ハビエル・アギーレ

SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / ボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

メキシコハビエル・アギーレ(Javier Aguirre、1958年12月1日生)は、メキシコシティ出身の元サッカー選手。ポジションはMF、所属はバレンシア。クラブ・代表で通算11個のタイトルを獲得、個人賞は2回。

ハビエル・アギーレ・オナインディア(、1958年12月1日 - )は、メキシコ・メキシコシティ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。ハビエル・アギレとも。

両親はスペイン・バスクからメキシコへの移民者で、アギーレ自身はバスク系メキシコ人。長男は弁護士、次男はサッカー指導者、三男はサッカー選手である。

現役時代のポジションは、フォワードとして選手生活をスタートし、やがてミッドフィールダー、選手生活晩年はディフェンダー(CB)。メキシコ代表選手として1986年ワールドカップ・メキシコ大会に出場した。

現役引退後、1994年ワールドカップ・アメリカ大会にアシスタントコーチとして代表に同行し、また代表監督として2002年ワールドカップ・日韓大会、2010年ワールドカップ・南アフリカ大会、2026年ワールドカップ・北中米大会の3大会で指揮を執った。2014年7月から2015年2月まで日本代表監督を務めた。

クラブ経歴

経歴

選手としては、所属したクラブで392試合に出場し56得点、メキシコ代表選手として59試合に出場し14得点を記録している。監督としては、メキシコ国内のCFアトランテ、CFパチューカで実績をあげる。メキシコ代表監督としては、2002年ワールドカップの最終予選、10節中5節を終えて1勝3敗1分、勝ち点4の6ヶ国中4位と、本大会への出場が危ぶまれる状況にあった段階で就任し、2001年7月1日に初采配。アルベルト・ガルシア・アスペ、クアウテモク・ブランコ、フランシスコ・パレンシアを代表に呼び戻し、残り5節を4勝1分で乗り切って、5勝3敗2分の勝ち点17で11月11日の最終節に本大会出場3位以上を確定させ、母国を救った。本大会でもグループリーグを2勝1分で突破し16強に導いた。大会終了後はスペインのCAオサスナの監督に就任。弱小であった同クラブで2005-06シーズンにはリーガ・エスパニョーラで4位に入り、翌シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得できるまでに強化した。その実績を買われ、翌シーズンからはアトレティコ・マドリードの監督に招聘された。アトレティコでの2シーズン目となる2007-08シーズンには12シーズンぶりに4位以内に入り、暗黒期からの復活を期すアトレティコとして一定の成果を残した。2008年12月、UDアルメリアの監督にウーゴ・サンチェスが就任し、スペイン1部で指揮を取るメキシコ人監督はふたりになった。2009年に入ってから2分3敗と1勝も出来ず、2月3日に解任された。

2009年4月、2010年ワールドカップの最終予選において、3節を終えて1勝2敗と再び本大会出場に黄信号が灯り、スヴェン=ゴラン・エリクソン監督は解任され、これを受けて7年ぶりにメキシコ代表監督に就任した。就任後、代表から退いていたブランコを再び呼び戻して主将を命じた。代表は4節を落とし窮地は深まったが、ここから一気に5連勝(最終節は引き分け)し、6勝3敗1分の勝ち点19でチームを2位に押し上げて2010年ワールドカップ出場に導いた。本戦でもフランス代表を撃破して再び16強に進出した。同大会後、メキシコ代表監督を辞任。2010年にはJFAが日本代表監督に打診していたが、家族の事情もあり見送った。

2010年11月18日、レアル・サラゴサの監督に就任。2012年からRCDエスパニョールの監督を務め、2014年5月に退任した。

2014年12月には、2011年5月に指揮していたサラゴサのリーガ残留をかけたレバンテUD戦を廻る八百長疑惑で、スペインの検察当局から関与した疑いのあるアンデル・エレーラ、ガビらとともに告発された。2015年1月14日、スペインメディアにより、バレンシアの裁判所が訴追を受理、同年2月には事情聴取が始まるとの報道がなされた。日本代表監督就任後初の国際大会となったアジアカップ2015ではグループステージを無失点で3連勝し首位通過するも、決勝トーナメントでは準々決勝UAE戦でPK戦の末に敗れ、ベスト8で敗退した。八百長に関与した疑いにより、2015年2月3日、日本サッカー協会からサッカー日本代表監督としての契約解除が発表された。

