「トリノのユベントゥスで起きていることに深い悲しみを感じる。私が目にしているものは信じられない。」
「無能さ、情熱の喪失、ピッチ上の質の欠如、傲慢さ、誤った判断がある。」
「何より最悪なのは、原因を理解しようという意欲がまったく見えないことだ。」
出典:Goal.com 2026年10月24日
SOCCERPEDIA / 選手ページ / イタリアのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日
マルコ・タルデッリ(Marco Tardelli、1954年9月24日生)は、カレッジネ出身の元サッカー選手。ポジションはMF。イタリアでは1976年から通算81試合6得点を記録している。クラブでは公式戦通算537試合66得点(1972-73 シーズン以降)。クラブ・代表で通算14個のタイトルを獲得、個人賞は6回。
マルコ・タルデッリ(Marco Tardelli、1954年9月24日 - )は、イタリア・カパンネ・ディ・カレッジネ出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。豊富な運動量とボール奪取能力を武器とした1970年代後半から1980年代中期のイタリアを代表する選手の一人。1978年、1982年、1986年と3度のワールドカップに出場した。
四兄弟の末っ子で、父親はANASの職員であった。幼少期、本人はサッカーをしたかったが、学業の優先を望む両親により、サッカーをすることを止められていた。サンマルティノのユースチームに入団し、左右のフルバックとして優れたプレーを見せ、ビッククラブからも注目されたが、体の線が細いことが災いし、獲得を見送った。1971年にピサが獲得した。ウエイターとしても働いていたが、1973年3月25日にオルビア戦でトップチームでのデビューを飾った。このシーズン、エンポリとのトスカーナダービーで、プロとして初ゴールを決めた。ここで活躍を見せると、1974-75シーズン、コモ・カルチョ に引き抜かれ、チーム史上初となるセリエA昇格の立役者となった。
1975年、インテルナツィオナーレ・ミラノとユヴェントスFCが獲得を争ったが、1975-76シーズンからユヴェントスへ移籍、ハーフバックやフルバックとして、リーグ戦全30試合中、26試合に起用された。1975年12月14日には、インテル戦でセリエA初ゴールを決めた。1976-77シーズン、にジョヴァンニ・トラパットーニが監督に就任すると、フルバックから中盤へとコンバートされ、このシーズンの公式戦49試合で7得点を記録した。この年、リーグ優勝を果たすと、UEFAカップでも優勝、これはクラブ史上初となる、ヨーロッパの舞台でのタイトルだった。翌1977-78シーズンは、公式戦通算36試合6得点を記録、チームはリーグを連破した。1980-81シーズン、リーグ戦で7得点を決め、チームではリアム・ブレイディにい次いで多くの得点を決めるなど、リーグ優勝に貢献、キャリア最高とも言えるシーズンを過ごした。1981-82シーズン、チームはこのシーズンもリーグ優勝を果たした。1982-83シーズン、コッパ・イタリアを制したが、チャンピオンズカップでは決勝でハンブルガーに敗れ、リーグもASローマに及ばず、2位となった。
1983-84シーズン、リーグ優勝トUEFAカップウィナーズカップに優勝、このシーズンは公式戦44試合で8得点。1984-85シーズン、30歳になり、肉体的にやや衰えたと判断され、トラパットーニは、再びフルバックとして起用した。UEFAチャンピオンズカップ決勝のリヴァプール戦に出場して優勝、これがユヴェントスでのラストマッチとなった。
1985-86シーズン、アルド・セレーナのユヴェントス移籍に絡み、インテルへと移籍した。このシーズン、UEFAカップ準決勝でレアル・マドリードと対戦、1得点を決めた第1戦に勝利したが、第2戦で逆転され、決勝進出を逃した。1986-87シーズン限りでインテルを離れ、スイスの FCザンクト・ガレンで1シーズンプレーして現役を引退した。
引退後は指導者の道へ進みイタリア国内のクラブやU-21イタリア代表の監督などを歴任している。
1976年4月7日のポルトガル戦にて代表初出場。1978年1月25日のスペイン戦で代表初得点をマークした。
1978年のワールドカップアルゼンチン大会では、3位決定戦のブラジル戦以外の全試合に出場した。
1980年、地元イタリアで開催されたUEFA欧州選手権1980では、イングランド戦で決勝点を決めた。3位決定戦でPK戦の末にベルギーに敗れ、4位になった。
1982年のワールドカップ・スペイン大会では同国を3度目の世界制覇に貢献した。このうちスペイン大会では2次リーグのアルゼンチン戦でゴールを挙げ、決勝の西ドイツ戦では決勝ゴールを決めて、チームを優勝に導いた。両手を握り締めながら雄叫びを上げ、一心不乱に何度もガッツポーズをする姿がよく知られている。
1985年9月25日のノルウェー戦にキャプテンとして出場したのが、代表最後の出場試合で、1986年のワールドカップメキシコ大会には参加したが、出場機会は無かった。代表チームでは、通算81試合に出場した。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「トリノのユベントゥスで起きていることに深い悲しみを感じる。私が目にしているものは信じられない。」
