「町田の選手は誠実に勝ち方というのは秘訣を聞いてきますから。心理戦の部分はよく言います。」
「点数を取ることもそうなんですけど、相手のトップが1回1回ゴール前まで戻ってくる、戻らせるということがすごく大きいこと」
「配置, タイミング、投げるポイント、ターゲット、細かくやるとキリがないくらい。スクランブルを起こさせるという意味では有効な手立て。」
出典:Football Tribe 2026年10月6日
SOCCERPEDIA / 監督ページ / 日本のサッカー監督 / 最終更新:2026年9月1日
黒田剛(Go Kuroda、1970年5月26日生)は、日本・札幌出身のサッカー監督。2023からFC町田ゼルビアの監督を務めている。これまでに2クラブを指揮した。
黒田 剛(くろだ ごう、1970年5月26日 - )は、北海道札幌市出身の元アマチュアサッカー選手、サッカー指導者。現FC町田ゼルビア監督。
2023年にFC町田ゼルビアの監督に就任。高校サッカーの実績を評価されてプロチームの指揮を執るケースとしては布啓一郎に続く存在。
1970年5月、北海道札幌市生まれ。父から教わった野球に夢中になっていたが、小学2年時に隣の石狩町に転校。小学校には剣道と出来たてのサッカーチームしか無く、しばらく剣道を習っていたが、友人に誘われ地元のサッカー少年団の練習を覗いたことをきっかけに入団。小学4年の春に6年生チームに入るほど上達し、その後、北海道大会で3位入賞、フォワードとして優秀選手賞や得点王になった。
1986年、サッカーを強化し始めたばかりの登別大谷高等学校(2013年閉校、北海道大谷室蘭高等学校に統合)から声がかかり入学。本当はサッカーの名門、室蘭大谷高等学校(現:北海道大谷室蘭高等学校)を希望していた。高校からはポジションを後ろに下げ、ボランチやサイドバックを担当した。
高校サッカー部員時代には、理不尽な練習や、監督や先輩からひたすら殴られ蹴られる暴力的指導の被害を経験しており、何度も逃げ出したいと思ったが「なにくそ!」と反骨精神に火がつき、「辛い経験こそが今の私のベース」と述べるほど、後に恩師に対して感謝している。
1988年、兵庫県で開催された全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会(インターハイ)に出場。この時、大学生との練習試合をきっかけに大阪体育大学から声がかかり、進学内定。
1989年、大阪体育大学では1年時からレギュラー選手としてプレーしたが、サイドバックとしての限界を感じ、「(大学卒業後もサッカーを)2~3年やってもしょうがないな」と思うようになり、ファミレスのアルバイトに没頭。この経験をきっかけに「将来はサービス業に就きたい」と考え、大学卒業後は北海道に戻り星野リゾートに就職。また在学中に保健体育の教員免許を所得したが「とりあえずとっておくか」という気持ちだったという。
1993年、北海道勇払郡占冠村のアルファリゾート・トマムにてホテルマンとして勤務したが、「高卒で先に働いている年下の人間に顎で使われるのが、自分の中では許せなかったし、理解できなかった」「(年齢で三つ下の高卒2年目の同僚に呼び捨てにされ)鼻で使われるのが、もう腹が立ってしまった」ため、わずか3ヶ月で退職。
日に日にサッカーへの想いが強まり、教員になりたいと考え、北海道恵庭北高等学校の非常勤講師 と並行して、母校の登別大谷高等学校サッカー部臨時コーチを務めた。(教員採用されるまではガソリンスタンドのアルバイトも経験)
2025年3月14日 黒田による選手・スタッフへのパワーハラスメント疑惑が一部メディアで報じられた。
2025年3月21日 町田ゼルビアは、真相究明を目的として、弁護士3名(山岡通浩、鈴木優吾、沖田洋文)による「特別調査委員会」(クラブが任意に人選・設置したもの。日弁連が策定した第三者委員会ガイドラインに準拠した厳密な第三者委員会ではない)を設置。 なお、当該特別調査委員会の委員長を務めた山岡通浩は、2020年に株式会社Casaが実施した、宮地正剛社長の言動に関するハラスメント等の疑惑を調査する特別調査委員会においても委員長を務めており、パワーハラスメントに該当する事実は認められないと結論した最終報告書を提出している。 2025年4月6日 町田ゼルビアは、黒田監督およびスタッフら17名へのヒアリングに基づき、「一部に不適切な発言はあったものの、業務指導の範囲内でありパワハラには該当しない」と結論づけた調査報告書を公表した。
