概要
スタンリー・マシューズ(Stanley Matthews、1915年2月1日 - 2000年2月23日)は、ハンリー出身の元サッカー選手。ポジションはFW。イングランドでは1934年から通算54試合11得点を記録している。クラブでは公式戦通算803試合80得点(1931-32 シーズン以降)。クラブ・代表で通算38個のタイトルを獲得。
サー・スタンリー・マシューズ, CBE(Sir Stanley Matthews CBE, 1915年2月1日 - 2000年2月23日)は、イングランド出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。
クラブ経歴
経歴
1932年、17歳でストーク・シティとプロ契約し1934年9月29日にはウェールズ戦で代表デビューを果たす。1939年、第2次世界大戦の影響によりイングランドリーグは中止となり彼のキャリアは一時中断する。大戦中はイギリス空軍の訓練士官として軍務に服し、7年ぶりにリーグ戦が再開された翌年の1947年ブラックプールへ移籍。翌1948年に創設されたFWA年間最優秀選手賞の第1回受賞者となるが、この賞はこれまで2部リーグで1度の優勝に貢献したに過ぎないマシューズのために新聞記者たちが作ったとされる。
1953年5月3日FAカップ決勝戦ボルトンとの試合ではロスタイムでの大逆転劇勝利の立役者となり、この試合は『マシューズ・ファイナル (Matthews Final) 』と呼ばれFAカップ史上最も劇的な試合とされている。
1961年、46歳で当時2部のストーク・シティに戻った。クラブの英雄の復帰に、それまで1万割れしていた観客数は3万5000人を超えるようになった。1年後の62-63シーズンには1部昇格を果たす。同シーズン、マシューズは15年ぶり2度目のFWA年間最優秀選手賞を受賞する。1965年2月6日のフラムFC戦を最後に引退した。50歳での出場は最年長記録である。
ストーク・シティFCのホーム、ブリタニア・スタジアムの側には業績を記念してマシューズの銅像が建てられている。
また、1999年に ワールドサッカーの20世紀の偉大なサッカー選手100人で17位に選出された。
代表経歴
代表での出場記録とメダルから組み立てた説明です。
1934年にイングランドでの出場記録が始まり、1957年までに通算54試合11得点を記録した。
人物像
人物
イングランド・サッカー史上に残るウイングの名選手。「ドリブルの魔術師」の異名を持ち、彼が得意としたフェイントは『マシューズ』と呼ばれ、現在もドリブルの基本技の一つとして受け継がれている。
1956年には最初のバロンドール(欧州年間最優秀選手)受賞者となり、1965年にはサッカー選手としては初めてナイトの称号『サー』を授かる。現役中にこの栄誉に浴したのは2013年現在もマシューズのみである。
喫煙、飲酒を控えるのはもちろん、菜食を心がけ、毎朝6時に起床するなど徹底的な体調管理によって、17歳でのプロデビューから50歳まで一線でプレーした。一部リーグおよび代表選手としての最年長出場記録も保持している。また、33年間の現役生活で一度も警告を受けたことがないという生粋のフェアプレイヤーであった。
ペレからは「全サッカー選手の模範となる名選手」、フランツ・ベッケンバウアーからは「誰にも止めることができない男」と評されている。
個人成績
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
クラブ
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | シーズン通算 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1931-32 | 16 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | |
| 1932-33 | 17 | 1 | 0 | 0 | 15 | 1 | |
| 1933-34 | 18 | 11 | 4 | 4 | 33 | 15 | |
| 1934-35 | 19 | 10 | 1 | 1 | 37 | 11 | |
| 1935-36 | 20 | 10 | 5 | 0 | 45 | 10 | |
| 1936-37 | 21 | 7 | 2 | 0 | 42 | 7 | |
| 1937-38 | 22 | 6 | 3 | 0 | 41 | 6 | |
| 1938-39 | 23 | 2 | 2 | 0 | 38 | 2 | |
| 1939-40 | 24 | 0 | — | — | 3 | 0 | |
| 1945-46 | 30 | — | 8 | 0 | 8 | 0 | |
| 1946-47 | 31 | 4 | 5 | 1 | 28 | 5 | |
| 通算 | 30 | 6 | 289 | 57 | |||
| 1947-48 | 32 | 1 | 6 | 0 | 39 | 1 | |
| 1948-49 | 33 | 3 | 3 | 0 | 28 | 3 | |
| 1949-50 | 34 | 0 | 3 | 0 | 34 | 0 | |
| 1950-51 | 35 | 0 | 8 | 0 | 44 | 0 | |
| 1951-52 | 36 | 1 | 1 | 0 | 19 | 1 | |
| 1952-53 | 37 | 4 | 7 | 1 | 27 | 5 | |
| 1953-54 | 38 | 2 | 7 | 0 | 37 | 2 | |
| 1954-55 | 39 | 1 | 1 | 0 | 35 | 1 | |
| 1955-56 | 40 | 3 | 1 | 0 | 37 | 3 | |
| 1956-57 | 41 | 2 | 4 | 0 | 29 | 2 | |
| 1957-58 | 42 | 0 | 1 | 0 | 29 | 0 | |
| 1958-59 | 43 | 0 | 6 | 0 | 25 | 0 | |
| 1959-60 | 44 | 0 | 0 | 0 | 15 | 0 | |
