフィールダー、選手生活晩年はディフェンダー(CB)。メキシコ代表選手として1986年ワールドカップ・メキシコ大会に出場した。
現役引退後、1994年ワールドカップ・アメリカ大会にアシスタントコーチとして代表に同行し、また代表監督として2002年ワールドカップ・日韓大会、2010年ワールドカップ・南アフリカ大会、2026年ワールドカップ・北中米大会の3大会で指揮を執った。2014年7月から2015年2月まで日本代表監督を務めた。
選手としては、所属したクラブで392試合に出場し56得点、メキシコ代表選手として59試合に出場し14得点を記録している。監督としては、メキシコ国内のCFアトランテ、CFパチューカで実績をあげる。メキシコ代表監督としては、2002年ワールドカップの最終予選、10節中5節を終えて1勝3敗1分、勝ち点4の6ヶ国中4位と、本大会への出場が危ぶまれる状況にあった段階で就任し、2001年7月1日に初采配。アルベルト・ガルシア・アスペ、クアウテモク・ブランコ、フランシスコ・パレンシアを代表に呼び戻し、残り5節を4勝1分で乗り切って、5勝3敗2分の勝ち点17で11月11日の最終節に本大会出場3位以上を確定させ、母国を救った。本大会でもグループリーグを2勝1分で突破し16強に導いた。大会終了後はスペインのCAオサスナの監督に就任。弱小であった同クラブで2005-06シーズンにはリーガ・エスパニョーラで4位に入り、翌シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得できるまでに強化した。その実績を買われ、翌シーズンからはアトレティコ・マドリードの監督に招聘された。アトレティコでの2シーズン目となる2007-08シーズンには12シーズンぶりに4位以内に入り、暗黒期からの復活を期すアトレティコとして一定の成果を残した。2008年12月、UDアルメリアの監督にウーゴ・サンチェスが就任し、スペイン1部で指揮を取るメキシコ人監督はふたりになった。2009年に入ってから2分3敗と1勝も出来ず、2月3日に解任された。
2009年4月、2010年ワールドカップの最終予選において、3節を終えて1勝2敗と再び本大会出場に黄信号が灯り、スヴェン=ゴラン・エリクソン監督は解任され、これを受けて7年ぶりにメキシコ代表監督に就任した。就任後、代表から退いていたブランコを再び呼び戻して主将を命じた。代表は4節を落とし窮地は深まったが、ここから一気に5連勝(最終節は引き分け)し、6勝3敗1分の勝ち点19でチームを2位に押し上げて2010年ワールドカップ出場に導いた。本戦でもフランス代表を撃破して再び16強に進出した。同大会後、メキシコ代表監督を辞任。2010年にはJFAが日本代表監督に打診していたが、家族の事情もあり見送った。
2010年11月18日、レアル・サラゴサの監督に就任。2012年からRCDエスパニョールの監督を務め、2014年5月に退任した。
2014年12月には、2011年5月に指揮していたサラゴサのリーガ残留をかけたレバンテUD戦を廻る八百長疑惑で、スペインの検察当局から関与した疑いのあるアンデル・エレーラ、ガビらとともに告発された。2015年1月14日、スペインメディアにより、バレンシアの裁判所が訴追を受理、同年2月には事情聴取が始まるとの報道がなされた。日本代表監督就任後初の国際大会となったアジアカップ2015ではグループステージを無失点で3連勝し首位通過するも、決勝トーナメントでは準々決勝UAE戦でPK戦の末に敗れ、ベスト8で敗退した。八百長に関与した疑いにより、2015年2月3日、日本サッカー協会からサッカー日本代表監督としての契約解除が発表された。
2015年6月、UAE・アラビアン・ガルフ・リーグのアル・ワフダFCの監督に契約期間1年で就任。
しかし、2019年7月に地元エジプトで開催されたアフリカネイションズカップ2019にて、グループリーグを首位通過しながらも決勝トーナメントラウンド16で南アフリカに0-1で敗れたことから、7月6日に解任が発表された。
2019年11月4日、CDレガネスの監督に就任したことが発表された。最下位の状態で監督に就任後、すぐに好成績を収めたが、最終節で2部リーグに降格することになった。
2020年12月7日、アントニオ・モハメドに代わってC.F.モンテレイと2シーズンの契約を結んだ。CONCACAFチャンピオンズリーグで優勝し、5度目のタイトルとFIFAクラブワールドカップ出場を達成した。
2022年3月24日、ルイス・ガルシア・プラザの解任に伴い、スペイン・プリメーラ・ディビシオンのRCDマジョルカと契約すると、ラスト3試合で2勝1分の粘りを見せ、降格圏とのポイント差は『1』でプリメーラ・ディビシオンに踏みとどまった。
就任2年目となった2022-23シーズンは前年と一転。MFイ・ガンインとFWヴェダト・ムリキのホットラインを最大限に活かすスタイルで、開幕前は降格候補に挙げられながらも、蓋を開けてみれば9位フィニッシュとトップハーフ入りを果たした。
2023-24シーズンは再び残留争いに巻き込まれるものの、第37節でプリメーラ・ディビシオン残留を確定させた。コパ・デル・レイではクラブ史上4度目のファイナリストとなった(決勝戦はPK戦の末に、アスレティック・ビルバオに敗れた)。2024年5月22日、同シーズン限りでの退任が発表された。
2024年7月22日、自国開催となる2026年のワールドカップを控えたメキシコ代表監督に再任した。自身3度目の就任となる。本戦では予選リーグを全勝して1位通過し決勝トーナメント進出、ラウンド16でイングランド代表と対戦し惜敗した。今大会をもって退任。
2026-27シーズン開幕序盤の9月、スペインリーグのバレンシアCF監督に途中就任した。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「場所を見つけてほしい」
出典:FOOTBALL ZONE 2026年10月14日
「バレンシアの7試合を見たし、日本代表を離脱して合流してくれた姿勢が、とても好印象だった。チームに貢献したいという選手の姿勢は、すべて歓迎すべきものだ。」
「彼と話したが、英語とスペイン語を急速に習得している。そこには満足している。」