合わせて同日午前11:30、町田ゼルビア公式Xアカウントが以下のメッセージを投稿した。 【一部の報道について】 一部のメディアにおいて、黒田監督に関した報道がされておりますが、極めて悪質な記事であり、大変遺憾です。パワハラは事実無根であることをクラブ内で第三者委員会でも確認が済んでおります。本件については、Jリーグとも協議したうえで、対応してまいります。
ファン・サポーターの皆様始めとするクラブ関係者の皆様は、くれぐれもご心配なきよう、よろしくお願いいたします。
(*2025年12月24日をもって、本内容は削除された) また藤田晋CEOは「事実無根」として報道内容を強く否定する声明を出し、「訴訟も行います」と意向を表明した。
2025年4月30日 Jリーグ広報担当者は、本報告書を受理したことを明かし、「内容を精査してから対応する」と説明。メディアに対しては「(現時点で)パワハラと認定されたものはない」「再調査はしていない」との見解を示していた。
2025年12月23日 Jリーグ裁定委員会による調査の結果、黒田および町田ゼルビアに対し、「けん責(始末書を取り、将来を戒める)」の懲罰を科すことを発表した。黒田が所属選手を「造反者」と呼称するなどの不適切な言動を繰り返し、他者の尊厳を侵害し、口封じを行っており、一連の行為に反省の態度が見られない事実が認定された。これらの言動に対しJリーグは「選手やスタッフの心理的安全性を著しく阻害し、Jリーグの信用を失墜させた」と指摘している。
時事通信の報道によると「パワハラ認定されなかったにも関わらず懲罰が科されたのはJリーグ史上初のケース」となる。
4月当初、町田ゼルビア側は内部調査(クラブが任意に人選・設置したもの)による結果を根拠として、代表取締役CEOの藤田晋が「事実無根」「法的措置を講じる」等の強い姿勢を示していたが、Jリーグによる不適切発言の認定および調査不備の指摘を受け、従前からのクラブ側の説明と、Jリーグ認定内容との間に齟齬が生じている。
黒田の懲罰事案について、町田ゼルビア側は問題を事前に把握し、対処できたはずとの指摘がある。2022年から2024年1月まで町田ゼルビアに在籍し、町田でJ2リーグ戦48試合に出場したポープ・ウィリアムは、自身の体験として、黒田のコミュニケーション法や指導法に強い違和感を覚えると、当時の強化担当者やクラブ社長に伝えたと証言している。その上でチームと方向性を共有できないとの認識を示し退団した(『僕が移籍したのはこんな人と一緒に仕事なんてできるか。という理由でしたから』)としている。
より重要なのは、『その時に伝えたのは遅かれ早かれ監督はこういう問題が起きるということは僕からチームを去る時に伝えてました。それを聞いてなかったとはさすがに言わせません。』という証言である。一部の中心選手からの訴えは、遅くとも2023年の段階でクラブ側に共有されていた可能性がある。
2025年12月23日 Jリーグの処分決定を受け、町田ゼルビアは同日、「クラブとして適切な管理・監督体制を構築できていなかった」として謝罪文を掲載し、ガバナンス体制の刷新を表明した。
2025年12月24日 午後4:05、町田ゼルビア公式Xアカウントを通じて、裁定に対し、以下の見解を公表した。 https://x.com/FcMachidaZelvia/status/2003723730682531950
2026年1月7日 今年初練習において自らファンやサポーターに向けて挨拶したが、騒動について明確な言及はなかった。報道陣から騒動について質問が飛んだが、「ノーコメント」「クラブとしての判断。私はクラブの指示に従う」と言及を避け、さらに質問が続くと、「(始動日は)過去を振り返ることなく、気持ち新たに頑張ろうという日。我々にとっては意味のないことなので、終わったこととしてノーコメント」「終わったということで線引きして今年に入っている。選手たちにも迷惑がかかってしまう」と話した。