| 1960-61 | 45 | 0 | 1 | 0 | 28 | 0 | |
| 1961-62 | 46 | 0 | — | — | 2 | 0 | |
| 通算 | 49 | 1 | 428 | 18 | |||
| 1961-62 | 46 | 2 | 3 | 1 | 21 | 3 | |
| 1962-63 | 47 | 1 | 0 | 0 | 31 | 1 | |
| 1963-64 | 48 | 0 | 4 | 1 | 13 | 1 | |
| 1964-65 | 49 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
| 通算 | 7 | 2 | 66 | 5 | |||
| 1961 | 46 | 0 | — | — | 14 | 0 | |
| 1965 | 50 | 0 | — | — | 6 | 0 | |
| 通算 | 0 | 0 | 20 | 0 | |||
| キャリア通算 | 86 | 9 | 803 | 80 | |||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
代表
イングランド としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1934 | 18 | 2 | 1 | |
| 1935 | 19 | 1 | 0 | |
| 1936 | 20 | 0 | 0 | |
| 1937 | 21 | 3 | 4 | |
| 1938 | 22 | 8 | 3 | |
| 1939 | 23 | 3 | 0 | |
| 1940 | 24 | 0 | 0 | |
| 1941 | 25 | 0 | 0 | |
| 1942 | 26 | 0 | 0 | |
| 1943 | 27 | 0 | 0 | |
| 1944 | 28 | 0 | 0 | |
| 1945 | 29 | 0 | 0 | |
| 1946 | 30 | 0 | 0 | |
| 1947 | 31 | 6 | 1 | |
| 1948 | 32 | 6 | 1 | |
| 1949 | 33 | 1 | 0 | |
| 1950 | 34 | 2 | 0 | |
| 1951 | 35 | 1 | 0 | |
| 1952 | 36 | 0 | 0 | |
| 1953 | 37 | 3 | 0 | |
| 1954 | 38 | 5 | 0 | |
| 1955 | 39 | 5 | 0 | |
| 1956 | 40 | 5 | 1 | |
| 1957 | 41 | 3 | 0 | |
| 通算 | 54 | 11 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
監督成績
在任別・通算
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1380281123)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1967.05〜1968.05 | 52 | 49 | 13 | 15 | 21 | 26.5% | |
| 通算 | 49 | 13 | 15 | 21 | 26.5% | ||
所属チーム
ユース
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1930〜1932 | 14 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
クラブ
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
代表
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1934〜1957 | 18 | |
| 1947〜1955 | 31 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
監督
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 1967〜1968 | 51 | 監督 | |
| 1970〜1971 | 54 | 監督 |
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
タイトル
クラブ
ブラックプール(選手)
- FAカップ:3回(1952-53, 1947-48, 1950-51)
その他
- FWA年間最優秀選手:2回(1948, 1963)
- バロンドール:1回(1956)
- IFFHSレジェンド
英語の記録名しか確認できないもの(22件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「スタンリー・マシューズ」(版 109757918)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- Wikidata、2026年10月23日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「スタンリー・マシューズ」、版 ID 109757918、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BA
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1380281123、2026年10月21日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Stanley_Matthews
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関連項目
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