ボビー・チャールトン

SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / イギリスのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

イングランドボビー・チャールトン(Bobby Charlton、1937年10月11日 - 2023年10月21日)は、アッシントン出身の元サッカー選手。ポジションはMF。イングランドでは1958年から通算106試合49得点を記録している。クラブでは公式戦通算812試合263得点(1956-57 シーズン以降)。クラブ・代表で通算24個のタイトルを獲得、個人賞は32回(バロンドール 9回)。

ボビー・チャールトン (Bobby Charlton) ことサー・ロバート・チャールトン CBE(Sir Robert Charlton CBE、1937年10月11日 - 2023年10月21日)は、イングランド・アシントンの元同国代表サッカー選手、元サッカー指導者。ポジションはFW、MF。

クラブ経歴

来歴

ノーサンバーランド州アシントン出身。1954年17歳でマンチェスター・ユナイテッドに入団した。当初は控えとされたが、1956年にレギュラーに定着、中心選手となり、1956-57シーズンには、リーグ優勝を経験した。しかし、1958年2月6日、チャンピオンズカップの準々決勝、レッドスター・ベオグラード戦からの帰路、『ミュンヘンの悲劇』と呼ばれる飛行機事故に遭い、彼が最も尊敬する主将ダンカン・エドワーズを含む多くの仲間を失ってしまう。彼自身も気を失った状態でシートベルトをしたまま座席ごと機外へ放り出されたが大きな怪我はなく、一命を取り留めた。しかし、精神的なショックは大きく、一時は全くボールを蹴ることが出来なかったという。

この事故のわずか2ヵ月後の1958年4月19日スコットランド戦でイングランド代表デビューを果たし、この試合で代表初得点を挙げた。しかし、代表3試合目は悲劇を思い起こさせるベオグラードでのユーゴスラビア戦だった。この試合でボビーは著しく精彩を欠き、その年のワールドカップまで精神的なダメージを引きずることになった。

その後、不屈の精神で立ち直り、チームの建て直しに貢献。1960年代には、同じく事故の精神的ダメージから立ち直った監督のマット・バスビーと共に、ジョージ・ベストやデニス・ローら若手の多いチームを主将として牽引し、1963年にはFAカップを、1965年と1967年には当時のイングランド一部リーグであるリーグを制するなど、黄金時代を築き上げた。また、個人としても、1966年に、欧州最優秀選手であるバロンドールを受賞している。

事故の精神的なダメージから、1958年のワールドカップ・スウェーデン大会では活躍出来なかったが、再起した後は、1962年のチリにおけるワールドカップ・チリ大会では準々決勝でブラジルに敗れるも、中心選手として活躍。また、1966年、自国開催のイングランドワールドカップで、母国初の優勝に貢献した。

悲劇から10年後の1968年、チャンピオンズカップ決勝ベンフィカ戦に臨んだ彼は、2得点を挙げる活躍を魅せ、10年前にミュンヘンの悲劇によって果たすことが出来なかったチャンピオンズカップ優勝を果たした。これは、イングランドのクラブとしてトッテナムの後での欧州トロフィーである。

1970年のメキシコワールドカップで、3度目のワールドカップに出場し、通算14試合出場4得点を挙げた。これを含めた代表試合成績は、106試合で49得点であった。得点数はイングランド代表としての歴代3位である(1位はハリー・ケイン、2位はウェイン・ルーニー)。

1994年には、名実共にイングランドを代表したサッカー選手として、ナイトの称号『サー』を授けられた。

代表経歴

代表での出場記録とメダルから組み立てた説明です。

1958年にイングランドでの出場記録が始まり、1970年までに通算106試合49得点を記録した。

代表で獲得したメダルはUEFA欧州選手権銅(1968 イタリア)。

人物像

人物

イングランド史上最高の選手と言われている。母の兄弟にはニューカッスル・ユナイテッドの伝説的選手、ジャッキー・ミルバーンがいる。つまりボビーはミルバーンの甥である。ただし、彼にサッカーの手ほどきをしたのは叔父ではなく、母親であった。叔父の名を受け継いだ2歳年上の兄のジャッキー・チャールトンもワールドカップ優勝メンバーである。