同日のキックオフミーティングにて、原靖フットボールダイレクターは「(契約更新の経緯の中で処分が出されたが、黒田の続投に関して)それ(処分)によって変化はあまりなかった」「(クラブ独自の処分は?の質問に)それはないです」と回答した。しかし取材マスコミ側からは「本当に誠意を持って対応するならばJリーグから処分が発表された時点で然るべき人間が速やかに対応すべき」、「(黒田監督は)問題を蒸し返されたと感じたのか、質問を受けたこと自体に不満を示した」と疑問・批判の声が相次いだ。
2026年2月5日 日本サッカー協会の木村康彦指導者養成ダイレクターが会見し、「本日の技術委員会で指導者ライセンスの適格性を再審査いたしました。技術委員会としましては、指導内容としては厳重注意と研修の受講ということにいたしました」「懲罰を科すという機関ではなくて、あくまでもライセンスを付与した機関として、適性を審査するということと、今後の問題がある場合には研修を受けていただくプログラムを考えるとか、もう一度適切な指導を行っていただくためのサポートをするということが目的で今回の結論になりました」と報告した。既に1月にJFA担当者が黒田に対しヒアリングを実施済みであり、「(黒田自身)正すべきところは正していきたいという反省を示し、改善に向けて取り組む姿勢」を示しており、「不適切な発言と捉えられても仕方ないという認識」を持っており「気をつけていきたい、正していきたい」という様子があったことが明かされた。またJFAの立場は「暴力暴言は根絶(ゼロ・トレランス)が一貫した考え」であると明言された。
2026年2月6日 試合後の会見において、黒田は自身の言動について「ネット記事はほとんど見てないのであまり分からない部分もある。これまで(町田の監督を)3年間やってきた中で圧力とか不快なところを感じさせたのであれば、しっかり反省しないといけないところはある。今まで30何年やってきた監督生活に誇りや自信もあるので、そこはきちんとブレることなくやっていきたい。JFAの方からはこれから寄り添ってコミュニケーションを取れる場を提供していただけるということなので、本当にありがたい。こういう仕事は孤独もあり、辛い仕事でもあるので、コミュニケーションの場を設定してもらえることにむしろ感謝したい」と述べたが、一般に向けて明確な謝罪の言葉は述べなかった。
「人の話を聞く態度」を重視し、プロ選手に対しても「食堂でのサンダル禁止」「ミーティング中のガム禁止」など、些細な生活習慣の乱れ、「だらしない態度」を強く指摘する。
寮生活での厳しい規則や連帯責任を通じて「勝負強さ」や「忍耐力」を養う事ができると考えていた。
(なお*の箇所は、元選手による証言。https://www.youtube.com/watch?v=zMX_8wxGHhk)
など、教員免許を持つ身でありながら、およそ現代の教育界では見られない、事情を顧みない激しい批判を展開した上で、「指導者は選手が辞める前にあらかじめこの価値観を教えておくべきだ」と説いている。
このように「個人の意向」よりも「集団への責任」を遵守することが、「本気でサッカーをやる」態度だという強い信念が自著に展開されており、黒田の組織論の根幹であるが、組織の規律はチームが不振に陥った際に顕著に現れる。
得点力不足などの技術的課題に直面した際、黒田は「日常における全てにおいての緩みや甘さ」が原因だと選手の精神性に求め、「原因は自分の心にある」と断じる。トレーニングから「一本にこだわる危機感」を徹底させ、自律的に奮起することをプロの条件として提示するなど、結果が出ない局面ほど日常の習慣改善や心の持ちようといった精神論的な規律を強調することで、組織の引き締めを図る傾向がある。
黒田は『「怒るときは個別に、褒めるときはみんなの前で」は違う』という考えの持ち主で、著書の中で、選手の行動変容を促し、組織の完成度を高めるテクニックとして「悲劇的感情」と定義する独自の心理的手法を紹介している。
これは行動経済学のプロスペクト理論に近く、失敗による損失や、仲間からの信頼喪失といった感情を強調することで、当事者意識と責任感を高めるアプローチである。
具体的には、「優勝しないと100万円もらえない」と伝えても人は動かないが、「優勝しないと100万円払わなければならない」となれば途端に人間は必死になる、という心理テクニックである。