「無能さ、情熱の喪失、ピッチ上の質の欠如、傲慢さ、誤った判断がある。」
「何より最悪なのは、原因を理解しようという意欲がまったく見えないことだ。」
出典:Goal.com 2026年10月24日
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | 大陸大会2 | シーズン通算 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1972-73 | 17 | セリエC* | 8 | 2 | — | — | — | — | 8 | 2 | |
| 1973-74 | 18 | セリエC* | 33 | 2 | — | — | — | — | 33 | 2 | |
| 通算 | 41 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 41 | 4 | |||
| 1974-75 | 19 | セリエB | 36 | 2 | — | — | — | — | 36 | 2 | |
| 1975-76 | 20 | セリエA | 26 | 2 | 4 | 0 | 3 | 0 | 33 | 2 | |
| 1976-77 | 21 | セリエA | 28 | 4 | 4 | 1 | 12 | 2 | 44 | 7 | |
| 1977-78 | 22 | セリエA | 26 | 4 | 4 | 1 | 6 | 1 | 36 | 6 | |
| 1978-79 | 23 | セリエA | 29 | 4 | 9 | 3 | 2 | 0 | 40 | 7 | |
| 1979-80 | 24 | セリエA | 18 | 4 | 2 | 0 | 7 | 0 | 27 | 4 | |
| 1980-81 | 25 | セリエA | 28 | 7 | 6 | 0 | 3 | 1 | 37 | 8 | |
| 1981-82 | 26 | セリエA | 22 | 3 | 4 | 1 | 3 | 0 | 29 | 4 | |
| 1982-83 | 27 | セリエA | 26 | 5 | 10 | 1 | 8 | 3 | 44 | 9 | |
| 1983-84 | 28 | セリエA | 28 | 0 | 6 | 1 | 8 | 1 | 42 | 2 | |
| 1984-85 | 29 | セリエA | 28 | 2 | 6 | 0 | 9 | 1 | 43 | 3 | |
| 通算 | 259 | 35 | 55 | 8 | 61 | 9 | 375 | 52 | |||
| 1985-86 | 30 | セリエA | 19 | 2 | 7 | 2 | 9 | 3 | 34 | 7 | |
| 1986-87 | 31 | セリエA | 24 | 0 | 7 | 1 | 6 | 0 | 37 | 1 | |
| 通算 | 43 | 2 | 14 | 3 | 14 | 3 | 71 | 8 | |||
| 1987-88 | 32 | ナツィオナールリーガA | 14 | 0 | — | — | — | — | 14 | 0 | |
| キャリア通算 | 393 | 43 | 69 | 11 | 75 | 12 | 537 | 66 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
イタリア としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1976 | 21 | 8 | 0 | |
| 1977 | 22 | 7 | 0 | |
| 1978 | 23 | 13 | 1 | |
| 1979 | 24 | 4 | 2 | |
| 1980 | 25 | 12 | 1 | |
| 1981 | 26 | 6 | 0 | |
| 1982 | 27 | 13 | 2 | |
| 1983 | 28 | 4 | 0 | |
| 1984 | 29 | 7 | 0 | |
| 1985 | 30 | 6 | 0 | |
| 通算 | 81 | 6 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1976〜1985 | 21 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
英語の記録名しか確認できないもの(5件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
代表チームで獲得したメダルです(金2)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| FIFAワールドカップ | 金 1982 スペイン金 2000 スロバキア |
|---|
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「マルコ・タルデッリ」(版 105679817)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
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