「監督を引き受けた時から、覚悟はできていた。どこかのタイミングで、けじめをつけないといけない。」
「みんなの頑張りで、V字回復はできつつある。できれば、5連勝(トータル7連勝)で締めくくりたい」
出典:日刊スポーツ 2026年10月10日
SOCCERPEDIA / 監督ページ / 日本のサッカー監督 / 最終更新:2026年9月1日
小菊昭雄(Akio Kogiku、1975年7月7日生)は、日本出身のサッカー監督。2025からサガン鳥栖の監督を務めている。これまでに2クラブを指揮した。
小菊 昭雄(こぎく あきお、1975年7月7日 - )は、兵庫県神戸市出身の元アマチュアサッカー選手、サッカー指導者。J2リーグ、サガン鳥栖監督。
滝川第二高校出身で、高校時代は黒田和生から指導を受けた。中盤の選手で、高校1年生の時に全国高校選手権の登録メンバーに入ったが、出場機会は皆無だった。
プロ選手になるのは難しいという立場を理解するようになった。「サッカーの近くで仕事がしたい」という夢を知っていた友人(当時のセレッソ大阪社長鬼武健二の息子)に紹介され、セレッソ大阪に手紙を書いて面接に臨んだ。
卒業直前の1998年2月からセレッソ大阪下部組織のコーチにアルバイト採用され、子供たちを教えるところからスタートした。給料は交通費込みだった。副業として、喫茶店で働いたこともある。そして、半年の試用期間後に社員となった。
スカウトを担当していた時には、GKの獲得を目的にFCみやぎバルセロナに所属していた丹野研太を視察した際、2学年下の香川真司のプレーに目が留まり、後にプロの世界へと導いた。
2005年からトップチームのコーチを務め、2012年12月には家庭の事情でブラジルへ帰国したレヴィー・クルピ監督に代わり、暫定的にシーズン残り試合の指揮を執った。
2013年限りでコーチを離任し、2014年より強化部課長に就任した。同年9月、セレッソ大阪トップチームコーチに就任。
2021年8月26日、前監督が成績不振による契約解除で退任となり、セレッソ大阪監督に就任。2日後からガンバ大阪との三連戦が控えており「このタイミングで初戦がガンバ大阪でそれも3連戦だと。深い縁を感じます。」と心情を表現した。練習期間1日でビルドアップの立ち位置、攻から守への切り替え、球際でまず負けない事などを整理した。迎えたリーグ戦第27節アウェイで行われたG大阪戦は1-0で勝利。カップ戦ではそれまで控えやベンチ外で出場機会に飢えていたメンバーが先発出場し、G大阪とのルヴァンカップ準々決勝・第2戦で4-0で勝利、準決勝浦和レッズとの第2戦も1-0で勝利、決勝に導いた。リーグ戦ではJ1残留を確定させた。天皇杯、準々決勝名古屋グランパス戦では直前のリーグ戦から先発メンバーを9人変更して3-0で勝利、準決勝まで勝ち進んだ。
2022年シーズンに向けて「私は監督1年生の立場。選手・スタッフが自分を信じてついてきてくれていることに喜びと感謝の気持ちでいっぱいです。」と語った。が、8月27日の試合再会以降は、公式戦12試合ぶりの敗戦に加えて、シーズン初の連敗を喫し、天皇杯もサンフレッチェ広島に1-2で敗れて、準々決勝で敗退となってしまった。ルヴァンカップ準決勝・浦和レッズ戦では、第1戦は選手の体調不良の影響で、出場機会の少ないメンバーが試合に臨んだ。2戦目は「一人一人の立ち位置を修正し、ポジション、役割がかぶらないようにした。準備してきたことを100%、表現してくれた。」と4-0で勝利し、2戦合計5-1で突破、2年連続で決勝に進んだ。決勝・サンフレッチェ広島戦では、リードしていたが退場とPKを献上しアディショナルタイムに2点を奪われて敗戦した。選手に対しては「まだ初心者マークの俺に対してみんながついてきてくれて、2年も連続で決勝に連れてきてくれてほんまに感謝してる。今日は監督力の差で負けた。」と話し、取材に対しては「私の力のなさで選手たちを勝たせてあげられなかった、私が引き出しを増やしていく。」と話した。
2023年、新加入のレオセアラがJリーグで自己最高得点記録を更新、チームにとっては7年振りに二桁得点者が誕生し、目標のエース格の確立を達成。
2024年、クラブ設立30周年を迎え今季の目標としてリーグ優勝を掲げた。開幕から8試合無敗でクラブの開幕からの無敗記録を更新し、2020年7月以来の単独首位に立った。4月の月間優秀監督賞を受賞した。しかし、その後は失速し全てのタイトルを逃した。リーグ優勝が極めて厳しくなった9月のヴィッセル神戸戦後に、自らクラブに監督辞任を申し出た。10月10日に契約満了が発表された。リーグ戦終盤から3バック、ウィングバック、2シャドーのフォーメーションを採用し、選手曰く「やることがはっきりと整理された」事で、一時は立て直したが、昨年よりも順位を落とし10位で終わりチームにとっては3年振りの二桁順位で終えた。
2024年12月14日、2025年よりJ2を戦うサガン鳥栖の監督に就任することが発表された。
J2優勝でのJ1昇格を目標として挑んだ2025年のJ2リーグ。開幕から3連敗と序盤は苦戦を強いられた。しかし、中盤にかけて建て直し、昇格争いに加わった。終盤は勝ちきれない試合が多く、残り1試合を残しJ2残留が決まった。結果としてJ2初挑戦となった2025シーズンは年間8位という成績で終えた。
新川志音をはじめとする若手の積極起用による成長や、怪我・コンディション不良の選手が多い中、終盤まで昇格POを争ったことも評価され、最終戦翌日の2025年11月30日、J2・J3百年構想リーグならびに2026/27シーズンの続投が発表された
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「監督を引き受けた時から、覚悟はできていた。どこかのタイミングで、けじめをつけないといけない。」
「みんなの頑張りで、V字回復はできつつある。できれば、5連勝(トータル7連勝)で締めくくりたい」
出典:日刊スポーツ 2026年10月10日
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1359334232)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1991〜1993 | 15 | |
| 1994〜1997 | 18 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1994 | 18 | 滝川第二高等学校 | 愛知学院大学 | 移籍 | — | 下部組織への移籍 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「小菊昭雄」(版 109852908)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
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