米山篤志

SOCCERPEDIA / 監督ページ / 日本のサッカー監督 / 最終更新:2026年9月1日


概要

日本米山篤志(Atsushi Yoneyama、1976年11月20日生)は、日本出身のサッカー監督。これまでに3クラブを指揮した。

米山 篤志(よねやま あつし、1976年11月20日 - ) は、栃木県宇都宮市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。元日本代表。

クラブ経歴

来歴

桐蔭学園高校時代、スランプに陥った時期に李国秀の勧めでミッドフィールダーからディフェンダーへと転向した。

駒澤大学では2度の全日本大学選手権優勝やユニバーシアード日本代表選出などの実績を残し、在学中の1998年にに入団。同年2ndステージにはレギュラーポジションを獲得した。2000年にはフェアプレー個人賞を獲得した。

トルシエ監督時代には日本代表にも選出され、2000年2月26日のAFCアジアカップ2000 (予選) のブルネイ戦で国際Aマッチのキャップを記録した。 以後も主力として東京Vのレギュラーを務めていたが、2005年に東京VのJ2降格が決定するとクラブの方針から戦力外通告を受けた。この時、米山と林健太郎が早々に戦力外通告を受けた事は、高校・大学とプロ入り前からチームメイトだった山田卓也やクラブ後輩の小林大悟が東京Vを去る決断をする要因となった。

2006年は川崎フロンターレに移籍。第6節の戦に途中出場し、J1リーグ通算200試合出場を達成した。2007Jリーグ開幕直前に名古屋グランパスエイトの練習に参加し、正式に入団が決定した。2008年11月末にシーズン限りでの退団が明らかになったが、

2009年、この年からJ2に昇格した故郷のクラブ・栃木SCに完全移籍。が、終盤は出場機会が減り、2010年シーズンを持って契約満了となり退団した。

2011年は、(アメリカ)や、深圳(中国)、愛媛FC、さらにはオーストラリア、ベトナムと、各国でプレーできるクラブを模索するも契約に至らず、11月8日に現役引退を発表した。

2012年より、ファンルーツアカデミーコーチングスタッフ、東京23FC監督に就任。これと平行して中日スポーツ紙上でのサッカー評論も行う。

2017年シーズンから川崎Fのトップチームコーチに就任。同年4月にJFA 公認S級コーチライセンスを取得。

2022年11月22日、カマタマーレ讃岐トップチーム監督に就任すると発表された。

発言集

一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。

2026-27シーズン(2件)
2026年10月13日本人コメント米山篤志(本人)/クラブ公式発表
栃木SCの米山篤志監督は2026年10月13日、クラブとの契約を解除・解任されたことが発表された。今季J3で10試合消化時点で2勝4分け4敗の勝ち点10・15位に低迷していた。米山は責任を認めつつ、チーム勝利に向けた取り組みの継続を強調しながらも、期待に応えられなかったことへの無念さを語った。
「チームを勝利に導き、クラブが掲げる目標を達成することが監督としての責任でした。その責任を十分に果たせていなかったことを真摯に受け止めています」
「どのような状況にあっても栃木SCの勝利のために最善を尽くすことを考え、選手・スタッフとともに日々取り組んできました」
「結果をもって皆さまの期待に応えることができなかったことは非常に悔しく申し訳なく思っています」

出典:FOOTBALL ZONE 2026年10月13日

2026年10月11日本人コメント米山篤志(本人)/クラブ公式発表
栃木SC監督を解任された米山篤志が、クラブを通じてコメントを発表した。10節を終えての成績は2勝4分4敗で15位に低迷している状況下での交代。米山は責任感を前面に出しながら、チーム全体で最善を尽くしたものの結果が出なかったこと、そしてファン・サポーターとともに戦ってくれた選手・スタッフへの感謝を述べた。
「このたび、栃木SCの監督を退任することとなりました。これまでクラブを支えてくださったファン・サポーターの皆さま、スポンサーの皆さま、ホームタウンの皆さまに心より感謝申し上げます。」
「どのような状況にあっても栃木SCの勝利のために最善を尽くすことを考え、選手・スタッフとともに日々取り組んできました。しかし、結果をもって皆さまの期待に応えることができなかったことは非常に悔しく申し訳なく思っています。」
「栃木SCのさらなる発展と選手たちの今後の活躍を心から願っています。短い間でしたが本当にありがとうございました」

出典:サッカーキング 2026年10月13日

監督成績

在任別・通算

英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1332029213)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。

在任期間年齢チーム試合勝分敗勝率
2022.11〜現在45日本カマタマーレ讃岐0000—
通算0000—

所属チーム

ユース(選手時代)

期間年齢チーム
1992〜199415日本桐蔭学園高校
1995〜199718駒澤大学

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ(選手時代)

期間年齢チーム
1998〜200521日本東京ヴェルディ
200629日本川崎フロンターレ
2007〜200830日本名古屋グランパスエイト
2009〜201032日本栃木SC

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表(選手時代)

期間年齢チーム
200023日本日本

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
2012〜201435日本東京23FC監督
2023〜202546日本カマタマーレ讃岐監督
2026〜202649日本栃木SC監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
199518桐蔭学園高校駒澤大学移籍—下部組織への移籍
形態・移籍金は未確認
199821駒澤大学日本東京ヴェルディ移籍—形態・移籍金は未確認
200629日本東京ヴェルディ日本川崎フロンターレ移籍—形態・移籍金は未確認
200730日本川崎フロンターレ名古屋グランパスエイト移籍—形態・移籍金は未確認
200932名古屋グランパスエイト日本栃木SC移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「米山篤志」(版 109850321)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. FOOTBALL ZONE、2026年10月13日、2026年10月13日 取得 https://www.football-zone.net/archives/678981
  2. Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
  3. Wikipedia(日本語版)「米山篤志」、版 ID 109850321、2026年10月11日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%B1%B1%E7%AF%A4%E5%BF%97
  4. Wikipedia(英語版)、版 ID 1332029213、2026年10月11日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Atsushi_Yoneyama
  5. サッカーキング、2026年10月13日、2026年10月13日 取得 https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20261013/2216040.html

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