失点の原因となった選手に対して、監督が「お前、何やってんだ!」と叱っても若者には伝わらないが、いつも自分を救ってくれると甘く考えているチームメイトから「あのサボりは許せない」「みんなの頑張りがムダになった」「お前は試合に出る資格など無い」と叱責されるよう誘導し、「皆さん本当にすみませんでした」「みんなを裏切ってしまいました」「とんでもないミスをしてしまいました」と反省させるのだ、と具体的に著書で解説している。
監督自身が叱責するのではなく、チーム内の評価や空気によって選手が自ら反省を表明する状況を作り出すと説明している。
とその有効性について自著やメディアを通じて、繰り返し言及している。 黒田は「選手を育てるためには教育的な要素が特に大切」と公言し、マナー違反やアンフェア行為の批判報道に対して「教育者としてそのような行為は絶対にしていない」と強く否定するなど、教育関係者であるとのキャリア自認が強い。 一方で、上記の「悲劇的感情をくすぐる」という独自メソッドは、ミスに対して罪悪感や恐怖心を抱かせる「精神的な追い込み」が存在するマネジメントである。恐怖による統治はマルトリートメント(脳の萎縮を及ぼす)として、日本国内では2010年代以降問題とされる教育法である。本人が掲げる「教育者」のビジョンと「指導実践」の間には齟齬が生じている。
黒田は「理想を追求せず、まずは目の前の試合で1勝。形から入るのではなく勝利という結果を積み上げていくことで自信を深め、それによって築かれるベースこそ頑丈でぶれないもの」と、勝利を最上位に置く価値体系を明示している。『選手たちに失点を拒絶するメンタリティーを植えつけ、黒星を喫した試合後には「連敗だけは絶対に許されない」という不文律』が組織の生命線であり、『高校は教育。プロは人生。(中略)タイトルを獲ることで将来が好転していく』と明言している。時おり本人は否定するような言い回しをするが、このようにまず「勝利」があり、そこに付随して教育・人間形成が成されるという思想は、日本のスポーツ庁が「悪しき旧弊」と指摘する『勝利至上主義』である。
勝利に対する執着は極めて強く、じゃんけんで「後出しをしてでも勝ちたい」と漏らすほど負けず嫌いを自負しており、『勝っていれば残り時間を上手く進めていくのは当然の行動です。それがサッカー』とルールに抵触しない遅延行為も勝利のための正当な戦術としている。昌子源は「負けることへのアレルギーが強烈」と評した。
何よりもまず勝利が必要であるため、試合における選手の「実行能力」「即応性」を重視する。中でも、黒田はサッカーにおける究極のスキルは「性格」であるとしており、中でも「嫌なこと」でも「やれる」性格の選手の有無により、勝負の明暗が分かれると定義している。
黒田は2017年の著書において、育成年代の選手や保護者に端を発し、「日本社会」や「教育」のあり方に対し相当量のページを割いて強い不満が書き記されている。近年の教育現場で広まった「褒めて伸ばす」指導方針は、子供たちの闘争心を弱めていると指摘し、十分な努力や全力を尽くさなくても評価される環境では、褒められることの価値や達成感を学ぶ機会が失われ、結果として成長が阻害されると考えている。また、1度や2度良いプレーができたからといって、それをいちいち褒めるべきでない、選手を安易に褒めると勘違いを誘発させ、成長を妨げる、それは無責任な指導だと主張している。
さらに黒田は、日本社会における平和主義的な価値観についても言及し、「危機感のない平和」が日常化していることで、生きるための力や判断力を養う機会が減っていると論じている。社会のルールや常識を重視するあまり、本来必要とされる意思や欲求、判断が抑制されており、その結果として、感情表現が乏しく、自らの意見を積極的に示さない子供が増えていると指摘した。
黒田は、こうした傾向が日本代表が国際大会の重要な局面で勝ち切れない要因の一つであるとも述べており、日本人は日常生活を通じて培われる「生きる能力」が低いと問題提起している。
黒田が自著にてリスクマネジメントという造語に近いワードを多用して独自理論を説明している。
これは「勝負による多くの失敗や挫折を経験した者のみが体得できる危機管理能力であり、あらゆる本質を見抜く力」とする特殊な概念であり、