2015年6月、UAE・アラビアン・ガルフ・リーグのアル・ワフダFCの監督に契約期間1年で就任。

しかし、2019年7月に地元エジプトで開催されたアフリカネイションズカップ2019にて、グループリーグを首位通過しながらも決勝トーナメントラウンド16で南アフリカに0-1で敗れたことから、7月6日に解任が発表された。

2019年11月4日、CDレガネスの監督に就任したことが発表された。最下位の状態で監督に就任後、すぐに好成績を収めたが、最終節で2部リーグに降格することになった。

2020年12月7日、アントニオ・モハメドに代わってC.F.モンテレイと2シーズンの契約を結んだ。CONCACAFチャンピオンズリーグで優勝し、5度目のタイトルとFIFAクラブワールドカップ出場を達成した。

2022年3月24日、ルイス・ガルシア・プラザの解任に伴い、スペイン・プリメーラ・ディビシオンのRCDマジョルカと契約すると、ラスト3試合で2勝1分の粘りを見せ、降格圏とのポイント差は『1』でプリメーラ・ディビシオンに踏みとどまった。

就任2年目となった2022-23シーズンは前年と一転。MFイ・ガンインとFWヴェダト・ムリキのホットラインを最大限に活かすスタイルで、開幕前は降格候補に挙げられながらも、蓋を開けてみれば9位フィニッシュとトップハーフ入りを果たした。

2023-24シーズンは再び残留争いに巻き込まれるものの、第37節でプリメーラ・ディビシオン残留を確定させた。コパ・デル・レイではクラブ史上4度目のファイナリストとなった(決勝戦はPK戦の末に、アスレティック・ビルバオに敗れた)。2024年5月22日、同シーズン限りでの退任が発表された。

2024年7月22日、自国開催となる2026年のワールドカップを控えたメキシコ代表監督に再任した。自身3度目の就任となる。本戦では予選リーグを全勝して1位通過し決勝トーナメント進出、ラウンド16でイングランド代表と対戦し惜敗した。今大会をもって退任。

2026-27シーズン開幕序盤の9月、スペインリーグのバレンシアCF監督に途中就任した。

発言集

一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。

2026-27シーズン(3件)
2026年10月12日本人コメントハビエル・アギーレ(監督)/試合前会見
バレンシアの新監督に就任したアギーレが、同クラブのMF佐藤龍之介についてコメント。ラシン・サンタンデール戦の試合前会見でのもの。佐藤は日本代表活動から早期復帰でアピールを試みたが、直近3試合で出場機会を逃していた。アギーレは佐藤の姿勢を評価しながらも、ポジション習得と順応に時間が必要であり、最適な出場機会が訪れるまで待機する方針を示した。
「場所を見つけてほしい」

出典:FOOTBALL ZONE 2026年10月14日

2026年10月10日本人コメントハビエル・アギーレ(本人)/公式インタビュー
バレンシア監督のアギーレが、新加入の日本代表MF佐藤龍之介について語った。9~10月の代表活動から2戦目後に離脱してクラブに合流した佐藤の姿勢を高く評価し、その献身的な態度に感心したと述べた。加えて、言語学習の進捗についても言及し、ピッチでのパフォーマンス向上に期待を寄せている。
「バレンシアの7試合を見たし、日本代表を離脱して合流してくれた姿勢が、とても好印象だった。チームに貢献したいという選手の姿勢は、すべて歓迎すべきものだ。」
「彼と話したが、英語とスペイン語を急速に習得している。そこには満足している。」

出典:Yahoo!ニュース 2026年10月10日

2026年9月28日本人コメントハビエル・アギーレ(本人)/公式インタビュー
低迷するバレンシアの新監督に就任したアギーレが、公式就任会見で語った内容。チームは開幕7試合で勝ち点4にとどまり、19位で降格圏にいる。欧州大会出場権を得れば2027年6月以降まで契約が自動延長される条件があるが、先の目標には踏み込まなかった。意識は10月11日のラシン・サンタンデール戦でのデビューに向いており、契約よりもチームの立て直しを優先する姿勢を見せた。
「一歩ずつ進めていきたい。先のことをあまり考えるのは好きではない。」
「契約を全うしなかったこともあれば、契約がないまま残ったこともある。居心地が良ければ、私は残る。」
「バレンシアのような歴史あるクラブには、決してノーとは言えない。」

