概要
アルフ・ラムジー(Alfred Ernest Ramsey、1920年1月22日生)は、ウェールズ出身のサッカー監督。これまでに4クラブを指揮した。イングランドでは1948年から通算32試合3得点を記録している。クラブでは公式戦通算346試合32得点(1946-47 シーズン以降)。クラブ・代表で通算22個のタイトルを獲得。
サー・アルフ・ラムジー(Sir Alfred Ernest "Alf" Ramsey、1920年1月22日 - 1999年4月28日)は、イングランドの元サッカー選手、サッカー指導者。イングランド代表監督として1966年のFIFAワールドカップ・イングランド大会優勝に導いた人物である。
クラブ経歴
選手時代
ラムゼイは1920年にロンドン郊外のダゲナムで生まれた。1943年にサウサンプトンFCで選手経歴を開始した当初はインサイドフォワード(現在の攻撃的MF)としてプレーをしていたが、フルバック(現在のDF)へとコンバートされると顕著な活躍を見せるようになり、1949年に2万1千ポンドの移籍金でトッテナム・ホットスパーFCへ移籍した。トッテナムではアーサー・ロウ監督の速攻を主体とした戦術に適応し、また優れたリーダーシップでチームメイトを統率し「将軍」(the general)の愛称で呼ばれた。ラムゼイはスピードは無いものの、ポジショニングの良さと強烈なタックルを武器に活躍し、ペナルティキックを得意ともしていた。
イングランド代表としては1948年12月のスイス戦でデビューを飾り、1950年のFIFAワールドカップ・ブラジル大会に出場するなど、1954年に代表から退くまで国際Aマッチ32試合に出場し3得点を記録した。一方で、ブラジル大会のアメリカ合衆国戦(試合は0-1でイングランドの敗戦)や、1953年11月にロンドン・ウェンブリースタジアムで行われたハンガリーとの親善試合における歴史的な敗戦(試合は3-6でイングランドの敗戦)にも選手として立ち会っている。
その後
ラムゼイは1998年に脳梗塞にかかり、翌1999年4月28日にイプスウィッチの病院でアルツハイマー病により亡くなった。。彼の死後の2002年に、生前の功績が認められイングランドサッカー殿堂入りを果たした。
代表経歴
代表での出場記録とメダルから組み立てた説明です。
1948年にイングランドでの出場記録が始まり、1953年までに通算32試合3得点を記録した。
代表で獲得したメダルはFIFAワールドカップ金(1966 イングランド)、UEFA欧州選手権銅(1968 イタリア)。
監督経歴
監督時代
ラムゼイは1955年に現役を引退すると、直ぐに指導者の道へ進み、同年にイプスウィッチ・タウンFCの監督に就任した。当時3部リーグ所属し、無名選手ばかりで構成されていた弱小クラブを就任2年目の1956-57シーズンに3部リーグ優勝に導き2部リーグ昇格。1960-61シーズンに2部リーグで優勝し1部リーグ昇格へ導くと、1部昇格初年度の1961-62シーズンに1部リーグ優勝へと導いた。
この手腕が認められ、1962年にFIFAワールドカップ・チリ大会終了後にウォルター・ウィンターボトムの後任としてイングランド代表監督に就任した。1963年に敵地のパリで行われた1960 欧州ネイションズカップ、フランス戦が初采配となったが、この試合を2-5で落とし、先行きが不安視された。ここから改革に着手することとなった。この当時の代表選考に関しては、監督の意向よりも代表選考委員会(The team selection committee)の人選が優先されていたが、ラムゼイはその権限を掌握し、自ら代表選手の選考を行った。またウィンターボトムの時代には実現しなかったチームドクターの必要性を説き、帯同させるようになった。
1966年のFIFAワールドカップ・イングランド大会ではウイングを外し中盤の運動量を重視した4-4-2システム(ウイングレス・システム)を採用。地元開催の重圧の中、準決勝でポルトガル、決勝で西ドイツを下し初優勝。1968年のUEFA欧州選手権1968では3位、1970年のFIFAワールドカップ・メキシコ大会ベスト8進出に導いた。しかし、1973年10月に行われたFIFAワールドカップ・西ドイツ大会予選、ポーランドに競り負け予選敗退が決まると、責任を問われ監督を辞任した。
代表監督から退いたラムゼイは、1977年にバーミンガム・シティFCの暫定監督、1979年にギリシャのパナシナイコスのテクニカルディレクターを務めた。
個人成績
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
クラブ
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | シーズン通算 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1946-47 | 26 | 1 | 1 | 0 | 24 | 1 | |
| 1947-48 | 27 | 5 | 4 | 0 | 46 | 5 | |
| 1948-49 | 28 | 2 | 1 | 0 | 26 | 2 | |
| 通算 | 6 | 0 | 96 | 8 | |||
| 1949-50 | 29 | 4 | 3 | 0 | 44 | 4 | |
| 1950-51 | 30 | 4 | 1 | 0 | 41 | 4 | |
| 1951-52 | 31 | 5 | 2 | 0 | 40 | 5 | |
| 1952-53 | 32 | 6 | 9 | 0 | 46 | 6 | |
| 1953-54 | 33 | 2 | 6 | 0 | 43 | 2 | |
| 1954-55 | 34 | 3 | 3 | 0 | 36 | 3 | |
| 通算 | 24 | 0 | 250 | 24 | |||
| キャリア通算 | 30 | 0 | 346 | 32 | |||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
代表
イングランド としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1948 | 27 | 1 | 0 | |
| 1949 | 28 | 1 | 0 | |
| 1950 | 29 | 9 | 0 | |
| 1951 | 30 | 7 | 1 | |
| 1952 | 31 | 7 | 0 | |
| 1953 | 32 | 7 | 2 | |
| 通算 | 32 | 3 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
監督成績
在任別・通算
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1378166932)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| — | — | 369 | 176 | 75 | 118 | 47.7% | |
| — | — | 113 | 69 | 27 | 17 | 61.1% | |
| — | — | 28 | 11 | 4 | 13 | 39.3% | |
| 通算 | 510 | 256 | 106 | 148 | 50.2% | ||
所属チーム
クラブ(選手時代)
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
代表(選手時代)
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1948〜1954 | 27 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
監督
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
タイトル
クラブ
トッテナム・ホットスパー
- フットボールリーグ1部:1回(1950-51)
イプスウィッチ・タウンFC
- フットボールリーグ1部:1回(1961-62)
イングランド代表
- FIFAワールドカップ:1回(1966)
英語の記録名しか確認できないもの(9件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
獲得メダル
代表チームで獲得したメダルです(金1・銅1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| FIFAワールドカップ | 金 1966 イングランド |
|---|---|
| UEFA欧州選手権 | 銅 1968 イタリア |
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「アルフ・ラムゼイ」(版 102905477)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「アルフ・ラムゼイ」、版 ID 102905477、2026年10月11日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%82%BC%E3%82%A4
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1378166932、2026年10月11日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Alf_Ramsey
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
関連項目
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