こうした「あらゆる本質を見抜く力」を指導の柱とする一方で、門下生の檀崎竜孔が2025年にサッカー賭博の八百長に関与し、有罪判決を受けた事実は、黒田が提唱する精神教育の実効性について議論を呼ぶこととなった。 黒田の説く「リスク回避能力」や「清らかな眼差し」をもってしても、プロスポーツ選手としての倫理的・法的リスクへの甘い判断を防げなかった点や、2025年12月に黒田自身がJリーグから不適切言動や調査への不誠実な対応を認定された事実からも、標榜する「あらゆる本質を見抜く力」の限定性を指摘される要因となっている。
黒田は組織に明確な上下関係を要求し(自身がホテルマンを新卒3ヶ月で辞めた理由でもある程に強固な信念である)、リーダーは調整者ではなく改革者であると位置づけている。
また組織運営において異論を述べるベテランや、影響力を持つ選手を改革の阻害要因だとして、自著にて批判を展開している。
実際、前年まで主力として起用されていた複数の中心選手が、黒田の監督就任初年度に、シーズン途中で完全移籍によりチームを去った。これはJリーグの一般的なクラブ運用からは異例だが、黒田が著書で述べている組織改革観やベテラン観において、矛盾のない動きである。
姿勢によって正当化されている。太田宏介によれば、昇格争いの最中に敢えて強い「ネガティブワード」を投げかけて危機感を煽り、選手を奮い立たせる手法をとる。太田はこれについて「みんな自信を失くしてしまわないか心配したが、結局勝って結果を出すことで信頼を勝ち得ている」と振り返った。
このように、個人の感情よりも集団規範を優先させるマネジメント手法は、精神的負荷や外部からの批判を伴いつつも、自己の信念と実行力を一致させ、早期に結果へ結びつける源泉となっている。
2024年6月12日、天皇杯2回戦において、筑波大学蹴球部に敗れた試合後のコメント
これを受けて筑波大学の小井土正亮監督は「黒田監督がおっしゃったラフプレーで3人も4人もということはないと私は判断します」「我々としては正々堂々と戦ったし、決してダーティーなプレーを容認したり勧めたものではない」と反論したが、黒田の言葉に影響された不特定ファンが、筑波大の選手にSNSで誹謗中傷する事態に発展。前代未聞の形で後味の悪い波紋が広がった。
2024年6月15日、J1リーグ・横浜Fマリノスに勝利後のコメント(筑波大へのコメント内容に関してバッシングを受けた直後)
J1リーグ首位攻防戦となった・サンフレッチェ広島戦(0-2で敗戦)後のコメント(ロングスローを投じる前にボールの表面を拭くため、あらかじめ置いていたタオルを広島側が撤去。さらに別のタオルに水をかけられたとして激怒)
これを受けて審判団を統括する、佐藤隆治(日本サッカー協会審判委員会Jリーグ担当統括マネジャー)のコメント。
「リーグとしてタオルを置くことは禁止していない。間隔や枚数に何かを言うわけではないが、そのあたりは基本的にすべてでレフェリーが間に入って何かをするという形にはならない。」「対戦チームがあってこそのサッカーなので、そこは両チームに配慮してほしいし、ゲームをよりスムーズに進めていくという意味ではJリーグ側と詰めていく話なのかなと。」「置く場所などを含めてリーグと話をしながら、みんながそうだよねと言える着地点を見つけながらやっていければと思っています。」
この事象に関して、町田ゼルビアは「弊クラブ及び所属選手・スタッフに対して、SNSなどにて悪意ある誹謗中傷が多発している」として立て続けに対応を発表した。
これらメディアで注目される強気な言動の背景には、元来の心配性や気の小ささから生じる不安を打ち消そうとする意図があると吐露している。結果への懸念から入眠剤を服用する夜が続いたことや、負けが込む中で「恐怖すら覚えた」ほどの精神的重圧により、敗戦後には気落ちして自ら運転ができなくなる日もあったと明かしている。
