概要
ジュゼッペ・メアッツァ(Giuseppe Meazza、1910年8月23日 - 1979年8月21日)は、ミラノ出身の元サッカー選手。ポジションはFW。イタリア王国では1930年から通算53試合33得点を記録している。クラブでは公式戦通算511試合314得点(1927-28 シーズン以降)。クラブ・代表で通算10個のタイトルを獲得、個人賞は13回。
ジュゼッペ・メアッツァ(Giuseppe Meazza、、1910年8月23日 - 1979年8月21日)は、イタリア王国・ミラノ出身のサッカー選手。愛称は“ペッピーノ(Peppino)”、“バリッラ(il Balilla)”。ポジションはフォワード。
20世紀前半のイタリア・セリエAで活躍し、インテル、ACミラン、ユヴェントスのイタリア3大チームを渡り歩いた稀有な選手の一人。特にメアッツァ自身がプロデビューを果たしたインテルでは、同チームの第一期黄金時代の中心的役割を担い、1927年から1940年に渡る最初の在籍13シーズン中、3回の得点王を獲得して2回の優勝と1回のコッパ・イタリア制覇に貢献した。
またイタリア代表としても1934年と1938年のワールドカップ連覇を果たしたアズーリの中心的選手だったことから、サッカー史上最高の選手の1人であり、イタリア史上最高のスポーツ選手と評される伝説的な存在である。インテルとACミランのホームであるスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァにその名を残している。
クラブ経歴
経歴
1910年、イタリア王国(当時)のミラノで生まれたメアッツァは、画家だった父親が1917年に第一次世界大戦で戦死したため、母親のエルシラとの貧しい母子家庭で幼少期を過ごした。当時7歳のメアッツァは市場で果物を売る母を手伝ったが、父親を失う少し前、6歳の頃からサッカーを始めており既に夢中だった。近所の子供達とストリートサッカーチーム"Maestri Campionesi"を結成、暇を見てはボロ布を丸めたボールを追う日々を過ごしていたという。エルシラは将来を考え、幾度かメアッツァのシューズを隠してまでサッカーを止めさせようとしたが、メアッツァは裸足でストリートサッカーを続け、これは後年の優れたボールテクニックを育てる土壌となった。12歳になったメアッツァはサッカー選手として生きていくことを決意、地元の"Gloria F.C."に入団してプロを目指し始めた。この時使用していたメアッツァの人生最初のスパイクは後に彼のファンが買い取り、現在も保存されている。
インテルの下部組織出身で、17歳でトップチームデビューした直後から主力として活躍。1930年代のインテルの隆盛の中心にあり、クラブに2度のリーグ優勝をもたらすとともに、自身も3度の得点王に輝いた。
1930年には19歳でイタリア代表に初選出。デビュー戦でいきなり2ゴールを挙げ、以降アズーリ(イタリア代表)のエースとして君臨し、1934年・1938年のワールドカップ連覇の原動力となった。53試合出場33得点という記録は、ルイジ・リーバに次ぐイタリア歴代2位。セリエA通算ゴール数は220ゴールで歴代3位。キャリア338ゴールはイタリア人2位である。
代表経歴
代表での出場記録とメダルから組み立てた説明です。
1930年にイタリア王国での出場記録が始まり、1939年までに通算53試合33得点を記録した。
代表で獲得したメダルはFIFAワールドカップ金(1934 イタリア)、FIFAワールドカップ金(1938 フランス)。
個人成績
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
クラブ
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | その他2 | シーズン通算 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1927-28 | 16 | ディヴィジョーネ・ナツィオナーレ | 33 | 12 | — | — | — | — | 33 | 12 | |
| 1928-29 | 17 | ディヴィジョーネ・ナツィオナーレ | 29 | 33 | — | — | 1 | 0 | 30 | 33 | |
| 1929-30 | 18 | セリエA | 33 | 31 | — | — | 6 | 7 | 39 | 38 | |
| 1930-31 | 19 | セリエA | 34 | 24 | — | — | — | — | 34 | 24 | |
| 1931-32 | 20 | セリエA | 28 | 21 | — | — | — | — | 28 | 21 | |
| 1932-33 | 21 | セリエA | 32 | 20 | — | — | — | — | 32 | 20 | |
| 1933-34 | 22 | セリエA | 32 | 21 | — | — | 6 | 5 | 38 | 26 | |
| 1934-35 | 23 | セリエA | 30 | 19 | — | — | 2 | 3 | 32 | 22 | |
| 1935-36 | 24 | セリエA | 29 | 25 | 2 | 1 | 2 | 2 | 33 | 28 | |
| 1936-37 | 25 | セリエA | 26 | 11 | 4 | 3 | 6 | 10 | 36 | 24 | |
| 1937-38 | 26 | セリエA | 26 | 20 | 4 | 8 | — | — | 30 | 28 | |
| 1938-39 | 27 | セリエA | 16 | 4 | 6 | 0 | 4 | 2 | 26 | 6 | |
| 1939-40 | 28 | セリエA | 0 | 0 | — | — | 1 | 0 | 1 | 0 | |
| 通算 | 348 | 240 | 16 | 12 | 28 | 29 | 391 | 282 | |||
