寺田周平

SOCCERPEDIA / 監督ページ / 日本のサッカー監督 / 最終更新:2026年9月1日


概要

日本寺田周平(Shuhei Terada、1975年6月23日生)は、日本出身のサッカー監督。2024から福島ユナイテッドFCの監督を務めている。これまでに1クラブを指揮した。クラブでは公式戦通算256試合15得点(全期間)。

寺田 周平(てらだ しゅうへい、1975年6月23日 - )は、日本の元プロサッカー選手。サッカー指導者。現役時のポジションはディフェンダー。神奈川県横須賀市出身。

クラブ経歴

来歴

日産自動車サッカー部の下部組織で本格的にサッカーを始める。その後、神奈川県立横須賀高等学校から東海大学へ進学。在学中はサッカー部自体は関東2部や神奈川県リーグに所属していたが、1995年に開催されたユニバーシアード福岡大会でサッカー競技代表の中心選手として日本の大会初優勝に貢献し、プロからも注目を浴びる。卒業後は日産サッカー部の後身、Jリーグの横浜マリノス(現在の横浜F・マリノス)への入団が内定していたが、メディカルチェックで頸椎に問題が発見されて不合格となり、1年間の浪人生活を過ごした。

1999年、Jリーグ2部(J2)の川崎フロンターレに入団。日本には珍しい長身のボランチで、背番号「6」を与えられて開幕戦から先発メンバーとして出場した。シーズン途中は負傷により離脱したが、終盤戦に復帰してチームの優勝に貢献した。

チームがJ1に昇格した2000年にもレギュラーとなったが、5月の練習中に膝の靱帯を損傷し離脱。5月3日の磐田戦でJリーグ初ゴールと初退場を記録した直後の負傷で、さらに他の負傷なども重なって、公式戦復帰には約2年半を要した。以降、運動量が比較的少なくて済み、屈強な身体を活かせるディフェンダー(センターバック)に転向したが、度重なる怪我に悩まされ、ほとんど公式戦に出場できない日々が続いた。しかし2004年に復活を遂げ、寺田と同じく長身の伊藤宏樹(183 cm)、箕輪義信(187 cm)と組んだ3バック(通称・川崎山脈)は守備の安定に貢献した。

Jリーグ選手協会では2004年に川崎支部の会長、2005-06年には副会長を務めた。

2008年5月27日のキリンカップ・パラグアイ戦で、32歳339日で日本代表初出場(歴代4番目の年長記録、Jリーグ発足後では最年長)。

2010年は両ひざを手術した影響もあり公式戦13試合の出場に止まる。シーズン終了後、現役引退を発表した。

発言集

一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。

2026-27シーズン(2件)
2026年10月21日本人コメント寺田周平(監督)/試合後会見
福島ユナイテッドFCが北九州戦で2-1で勝利した試合後、監督の寺田周平は選手たちを称賛しつつ、試合前には「ゴールと、最後まで諦めない姿勢を見せよう」と選手に指示していたことが伝えられている。試合は県内の子供たち1439人を招待した特別な教育プログラムの一環であり、昨年同様のプロジェクトで敗れていた経緯があったため、寺田監督は子供たちに笑顔で帰ってもらうことを重視していた。勝利後も、今季3勝にとどまることに満足せず、次の試合への連勝を意識した発言をしている。
「全員の気持ちが伝わる試合だった」
「この1勝で満足するわけにはいかない。連勝目指して明日から練習に取り組みます」

出典:FOOTBALL ZONE 2026年10月22日

2026年10月10日本人コメント寺田周平(監督)
10月10日のレイラック滋賀との試合後、福島ユナイテッドFCの寺田周平監督がカズ(三浦知良)について評した。この試合でカズはメンバー外となり出場できなかったが、監督は練習での彼の姿勢が若手選手たちの模範となり、チーム全体にとって大きな資産だと語った。カズ自身も「いつも疲れている。ギリギリだよ」と述べながら、メンバー外でもハードな練習をこなし、「練習ができなくなったら終わり」と妥協しない姿勢を示している。
「カズさんの決して妥協しない練習への取り組みは、若手の手本でありチームの財産」

出典:FOOTBALL ZONE 2026年10月12日

監督成績

在任別・通算

英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1337440586)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。

在任期間年齢チーム試合勝分敗勝率
〜現在—日本福島ユナイテッドFC381851547.4%
通算381851547.4%

所属チーム

ユース(選手時代)

期間年齢チーム
1991〜199315日本横須賀高校

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ(選手時代)

期間年齢チーム
1999〜201023日本川崎フロンターレ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表(選手時代)

期間年齢チーム
2008〜200932日本日本

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
2024〜48日本福島ユナイテッドFC監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
199923横須賀高校日本川崎フロンターレ移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「寺田周平」(版 109850777)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. FOOTBALL ZONE、2026年10月12日、2026年10月12日 取得 https://www.football-zone.net/archives/678859
  2. FOOTBALL ZONE、2026年10月22日、2026年10月22日 取得 https://www.football-zone.net/archives/680378
  3. Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
  4. Wikipedia(日本語版)「寺田周平」、版 ID 109850777、2026年10月11日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E7%94%B0%E5%91%A8%E5%B9%B3
  5. Wikipedia(英語版)、版 ID 1337440586、2026年10月11日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Shuhei_Terada

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