出典:The Star 2026年9月28日

監督成績

在任別・通算

英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1379766774)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。

在任期間年齢チーム試合勝分敗勝率
1996.02〜1996.0637メキシコアトランテFC1124518.2%
1998.09〜2001.0639メキシコパチューカ12149274540.5%
2001.06〜2002.0742メキシコメキシコ代表27173763.0%
2002.07〜2006.0543スペインオサスナ17766496237.3%
2006.05〜2009.0247スペインアトレティコ・M13161313946.6%
2009.04〜2010.0650メキシコメキシコ代表32197659.4%
2010.11〜2011.1251スペインレアル・サラゴサ4513102228.9%
2012.11〜2014.0553スペインエスパニョール6922182931.9%
2014.07〜2015.0255日本日本代表1062260.0%
2015.06〜2017.0556UAEアル・ワフダ・アブダビ7834212343.6%
2018.08〜2019.0759エジプトエジプト代表1290375.0%
2019.11〜2020.0760スペインCDレガネス309111030.0%
2020.12〜2022.0262メキシコCFモンテレイ5323171343.4%
2022.03〜2024.0563スペインマジョルカ9734283535.1%
2024.07〜2026.0765メキシコメキシコ代表34218561.8%
2026.09〜現在67スペインバレンシア0000—
通算92738523630641.5%

所属チーム

クラブ

期間年齢チーム
1979〜198020メキシコアメリカ
1980〜198121アメリカロサンゼルス・アズテックス
1981〜198422メキシコアメリカ
1984〜198625メキシコアトランテ
1986〜198727スペインオサスナ
1987〜199328メキシコグアダラハラ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
1983〜199224メキシコメキシコ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
1995〜199636メキシコアトランテ監督
1998〜200139メキシコパチューカ監督
2001〜200242メキシコメキシコ監督
2002〜200643スペインオサスナ監督
2006〜200947スペインアトレティコ・マドリード監督
2009〜201050メキシコメキシコ監督
2010〜201151スペインサラゴサ監督
2011〜201452スペインエスパニョール監督
2014〜201555日本日本監督
2015〜201756UAEアル・ワフダ監督
2018〜201959エジプトエジプト監督
2019〜202060スペインレガネス監督
2020〜202261メキシコモンテレイ監督
2022〜202463スペインマジョルカ監督
2024〜202665メキシコメキシコ監督
2026〜67スペインバレンシア監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
198021ブラジルアメリカアメリカロサンゼルス・アズテックス移籍—形態・移籍金は未確認
198122アメリカロサンゼルス・アズテックスブラジルアメリカ移籍—形態・移籍金は未確認
198425ブラジルアメリカメキシコアトランテ移籍—形態・移籍金は未確認
198627メキシコアトランテスペインオサスナ移籍—形態・移籍金は未確認
198728スペインオサスナスペイングアダラハラ移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

タイトル

クラブ

クラブ・アメリカ(選手)

パチューカ(監督)

オサスナ(監督)

マジョルカ(監督)

メキシコ代表(監督)

英語の記録名しか確認できないもの(7件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(金2・銀1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

コパ・アメリカ金 2009 アメリカ金 2025 アメリカ・カナダ銀 2001 コロンビア

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

英語の記録名しか確認できないもの(1件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ハビエル・アギーレ」(版 111128275)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. FOOTBALL ZONE、2026年10月14日、2026年10月14日 取得 https://www.football-zone.net/archives/679102
  2. The Star、2026年9月28日、2026年10月11日 取得 https://www.thestar.com.my/news/world/2026/09/29/javier-aguirre-to-take-things-039one-step-at-a-time039-after-taking-over-struggling-valencia
  3. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  4. Wikipedia(日本語版)「ハビエル・アギーレ」、版 ID 111128275、2026年10月11日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%93%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%83%AC
  5. Wikipedia(英語版)、版 ID 1379766774、2026年10月18日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Javier_Aguirre
  6. Yahoo!ニュース、2026年10月10日、2026年10月11日 取得 https://news.yahoo.co.jp/articles/9ff9c1795ed8de2a4a4396ca52b3862da37e91db

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