選手への不適切言動(「造反者」呼称等)に対し「反省の態度が見られない」として2025年12月にJリーグからけん責処分を受けたが、この日の会見では、信頼回復に向けた具体的な行動や説明は示さず、「過去を振り返ることなく、気持ち新たに頑張ろうという、今日はそういう日なので。何か逆にそういうような効果を生むことは我々にとってはあまり意味のないことなので、それはそれで終わったこととしてノーコメントで」と述べ、マスコミ側から(リーグ側から黒田監督が反省していると聞いているが)との質問に対して「それを言うともうキリがなくなるから。特に来年(今季)に向けてのことのほうが、我々にとっては必要なことだと思っているので。それで終わった、ということで線引きをして今年に入っているわけだから、そこにまたもう一回戻って何かをするのはクラブとしてもいいことではないと思うし、選手たちにも迷惑がかかることなので。あえてやる必要はないとクラブが判断したので、私はクラブの指示に従います」と反省の態度を示すことを改めて拒み、制裁処分に対する自身の受け止めを公に示した。
1994年、青森山田高等学校サッカー部のコーチに就任。(教師の面接試験は2度不採用。最初は青森大学事務職員としての採用。)
1995年、同校サッカー部の監督に就任。たばこどころか「時効でも言えない」ほど素行が悪かった時代に、いびつな台形の練習場で18人の部員と豪雪地帯の無名のサッカー部からスタートし、約20年かけて独力で全国を駆け回り、中高270名の大所帯(高校生4チーム体制、中学校3チーム体制、コーチ17名)にまで成長させる。
2016年12月17日、鳴海彰人、高橋壱晟、郷家友太らを擁し、高円宮杯U-18サッカーリーグ2016 プレミアリーグに優勝。
2019年1月14日、檀崎竜孔、藤原優大、三國ケネディエブスらを擁し、第97回全国高等学校サッカー選手権大会に優勝。
2021年8月22日、松木玖生、名須川真光、宇野禅斗らを擁し、インターハイに優勝。
2022年1月10日、第100回全国高等学校サッカー選手権大会に優勝。高校三冠達成。
2022年3月3日、寮内でビールや焼酎の空き缶が見つかり、部員約10名が無期停学処分。その後、約3週間で処分が解除された、と報道される。
2022年10月24日、J2にて15位に終わったFC町田ゼルビアの来季の新監督に就任すると発表。町田ゼルビアのオーナー、藤田晋による「他のクラブと同じことをやっていたら意味がない」「他と違う差別化戦略」という構想に合致して選出された。
『プロでは無理』という批判を受けたが、「そう思っている方がいるのは理解しています。プロで長く監督をやられてきた方にしたらプライドもあるでしょうし、プロ1年目の私に負けられないという思いもあるでしょう。ただ、町田も覚悟を持ってオファーをしてくれたわけで、やるからには絶対的な爪痕を残したい」「高校サッカー界にも将来プロの指導者を目指している人がいるなか、私が成功例となることで後輩への道を作ることができるかもしれません」と話した。
なお同サッカー部は黒田氏の退任3年を経過する2025年に至るまで青森県内で24年間無敗を誇り、県内418連勝を記録した。
真っ先に旧知の仲であり、「西日本のアンダー世代のトップ指導者」と認める金明輝をヘッドコーチとして指名。
開幕前に「J2優勝」の目標を掲げ、J1優勝経験のあるエリキ、ミッチェル・デュークら総勢19人に、五輪世代代表藤尾翔太を加える大型補強を受けた。
10月28日 J2初優勝。第10節以降首位を一度も譲らず、連敗は1度も無かった。
代表キャップを持つ昌子源、ナ・サンホ、ドレシェヴィッチ、谷晃生ら総勢18人におよぶ大型補強を受けた。
前半戦を単独首位で折り返し、夏の中断期間中に日本代表経験者相馬勇紀、中山雄太、杉岡大暉に加え、白崎凌兵を加える万全の補強を受けたものの、失速し最終順位は3位。無失点試合17試合はJ1最多、年間失点数34はJ1最小と堅守のチームを作り上げた。
藤田晋CEOは「早く日本代表監督候補に黒田監督の名前が挙がる日を待ち望んでいます(笑)」と述べ、黒田の手腕を評価した。
日本代表経験者西村拓真、J1実績豊富な前寛之、菊池流帆、岡村大八、中村帆高ら14人が加わる補強を受けた。
夏の移籍期間中に、J1ガンバ大阪の中心選手ネタ・ラヴィ(イスラエル代表)、J2長崎より増山朝陽、豪州より今井智基の3人の補強を受けた。
11月27日 町田ゼルビアと契約を更新し、明治安田J1百年構想リーグ及び2026/2027シーズンも引き続きトップチーム監督として指揮を執ることに合意。