| 1940-41 | 29 | セリエA | 14 | 6 | 1 | 0 | — | — | 15 | 6 | |
| 1941-42 | 30 | セリエA | 23 | 3 | 4 | 2 | — | — | 27 | 5 | |
| 1942-43 | 31 | セリエA | 27 | 10 | — | — | — | — | 27 | 10 | |
| ヴァレーゼ | 1944 | 33 | アルタ・イタリア | 20 | 7 | — | — | — | — | 20 | 7 |
| 1945-46 | 34 | ディヴィジョーネ・ナツィオナーレ | 14 | 2 | — | — | — | — | 14 | 2 | |
| 1946-47 | 35 | セリエA | 17 | 2 | — | — | — | — | 17 | 2 | |
| キャリア通算 | 463 | 270 | 21 | 14 | 28 | 29 | 511 | 314 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
代表
イタリア王国 としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1930 | 19 | 5 | 6 | |
| 1931 | 20 | 6 | 5 | |
| 1932 | 21 | 4 | 2 | |
| 1933 | 22 | 5 | 5 | |
| 1934 | 23 | 9 | 7 | |
| 1935 | 24 | 3 | 2 | |
| 1936 | 25 | 4 | 2 | |
| 1937 | 26 | 5 | 1 | |
| 1938 | 27 | 6 | 3 | |
| 1939 | 28 | 6 | 0 | |
| 通算 | 53 | 33 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
所属チーム
クラブ
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
代表
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1930〜1939 | 19 | イタリア王国 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
監督
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 1946〜1946 | 35 | 監督 | |
| 1946〜1948 | 35 | 監督 | |
| 1948〜1949 | 37 | 監督 | |
| 1949〜1951 | 38 | 監督 | |
| 1952〜1953 | 41 | 監督 | |
| 1955〜1956 | 44 | 監督 | |
| 1957〜1957 | 46 | 監督 |
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1940 | 29 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1942 | 31 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1944 | 33 | ヴァレーゼ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1945 | 34 | ヴァレーゼ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1946 | 35 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
タイトル
クラブ
インテル
- セリエA:3回(1929-30, 1937-38, 1939-40)
- コッパ・イタリア:1回(1938-39)
イタリア代表
- FIFAワールドカップ:2回(1934, 1938)
個人
- FIFAワールドカップ ゴールデンボール:1回(1934)
英語の記録名しか確認できないもの(10件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
獲得メダル
代表チームで獲得したメダルです(金2)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| FIFAワールドカップ | 金 1934 イタリア金 1938 フランス |
|---|
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
英語の記録名しか確認できないもの(3件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ジュゼッペ・メアッツァ」(版 108323297)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「ジュゼッペ・メアッツァ」、版 ID 108323297、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%BC%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%84%E3%82%A1
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1368685759、2026年10月22日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Giuseppe_Meazza
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
関連項目
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