チャ・ボムグン

SOCCERPEDIA / 選手ページ / 大韓民国のサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

韓国チャ・ボムグン(Cha Bum-kun、1953年5月22日生)は、華城市出身の元サッカー選手。ポジションはFW。韓国代表では1972年から通算136試合58得点を記録している。クラブでは公式戦通算372試合121得点(1976 シーズン以降)。クラブ・代表で通算20個のタイトルを獲得、個人賞は34回。

車 範根(チャ・ボムグン、チャ・ブングン、、1953年5月22日 - )は、大韓民国・京畿道華城市出身の元サッカー選手。本貫は。

1980年代を代表するストライカー。ドイツ・ブンデスリーガで通算98ゴールを記録し、UEFAカップ優勝2回、DFBポカール優勝の栄冠を手にした。

2026年10月にソン・フンミンに抜かれるまで、韓国代表の通算最多得点者であった。

クラブ経歴

選手経歴

韓国のセミプロチームだったソウル信託銀行を経て、軍隊チームの韓国空軍FCで兵役を終えて1979-80シーズンにフランクフルトに入団。3節のシュトゥットガルト戦でブンデスリーガ初ゴールを決めると、同シーズン12ゴールを決める活躍を見せた。1980-81シーズンのDFBポカール決勝のカイザースラウテルン戦で1ゴールを決めて優勝に貢献。1987-88シーズン、UEFAカップ決勝のエスパニョール戦では延長、PK戦にもち込む同点のゴールを決め、優勝に貢献した。一時はブンデスリーガ最高年俸を記録した。ブンデスリーガでは308試合に出場し98ゴール、ポカールでは27試合13ゴール、UEFAカップでは31試合9ゴールを記録した。2020年6月に長谷部誠に抜かれるまで、ブンデスリーガにおけるアジア人最多試合出場記録を保持していた。

FIFAワールドカップには1986年メキシコ大会に出場した。この時、韓国代表から長く離れ海外で長くプレイする車を呼び寄せるのに対し、ひとかたならぬ外交的措置が必要であったという。

指導者経歴

現役引退後は指導者の道に進む。1997年からは韓国代表を率い、フランスW杯本大会出場権獲得に導いた。しかし、翌年の本大会では2連敗して1次リーグ敗退が決定した直後に、大会期間中ながら解任された。その直後、月刊朝鮮でKリーグにはびこる八百長を暴露した ために、大韓サッカー協会から5年間の懲戒処分を受けて韓国国内に居場所がなくなり、中国リーグの深圳平安に監督として就任した。なお、この懲戒処分は2000年1月に解除されているが、結局国内リーグには当初の懲戒期間の5年間、雇われることはなかった。

2002 FIFAワールドカップ決勝トーナメント1回戦の対イタリア戦、韓国MBCの解説者として自国内の試合中継に参加し、ゴールデンゴールで韓国が勝利した際には、放送中にもかかわらず号泣した。これを隣の放送ブースでみていたセルジオ越後は、「自国のサッカーに関わる者として、また(当日出場した車ドゥリの)父親として、嬉し泣きは当然のことです。」と擁護した。

深圳平安を1999年に辞したあとは、韓国でテレビのサッカー解説者として働いていたが2004年からはKリーグの水原三星ブルーウィングスの監督に就任し、初年度でクラブをリーグ優勝へ導く。2005年、済州島で開催されたA3チャンピオンズカップも制した。2008年には日韓オールスター戦のKオールスターを監督として率いてもいる。2010年にリーグ低迷の責任を取り、6月6日付で辞任することを発表した。