出典:Yahoo!ニュース 2026年10月10日
「一歩ずつ進めていきたい。先のことをあまり考えるのは好きではない。」
「契約を全うしなかったこともあれば、契約がないまま残ったこともある。居心地が良ければ、私は残る。」
「バレンシアのような歴史あるクラブには、決してノーとは言えない。」
出典:The Star 2026年9月28日
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1379766774)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1996.02〜1996.06 | 37 | 11 | 2 | 4 | 5 | 18.2% | |
| 1998.09〜2001.06 | 39 | 121 | 49 | 27 | 45 | 40.5% | |
| 2001.06〜2002.07 | 42 | 27 | 17 | 3 | 7 | 63.0% | |
| 2002.07〜2006.05 | 43 | 177 | 66 | 49 | 62 | 37.3% | |
| 2006.05〜2009.02 | 47 | 131 | 61 | 31 | 39 | 46.6% | |
| 2009.04〜2010.06 | 50 | 32 | 19 | 7 | 6 | 59.4% | |
| 2010.11〜2011.12 | 51 | 45 | 13 | 10 | 22 | 28.9% | |
| 2012.11〜2014.05 | 53 | 69 | 22 | 18 | 29 | 31.9% | |
| 2014.07〜2015.02 | 55 | 10 | 6 | 2 | 2 | 60.0% | |
| 2015.06〜2017.05 | 56 | 78 | 34 | 21 | 23 | 43.6% | |
| 2018.08〜2019.07 | 59 | 12 | 9 | 0 | 3 | 75.0% | |
| 2019.11〜2020.07 | 60 | 30 | 9 | 11 | 10 | 30.0% | |
| 2020.12〜2022.02 | 62 | 53 | 23 | 17 | 13 | 43.4% | |
| 2022.03〜2024.05 | 63 | 97 | 34 | 28 | 35 | 35.1% | |
| 2024.07〜2026.07 | 65 | 34 | 21 | 8 | 5 | 61.8% | |
| 2026.09〜現在 | 67 | 0 | 0 | 0 | 0 | — | |
| 通算 | 927 | 385 | 236 | 306 | 41.5% | ||
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1979〜1980 | 20 | |
| 1980〜1981 | 21 | |
| 1981〜1984 | 22 | |
| 1984〜1986 | 25 | |
| 1986〜1987 | 27 | |
| 1987〜1993 | 28 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1983〜1992 | 24 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 1995〜1996 | 36 | 監督 | |
| 1998〜2001 | 39 | 監督 | |
| 2001〜2002 | 42 | 監督 | |
| 2002〜2006 | 43 | 監督 | |
| 2006〜2009 | 47 | 監督 | |
| 2009〜2010 | 50 | 監督 | |
| 2010〜2011 | 51 | 監督 | |
| 2011〜2014 | 52 | 監督 | |
| 2014〜2015 | 55 | 監督 | |
| 2015〜2017 | 56 | 監督 | |
| 2018〜2019 | 59 | 監督 | |
| 2019〜2020 | 60 | 監督 | |
| 2020〜2022 | 61 | 監督 | |
| 2022〜2024 | 63 | 監督 | |
| 2024〜2026 | 65 | 監督 | |
| 2026〜 | 67 | 監督 |
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1980 | 21 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1981 | 22 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1984 | 25 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1986 | 27 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1987 | 28 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
英語の記録名しか確認できないもの(7件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
代表チームで獲得したメダルです(金2・銀1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| コパ・アメリカ | 金 2009 アメリカ金 2025 アメリカ・カナダ銀 2001 コロンビア |
|---|
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
英語の記録名しか確認できないもの(1件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ハビエル・アギーレ」(版 111128275)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
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