ベベット

SOCCERPEDIA / 選手ページ / ブラジルのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

ブラジルベベット(Bebeto、1964年2月16日生)は、サルヴァドール出身の元サッカー選手。ポジションはFW。ブラジルでは1985年から通算75試合38得点を記録している。クラブでは公式戦通算372試合197得点(1983 シーズン以降)。クラブ・代表で通算21個のタイトルを獲得、個人賞は14回。

ベベト(Bebeto、)ことジョゼ・ロベルト・ガマ・ジ・オリヴェイラ(José Roberto Gama de Oliveira、1964年2月16日 - )は、ブラジル・サルヴァドール出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元ブラジル代表。ポジションはフォワード。2010年のブラジル総選挙で政界入りし、民主労働党からリオデジャネイロ州議会議員に選出された。

1989年度南米年間最優秀選手賞受賞者で、1992-93シーズンのラ・リーガ得点王である。またゆりかごダンスの生みの親でもある。

クラブ経歴

クラブ経歴

ブラジルのフラメンゴではジーコの後継者と言われ6シーズンを過ごした。当初は活躍できるのか疑問視され、サポーターからブーイングを受けることすらあったが、次第に彼らの心を掴んだ。その後はヴァスコ・ダ・ガマで活躍した。

1992-93シーズン、バルセロナやバイエルン・ミュンヘンからのオファーを蹴り、1部に昇格したばかりのデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍した。1992-93シーズンの開幕戦となったセルタ戦でPKによるゴールを決め、以降の2試合でもゴールを奪い、開幕から3試合連続ゴールを決めると、10月2日のレアル・マドリード戦では2ゴールを決め勝利に貢献、10月16日のバルセロナ戦でも決勝ゴール、12月6日から1月27日まで7試合連続ゴールを決め、この間の1月3日エスパニョール戦では1PKを含む、ラリーガ移籍後初のハットトリックを決めるなど、29ゴールを決めラリーガの得点王となった。

1993-94シーズン、2月23日のアルバセテ・バロンピエ戦でハットトリックを決めるなど、リーグ戦では16ゴールを決め、最終節まで首位を走り、勝利すれば優勝というところまで行くが、はバレンシアと対戦し、試合中にPKを得たが、PKキッカーを務めていたドナトが既に交代、ベベトがPKを蹴ることを拒否、ジュキッチがこれを外した結果、引き分けに終わり、バルセロナがセビージャに勝利したことで逆転優勝を許した。

1994-95シーズン、4月9日のテネリフェ戦でハットトリックを決めるなど、リーグ戦では16ゴールを決めた。またコパ・デル・レイの優勝に貢献した。

1995-96シーズン、10月1日のアルバセテ・バロンピエ戦では一人で5ゴールを決め、12月21日のレアル・マドリード戦ではハットトリック、最終節のバルセロナ戦でも2ゴールを決めるなど、リーグ戦で25ゴールを決めた。在籍中の4シーズンで131試合86ゴールを決める活躍をした。その後フラメンゴに復帰、1996-97シーズンにはセビージャに移籍したが、5試合でノーゴールに終わり短期で退団した。

1997年には短期のレンタル移籍でクルゼイロに加入し、トヨタカップの獲得を目指し、ボルシア・ドルトムントとの試合に先発出場したが0-2と敗れた。

1999年、 ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で100位に選出された。

2000年にはジーコからの誘いを受け、サンダーランドからのオファーを断り、Jリーグの鹿島アントラーズに入団。大きく注目を集め、本人も入団会見で得点王宣言をするなど活躍が期待されたが、4月1日の横浜F・マリノス戦でJリーグ初ゴールを決めるも、全く水が合わず8試合出場しその1ゴールを挙げたのみで退団した。

引退後

引退後の2010年、ブラジルのリオデジャネイロ州会議員選挙に立候補し、当選を果たした、その後2度連続して当選した。2012年2月、2014年ブラジルW杯大会組織委員会理事に就任。

代表経歴

代表経歴

1989年度の南米選手権で6ゴールを決め得点王となり優勝に大きく貢献、南米年間最優秀選手賞を受賞した。1990年のイタリアW杯に出場したが、プレータイムは僅か7分に終わった。

1994年のアメリカW杯ではロマーリオと2トップを組み、グループリーグのカメルーン戦で1ゴール、決勝トーナメントのアメリカ戦、準々決勝のオランダ戦で1ゴール1アシストを決めるなど、ブラジルの4回目の優勝に貢献した。オランダ戦でゴールを決めた時に、自身の子供の誕生を祝うゆりかごダンスを披露した。この時のベベトによるゆりかごダンスが有名になり現在も使われている。

