「誰が出ても問題ない」
「ただ、ここで満足することなく」
出典:FOOTBALL ZONE 2026年10月19日
SOCCERPEDIA / 監督ページ / 日本のサッカー監督 / 最終更新:2026年9月1日
松橋力蔵(Rikizo Matsuhashi、1968年8月22日生)は、日本・東京出身のサッカー監督。2025からFC東京の監督を務めている。これまでに3クラブを指揮した。
松橋 力蔵(まつはし りきぞう、1968年8月22日 - )は、千葉県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
東京都調布市の国領で生まれた。幼稚園入園前に転居し、千葉県で育ったため、一部のプロフィールを除いて出身地は千葉県と記載されている。少年時代はヨハン・クライフに憧れ、プレーを真似た。
千葉県立市原緑高等学校卒業後就職するものの、サッカー選手になるべく日産自動車サッカー部のサテライトチームに相当する日産FCファームの選考を受けた。合格とともに退職し、倉庫などのアルバイトをしながらプレーを続け、1989年にトップチームに加入した。日本サッカーリーグ(1部)初出場は、1990年2月11日 第14節 対松下電器戦(神戸総合運動公園ユニバー記念競技場)であった。球扱いの巧みさもあり、「木村和司2世」との評価を得た。松橋自身、影響を受けた人物として木村の名を挙げている。
プロクラブとなった横浜マリノスにも引き続き在籍し、1993年サントリーシリーズ第18節ホーム名古屋グランパスエイト戦でJリーグ初出場。その後、1995年まで在籍し、クラブに貢献した。
1996年、Jリーグ昇格初年度の京都パープルサンガに移籍した。同年の第3節鹿島アントラーズ戦でJリーグ初ゴールを記録。京都では2シーズンにわたってプレーした。Jリーグでは、リーグ戦44試合3得点(横浜M17試合0得点、京都27試合3得点)、Jリーグカップでは18試合1得点(横浜M8試合0得点、京都10試合1得点)、天皇杯は3試合2得点。
1998年にはジャパンフットボールリーグのジヤトコサッカー部(当時はジャトコ)に移籍し4シーズン在籍、2001年シーズン終了を以て選手を引退した。ジヤトコ時代は、リーグ戦79試合15得点、天皇杯5試合2得点。
2003年末のジヤトコサッカー部活動終了にともない、サッカーを離れて一般社員としての採用も選択肢にあったものの、2004年1月に横浜F・マリノスのサッカースクールコーチに就任。以降も横浜FMで主に育成組織の指導を担当し、天野純、喜田拓也、遠藤渓太などの育成に関わった。横浜FMユース監督時代から指導時に「停滞は後退である」という言葉を熱心に選手へ伝えており、前述の遠藤や常本佳吾などがこの言葉を引用し、コメントに使った例がある。
2016年11月21日、2017シーズンよりトップチームのヘッドコーチに就任することが発表された。2018年から監督がアンジェ・ポステコグルーに変更になったが、自身はトップチームコーチとして指導に携わり、2020年末で横浜FMを退団した。
2021年からアルビレックス新潟のトップチームコーチに就任した。2021年12月6日、新潟の監督に就任した。2022年シーズンには新潟を6季ぶりのJ1復帰、2003年以来のJ2優勝へと導いた。2024年のJリーグYBCルヴァンカップでは決勝に進出し、PK戦で名古屋グランパスに敗れたものの準優勝という結果を残した。
2024年12月13日、アルビレックス新潟の監督を今季限りで退任する事が公表された。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「誰が出ても問題ない」
「ただ、ここで満足することなく」
出典:FOOTBALL ZONE 2026年10月19日
「いつも通り。練習でやっていることをそのまま出せ」
出典:FOOTBALL ZONE 2026年10月16日
「精度を高めればさらに怖い選手になる。それを目指せる気概がある」
出典:Yahoo!ニュース 2026年10月10日
「勝って進めたことをうれしく思う」
「まだまだコンディション的にはベストではないが、早くゲームに入ってJリーグに慣れることが大事だった。彼にとってもいいデビューになったのでは」
出典:Yahoo!ニュース 2026年10月7日
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1364388253)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2022.02〜2025.01 | 53 | 136 | 57 | 37 | 42 | 41.9% | |
| 2025.02〜現在 | 56 | 66 | 28 | 18 | 20 | 42.4% | |
| 通算 | 202 | 85 | 55 | 62 | 42.1% | ||
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1984〜1986 | 15 | |
| 1988 | 19 | 日産FCファーム |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1989〜1995 | 20 | |
| 1996〜1997 | 27 | |
| 1998〜2001 | 29 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1988 | 19 | 市原緑高校 | 日産FCファーム | 移籍 | — | 下部組織への移籍 形態・移籍金は未確認 |
| 1989 | 20 | 日産FCファーム | 日産/横浜マリノス | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
| 1996 | 27 | 日産/横浜マリノス | 京都パープルサンガ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
| 1998 | 29 | 京都パープルサンガ | ジヤトコ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「松橋力蔵」(版 110693663)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
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