12月6日 明治安田J1リーグを6位で終えた。優勝した鹿島アントラーズから勝ち点16及ばず。シーズンにおけるホームゲーム入場者数は、2024年17,610人⇒2025年14,018人(▲3592人)であり、前年比79.6%の実績。シーズンにおけるファウル総数は、2024年542回(2位)⇒2025年473回(4位)と、69回削減させた。
12月9日 J1リーグ「最優秀監督賞」部門で12位(選手、監督による投票による)となった。
12月24日 朝日新聞報道により、町田ゼルビア代表取締役COO上田武蔵が「パワハラについては認定されておりませんので、続投予定」と回答。
黒田のマネジメントは、理想論を排して勝率を最大化させる徹底的なリアリズム(現実主義)を根幹としている。
勝ち点や失点数の数値目標を明確にし、短期・中期・長期のターゲットを具体的に提示する手法をとる。試合前の準備も徹底しており、自ら1週間をかけて2枚のパワーポイント資料を作成し、戦略を共有する。
試合後、直近の試合映像から改善すべき7〜8シーンを厳選し、担当スタッフ2名とともに約1.5日を費やして「反省ビデオ」を自ら作成する。
このビデオは、次戦に向けたトレーニングの始動日(通常は水曜日)の朝に実施される約20分間のミーティングで使用される。黒田は「週最初のミーティングでは映像を見せながら反省をとことんやり、レクチャーする」と述べており、前戦の課題を明確に提示することが次戦へのスタート地点であると定義している。
青森山田時代から一貫して「サッカー3原則」を徹底させ、「1ヶ月でチームを変える」がモットー。 徹底した意思統一のもとでリスクを最小限に抑えつつ、中盤での奪取から迅速な攻撃へ転じるカウンター志向の現実的なサッカーを展開する。守備においては、相手よりも早く修正し数的優位をつくっていくことや、スピード勝負(かけっこ)になる事態を避けるために後方でしっかりとプラスワンを作って掃除していくことを徹底している。J1初挑戦に際して、「バルセロナやアーセナルを引き合いに出すのではなく、現実を見る勇気や覚悟を持って、細部にわたり精査していくことが重要だ」と、勝利から逆算したゲームプランの重要性を強調している。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「町田の選手は誠実に勝ち方というのは秘訣を聞いてきますから。心理戦の部分はよく言います。」
「点数を取ることもそうなんですけど、相手のトップが1回1回ゴール前まで戻ってくる、戻らせるということがすごく大きいこと」
「配置, タイミング、投げるポイント、ターゲット、細かくやるとキリがないくらい。スクランブルを起こさせるという意味では有効な手立て。」
出典:Football Tribe 2026年10月6日
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1364390587)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2022.10〜現在 | 52 | 169 | 92 | 42 | 35 | 54.4% | |
| 通算 | 169 | 92 | 42 | 35 | 54.4% | ||
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1986〜1988 | 15 | |
| 1989〜1992 | 18 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 1994〜2022 | 23 | 監督 | |
| 2023〜 | 52 | 監督 |
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1989 | 18 | 登別大谷高等学校 | 大阪体育大学 | 移籍 | — | 下部組織への移籍 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「黒田剛」(版 111325398)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。