1996年にはアトランタ五輪にオーバーエイジとして参加。ポルトガルとの3位決定戦でハットトリックを決めるなど、チームトップとなる大会6得点を挙げ、銅メダル獲得に貢献。

1998年にはフランスW杯に出場、グループリーグのスコットランド戦ではセザール・サンパイオのゴールをアシスト、モロッコ戦、ノルウェー戦ではゴールを決めると、準々決勝のデンマーク戦では先制点を決めるなど、決勝進出に貢献、決勝ではフランスに敗れて連覇は出来なかった。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョン国内カップ1大陸大会2その他3シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点
ブラジルフラメンゴ1983190——————20
1984205——74——189
1985219——————229
1986225——————175
1987236——————146
1988249——————149
通算——74——8738
ヴァスコ・ダ・ガマ1989256——————126
1990261——51——132
1991273——————83
19922818——————2518
通算——51——5829
スペインデポルティーボ・ラ・コルーニャ1992-93282910————3829
1993-9429161043——3919
1994-9530161034——3320
1995-9631252056214332
通算50121321150100
ブラジルフラメンゴ1996327——————157
スペインセビージャ1996-9732000————50
ブラジルヴィトーリア1997338——————88
ブラジルボタフォゴ1998349——————179
199935—————————
通算——————179
メキシコトロス・ネサ1998-99342——————82
日本鹿島アントラーズ2000361——————81
ブラジルヴィトーリア2000360——————30
ヴァスコ・ダ・ガマ2001372——————82
200238—————————
通算——————82
サウジアラビアアル・イテハド2002-03381——————51
キャリア通算50241821372197

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 3. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

ブラジル としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19852060
19862100
19872200
19882300
1989241810
19902530
19912650
19922787
19932896
199429118
19953022
19963111
19973231
19983393
通算7538

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

クラブ

期間年齢チーム
1980〜198215ブラジルヴィトーリア
1983〜198918ブラジルフラメンゴ
1989〜199224ブラジルヴァスコ・ダ・ガマ
1992〜199527スペインデポルティーボ・ラ・コルーニャ
199631ブラジルフラメンゴ
1996〜199731スペインセビージャ
199732ブラジルヴィトーリア
199732ブラジルクルゼイロ
1998〜199933ブラジルボタフォゴ
199934メキシコトロス・ネサ
200035日本鹿島アントラーズ
200035ブラジルヴィトーリア
2001〜200236ブラジルヴァスコ・ダ・ガマ
200237サウジアラビアアル・イテハド

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
1985〜199820ブラジルブラジル

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
2009〜201044ブラジルアメリカ-RJ監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
198319ブラジルヴィトーリアブラジルフラメンゴ移籍—形態・移籍金は未確認
198925ブラジルフラメンゴヴァスコ・ダ・ガマ移籍—形態・移籍金は未確認
199228ヴァスコ・ダ・ガマスペインデポルティーボ・ラ・コルーニャ移籍—形態・移籍金は未確認
199632スペインデポルティーボ・ラ・コルーニャブラジルフラメンゴ移籍—形態・移籍金は未確認
199632ブラジルフラメンゴスペインセビージャ移籍—形態・移籍金は未確認
199733スペインセビージャブラジルヴィトーリア移籍—形態・移籍金は未確認
199733ブラジルヴィトーリアブラジルクルゼイロ移籍—形態・移籍金は未確認
199834ブラジルクルゼイロブラジルボタフォゴ移籍—形態・移籍金は未確認
199935ブラジルボタフォゴメキシコトロス・ネサ移籍—形態・移籍金は未確認
200036メキシコトロス・ネサ日本鹿島アントラーズ移籍—形態・移籍金は未確認
200036日本鹿島アントラーズブラジルヴィトーリア移籍—形態・移籍金は未確認
200137ブラジルヴィトーリアヴァスコ・ダ・ガマ移籍—形態・移籍金は未確認
200238ヴァスコ・ダ・ガマサウジアラビアアル・イテハド移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

タイトル

クラブ

デポルティボ・ラ・コルーニャ

鹿島アントラーズ

ブラジル代表 U-20

ブラジル代表

個人

英語の記録名しか確認できないもの(22件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(金4・銀2・銅1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

FIFAワールドカップ金 1994 アメリカ銀 1998 フランス
FIFAコンフェデレーションズカップ金 1997 サウジアラビア
コパ・アメリカ金 1989 ブラジル
オリンピック銀 1988 ソウル銅 1996 アトランタ
南米U-20選手権金 1983 ボリビア

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

英語の記録名しか確認できないもの(1件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ベベト」(版 111327294)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  2. Wikipedia(日本語版)「ベベト」、版 ID 111327294、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%99%E3%83%88
  3. Wikipedia(英語版)、版 ID 1379903657、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Bebeto

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