テクニックとパワーを兼ね備えた選手であり、特に左足から放たれる正確かつ強力なシュートは「キャノンシュート」と呼ばれ恐れられていた。また、キャプテンとして冷静沈着なプレーぶりは模範的なものであり、私生活でも常によき夫、2人の娘のよき父であり続けた。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1リーグカップ2大陸大会3その他4シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
イギリスマンチェスター・ユナイテッド1956-57181部リーグ141021——11001712
1957-58191部リーグ21875——23003016
1958-59201部リーグ382910——————3929
1959-60211部リーグ371833——————4021
1960-61221部リーグ39213000————4221
1961-62231部リーグ37862——————4310
1962-63241部リーグ28762——————349
1963-64251部リーグ40972——64105415
1964-65261部リーグ411070——118——5918
1965-66271部リーグ381670——82105418
1966-67281部リーグ42122000————4412
1967-68291部リーグ411521——92125320
1968-69301部リーグ32560——8220487
1969-70311部リーグ40129181————5714
1970-71321部リーグ4252063————508
1971-72331部リーグ4087262————5312
1972-73341部リーグ3661041————417
通算6061997819247452252758249
イングランドプレストン・ノースエンド1974-75363部リーグ3884131————4510
ウォーターフォード1975-7637リーグ・オブ・アイルランド311000————41
ニューカッスルKBユナイテッド197840ナショナル・サッカーリーグ100000————10
オーストラリアパース・アズーリ197941ナショナル・プレミアリーグ西オーストラリア320000————32
オーストラリアブラックタウン・シティ198042ナショナル・サッカーリーグ110000————11
キャリア通算6522118320278452252812263

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 3. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 4. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

イングランド としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19582067
19592175
19602286
19612396
19622481
196325106
19642682
19652752
196628156
19672942
19683083
19693191
19703292
通算10649

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
——東ノーサンバーランド学校
1953〜195615イングランドマンチェスター・ユナイテッド

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム
1956〜197318イングランドマンチェスター・ユナイテッド
1974〜197536イングランドプレストン・ノースエンド
197638アイルランドウォーターフォード
197840オーストラリアニューカッスルKBユナイテッド
198042パース・アッズーリ
198042オーストラリアブラックタウン・シティ
198042オーストラリアパース・アズーリ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
195416イングランド ユース
1958〜196020イングランドイングランド U-23
1958〜197020イングランドイングランド

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
1973〜197535イングランドプレストン・ノースエンド監督
1983〜198345イングランドウィガン・アスレティック(暫定)監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
197436イギリスマンチェスター・ユナイテッドイングランドプレストン・ノースエンド移籍—形態・移籍金は未確認
197638イングランドプレストン・ノースエンドウォーターフォード移籍—形態・移籍金は未確認
197840ウォーターフォードニューカッスルKBユナイテッド移籍—形態・移籍金は未確認
198042ニューカッスルKBユナイテッドパース・アッズーリ移籍—形態・移籍金は未確認
198042パース・アッズーリオーストラリアブラックタウン・シティ移籍—形態・移籍金は未確認
198042オーストラリアブラックタウン・シティパースSC*移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

タイトル

クラブ

マンチェスター・ユナイテッド

イングランド代表

個人

英語の記録名しか確認できないもの(19件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(銅1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

UEFA欧州選手権銅 1968 イタリア

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ボビー・チャールトン」(版 107575625)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  2. Wikipedia(日本語版)「ボビー・チャールトン」、版 ID 107575625、2026年9月17日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3
  3. Wikipedia(英語版)、版 ID 1380475148、2026年10月20日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Bobby_Charlton

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