2010年6月14日、2010 FIFAワールドカップの日本対カメルーン戦のSBS放送の解説委員を担当したが、車の解説は反日感情を含んでいたとされ、日本と韓国内のネチズンを中心に賛否両論の波紋を起こした。車は、試合後半でカメルーンがゴールのチャンスを逃すたびに「入れなきゃいけないのに」、「入れることができたゴールだった」など、露骨に残念そうな口調で解説しカメルーン寄りの発言を連発。韓国メディアも同問題に注目し、「カメルーンを韓国代表と錯覚したかのように、悔しさを隠さなかった」、「(偏った姿勢に)日本でも怒りの声が上がった」などと指摘した。車はネットユーザーの質問に対し「反日解説」との指摘を一蹴したが、「哨戒艦沈没事件」で緊張関係が続く北朝鮮の代表についても「北朝鮮の選手に愛情を感じる」と発言したため、韓国国内でさらに大きな波紋を巻き起こした。

代表経歴

代表での出場記録とメダルから組み立てた説明です。

1972年に韓国代表での出場記録が始まり、1986年までに通算136試合58得点を記録した。

代表で獲得したメダルはアジア競技大会金(1978 バンコク)。

プレースタイル

プレースタイル

抜群の身体能力と爆発的な加速でゴールを強襲するスタイルは、屈強な選手が揃った旧西ドイツ・ブンデスリーガでも異彩を放った。左右両足からの強烈なシュートと打点の高いヘディングで多くのゴールを奪った。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1大陸大会2シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点
韓国トラストバンク*197622ナショナル・セミプロ・リーグ*————————
韓国空軍*197622ナショナル・セミプロ・リーグ*————————
197723ナショナル・セミプロ・リーグ*————————
197824ナショナル・セミプロ・リーグ*————————
197925ナショナル・セミプロ・リーグ*————————
通算————————
ドイツSVダルムシュタット981978-7925ブンデスリーガ10————10
ドイツフランクフルト1979-8026ブンデスリーガ3112401134615
1980-8127ブンデスリーガ27866523816
1981-8228ブンデスリーガ311110613812
1982-8329ブンデスリーガ331510——3415
通算1224612622615658
ドイツバイエル・レバークーゼン1983-8430ブンデスリーガ341210——3512
1984-8531ブンデスリーガ291034——3214
1985-8632ブンデスリーガ341742——3819
1986-8733ブンデスリーガ3362132389
1987-8834ブンデスリーガ25400102356
1988-8935ブンデスリーガ3035020373
通算1855215715421563
キャリア通算3089827133710372121

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

韓国代表 としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
197218236
197319178
197420132
197521199
1976221913
1977232615
197824165
19863230
通算13658

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
1969〜197115儆新高等學校
1972〜197518韓国高麗大学校

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム
197622韓国ソウル信託銀行
1976〜197922韓国韓国空軍FC
1978〜197924ドイツSVダルムシュタット98
1979〜198325ドイツフランクフルト
1983〜198929ドイツバイエル・レバークーゼン

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
1991〜199437韓国蔚山現代FC監督
1997〜199843韓国韓国代表監督
1998〜199944中国深圳平安監督
2004〜201050韓国水原三星ブルーウィングス監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
197218儆新高等學校高麗大学校移籍—下部組織への移籍
形態・移籍金は未確認
197622高麗大学校ソウル信託銀行移籍—形態・移籍金は未確認
197622ソウル信託銀行韓国空軍FC移籍—形態・移籍金は未確認
197824韓国空軍FCドイツSVダルムシュタット98移籍—形態・移籍金は未確認
197925ドイツSVダルムシュタット98ドイツフランクフルト移籍—形態・移籍金は未確認
198329ドイツフランクフルトドイツバイエル・レバークーゼン移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

人物相関

所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。

指導を受けた監督

本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。

監督クラブ・代表在任
リヌス・ミケルスドイツバイエル・レバークーゼン1988年7月〜1989年4月

タイトル

クラブ

フランクフルト(選手)

レヴァークーゼン(選手)

個人

英語の記録名しか確認できないもの(32件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(金1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

アジア競技大会金 1978 バンコク

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「車範根」(版 111307442)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
  2. Wikipedia(日本語版)「車範根」、版 ID 111307442、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8A%E7%AF%84%E6%A0%B9
  3. Wikipedia(英語版)、版 ID 1379736613、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Cha_Bum-kun

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