「2点ビハインドの中、選手たちは前に足を出してくれたと思います。なかなか点を取れていなかったが、2つ取れたのは我々にとっては大きなことだと思います」
「まだ死んでない」
出典:FOOTBALL ZONE 2026年10月21日
SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / ポルトガルのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日
相馬直樹(Naoki Soma、1971年7月19日生)は、清水区出身の元サッカー選手。ポジションはDF、所属は東京ヴェルディ。日本では1995年から通算58試合4得点を記録している。
相馬 直樹(そうま なおき、1971年7月19日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはディフェンダー(左サイドバック、センターバック)、ミッドフィールダー(ボランチ)。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修了。
清水東高校から早稲田大学を経て、1994年、鹿島アントラーズに入団。左サイドバックとしてチームの黄金時代に貢献。1994年6月15日のジュビロ磐田戦ではジーコの現役ラストゴールをアシストした。1995年4月15日のガンバ大阪戦でJリーグ初ゴールを決めた。
1997年には1998 FIFAワールドカップ・アジア予選で日本のワールドカップ初出場に貢献、1998 FIFAワールドカップでも全3試合に出場、トルシエ監督就任後も代表に招集され、1999年のコパ・アメリカにも出場、日本代表として58試合に出場した。
第80回天皇杯全日本サッカー選手権大会(2000年)で左膝外側半月板損傷の重傷を負い、1年近くをリハビリに費やした。
2002年、東京ヴェルディ1969に期限付き移籍、2003年に鹿島に復帰後、2004年に川崎フロンターレに完全移籍して川崎のJ1昇格に貢献し、2005年シーズン終了をもって引退。引退試合は2005年12月24日の天皇杯、対浦和レッズ戦。
引退後はサッカー解説者として主にTBS系列やスカパー!の中継番組に出演。また2006年からはJFAアンバサダーや川崎フロンターレクラブアシストパートナーとしても活動、新聞、雑誌等にも多数寄稿していた。
2009年8月にU-20日本代表のナショナルトレセンコーチを務めた他、同年にJFA 公認S級コーチライセンスを取得した。
2010年、JFLに所属するFC町田ゼルビアの監督に就任。ワールドカップを経験した日本人選手の中では初の監督就任となった。クラブからの慰留を辞退し、同年限りで監督を退任。
2011年、川崎フロンターレの監督に就任。一時は残留争いに巻き込まれるなど11位に低迷。2012年も開幕2連勝のあと公式戦5戦勝ちなしと低迷を抜け出せず、2012年4月11日に監督契約を解除された。スポーツナビのコラムでは、消極的な采配で選手の信頼を失ったと解説されている。
2014年11月27日、2015年シーズンも引き続きFC町田ゼルビアの指揮を執ることが発表された。
2021年4月、ザーゴ監督の解任を受け鹿島アントラーズの監督に就任した。しかし同年限りで退任することを12月5日に発表。
2022年5月26日、霜田正浩監督の解任を受け、大宮アルディージャの監督に就任した。翌2023年5月19日、チームがJ2最下位となったことにより解任された。
2024年11月14日、鹿児島ユナイテッドFCのGM兼監督に就任を発表。5位で昇格プレーオフに進出したがテゲバジャーロ宮崎に敗れ、1年で退任した。
2026年10月8月、シーズン途中で契約解除された城福浩の後任として、東京ヴェルディの監督に就任した。
代表での出場記録とメダルから組み立てた説明です。
1995年に日本での出場記録が始まり、1999年までに通算58試合4得点を記録した。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「2点ビハインドの中、選手たちは前に足を出してくれたと思います。なかなか点を取れていなかったが、2つ取れたのは我々にとっては大きなことだと思います」
「まだ死んでない」
出典:FOOTBALL ZONE 2026年10月21日
「その準備なんてとてもじゃないですけど、できてなかったので」
「もう一個のところでいうと、僕がコンディションを見誤った」
「僕の知っている一美はもっとできる選手。少し反応が遅かったのが散見された。」
出典:Yahoo!ニュース 2026年10月11日
「NO LIMIT!」
出典:東京ヴェルディ 2026年10月9日
「選手の力を最大限生かしながら、まずは目の前の局面を少しでも変えていく。その先に少しでも上を目指したところにいけるようにやっていきたい」
「簡単な状況ではないというのは、本当に昨日もLINEだったりメッセージをたくさんいただいた。でも、それは全て分かった上で自分はトライしてみたい。」
出典:デイリースポーツ 2026年10月8日
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 大陸大会1 | シーズン通算 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1994 | 22 | — | 1 | 0 | — | — | 30 | 0 | |
| 1995 | 23 | — | — | — | — | — | 54 | 3 | |
| 1996 | 24 | — | 14 | 0 | — | — | 47 | 2 | |
| 1997 | 25 | — | 2 | 1 | — | — | 28 | 1 | |
| 1998 | 26 | — | 1 | 0 | — | — | 39 | 1 | |
| 1999 | 27 | — | 7 | 1 | — | — | 39 | 1 | |
| 2000 | 28 | — | 7 | 0 | — | — | 41 | 2 | |
| 2001 | 29 | — | 1 | 0 | — | — | 11 | 0 | |
| 2003 | 31 | — | 3 | 1 | 3 | 0 | 26 | 3 | |
| 2002 | 30 | — | 6 | 0 | — | — | 33 | 0 | |
| 2004 | 32 | — | — | — | — | — | 16 | 0 | |
| 2005 | 33 | — | 3 | 0 | — | — | 17 | 0 | |
1. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
日本 としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1995 | 23 | 9 | 0 | |
| 1996 | 24 | 13 | 2 | |
| 1997 | 25 | 21 | 1 | |
| 1998 | 26 | 10 | 1 | |
| 1999 | 27 | 5 | 0 | |
| 通算 | 58 | 4 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1379516657)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1987〜1989 | 15 | |
| 1990〜1993 | 18 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1995〜1999 | 23 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 2010〜2010 | 38 | 監督 | |
| 2011〜2012 | 39 | 監督 | |
| 2014〜2019 | 42 | 監督 | |
| 2021〜2021 | 49 | 監督 | |
| 2022〜2023 | 50 | 監督 | |
| 2025〜2025 | 53 | 監督 | |
| 2026〜 | 54 | 監督 |
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1990 | 18 | 清水東高校 | 早稲田大学 | 移籍 | — | 下部組織への移籍 形態・移籍金は未確認 |
| 1994 | 22 | 早稲田大学 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 2002 | 30 | 期限付き移籍 | — | 期間・移籍金は未確認 | ||
| 2004 | 32 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「相馬直樹」(版 111326979)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
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