概要
エレニオ・エレーラ(Helenio Herrera Gavilán、1910年4月10日 - 1997年11月9日)は、ブエノスアイレス出身のサッカー監督。これまでに12クラブ・2の代表を指揮した。クラブ・代表で通算20個のタイトルを獲得、個人賞は6回。
エレニオ・エレーラ・ガヴィラン(Helenio Herrera Gavilán、1910年4月10日 - 1997年11月9日)は、アルゼンチン、ブエノスアイレス出身の元サッカー選手、サッカー指導者。あだ名は『魔術師』。幼少期にフランスへ帰化している。
クラブ経歴
経歴
現役時代、レッドスター・オリンピックやスタッド・フランス、FCOシャルルビルなどでプレーした彼は、引退後に指導者の道を歩む。
1945年、古巣スタッド・フランスで指揮を執った後、1949年にレアル・バリャドリードの監督となり、アトレティコ・マドリード、CDマラガ、デポルティーボ・ラ・コルーニャ、セビージャFC、CFベレネンセスで監督を務め、特にアトレティコ・マドリードではリーグを連覇した。そして1958年にFCバルセロナの監督に就任し、全盛期にあったレアル・マドリードを抑えてまたもリーグ連覇を達成した。にもかかわらずクラブから解雇を言い渡されたエレーラは、1960年にバルセロナのスター選手であり同年にバロンドールを獲得したルイス・スアレスと共にインテル・ミラノへと移った。
インテル・ミラノでは、カテナチオと呼ばれる守備に秀でた戦術を採り、スクデット3回、チャンピオンズカップ、インターコンチネンタルカップを2連覇する。その強さ、スクデットを5年連続で獲得し、グランデ・トリノと呼ばれた1940年代のトリノFCの中心選手であったヴァレンティーノ・マッツォーラの息子であるサンドロ・マッツォーラが所属していたことから、この時期のインテル・ミラノはグランデ・インテルと呼ばれた。
また、フランス代表のアシスタントコーチ(1946-1948)、スペイン代表(1959-1962)とイタリア代表(1966-1968、フェッルッチョ・ヴァルカレッジとの2頭体制)の監督をクラブチームとの兼任で務めた。
監督成績
在任別・通算
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1378161271)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1945.08〜1948.06 | 35 | 122 | 70 | 22 | 30 | 57.4% | |
| 1948.07〜1949.06 | 38 | 26 | 10 | 2 | 14 | 38.5% | |
| 1949.06〜1952.12 | 39 | 115 | 55 | 19 | 41 | 47.8% | |
| 1953.01〜1953.07 | 42 | 21 | 9 | 3 | 9 | 42.9% | |
| 1953.08〜1957.07 | 43 | 138 | 72 | 16 | 50 | 52.2% | |
| 1957.08〜1958.04 | 47 | 19 | 9 | 4 | 6 | 47.4% | |
| 1958.04〜1960.05 | 47 | 94 | 71 | 10 | 13 | 75.5% | |
| 1960.07〜1968.06 | 50 | 343 | 194 | 86 | 63 | 56.6% | |
| 1959.03〜1960.04 | 48 | 6 | 5 | 0 | 1 | 83.3% | |
| 1962.05〜1962.06 | 52 | 3 | 1 | 0 | 2 | 33.3% | |
| 1966.11〜1967.03 | 56 | 4 | 3 | 1 | 0 | 75.0% | |
| 1968.07〜1971.04 | 58 | 114 | 37 | 47 | 30 | 32.5% | |
| 1971.08〜1973.04 | 61 | 62 | 23 | 20 | 19 | 37.1% | |
| 1973.07〜1974.02 | 63 | 24 | 12 | 7 | 5 | 50.0% | |
| 1979.03〜1979.04 | 68 | 8 | 1 | 3 | 4 | 12.5% | |
| 1980.03〜1980.06 | 69 | 13 | 6 | 4 | 3 | 46.2% | |
| 1980.11〜1981.06 | 70 | 36 | 24 | 6 | 6 | 66.7% | |
| 通算 | 1148 | 602 | 250 | 296 | 52.4% | ||
所属チーム
クラブ(選手時代)
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| — | — | ロッシュ・ノワール* |
| 1931〜1932 | 20 | |
| 1932〜1933 | 21 | |
| 1933〜1935 | 22 | |
| 1935〜1937 | 24 | |
| 1937〜1939 | 26 | |
| 1940〜1942 | 29 | |
| 1942〜1943 | 31 | |
| 1943〜1944 | 32 | EFパリ・キャピタル* |
| 1944〜1945 | 33 | ピュトー* |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
監督
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 1944〜1945 | 33 | ピュトー* | 監督 |
| 1945〜1948 | 34 | 監督 | |
| 1948〜1949 | 37 | 監督 | |
| 1949〜1952 | 38 | 監督 | |
| 1952〜1952 | 41 | 監督 | |
| 1953〜1953 | 42 | 監督 | |
| 1953〜1957 | 42 | 監督 | |
| 1957〜1958 | 46 | 監督 | |
| 1958〜1960 | 47 | 監督 | |
| 1960〜1962 | 49 | 監督 | |
| 1960〜1968 | 49 | 監督 | |
| 1966〜1967 | 55 | 監督 | |
| 1968〜1970 | 57 | 監督 | |
| 1971〜1972 | 60 | 監督 | |
| 1973〜1974 | 62 | 監督 | |
| 1978〜1979 | 67 | 監督 | |
| 1979〜1981 | 68 | 監督 |
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1932 | 21 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1933 | 22 | スタッド・フランセ* | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1935 | 24 | スタッド・フランセ* | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1937 | 26 | エクセルシオールAC* | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1940 | 29 | エクセルシオールAC* | レッドスターFC* | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
| 1942 | 31 | レッドスターFC* | スタッド・フランセ* | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
| 1943 | 32 | スタッド・フランセ* | EFパリ・キャピタル* | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
| 1944 | 33 | EFパリ・キャピタル* | ピュトー* | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
タイトル
クラブ
アトレティコ・M(監督)
- ラ・リーガ:2回(1949-50, 1950-51)
セビージャ(監督)
- ラ・リーガ準優勝:1回(1956-57)
- コパ・デル・レイ準優勝:1回(1954-55)
FCバルセロナ(監督)
- ラ・リーガ:2回(1958-59, 1959-60)
- コパ・デル・レイ:2回(1958-59, 1980-81)
インテル(監督)
- セリエA:3回(1962-63, 1964-65, 1965-66)
- コッパ・イタリア準優勝:1回(1964-65)
- 欧州チャンピオンズカップ:2回(1963-64, 1964-65)
- インターコンチネンタルカップ:2回(1964, 1965)
ASローマ(監督)
- コッパ・イタリア:1回(1968-69)
個人
- イタリアサッカー殿堂:1回(2015)
英語の記録名しか確認できないもの(8件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「エレニオ・エレーラ」(版 109210364)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「エレニオ・エレーラ」、版 ID 109210364、2026年10月11日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A9
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1378161271、2026年10月11日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Helenio_Herrera
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
関連項目
- ロッシュ・ノワール*
- ラシン・カサブランカ*
- CASGパリ*
- スタッド・フランセ・パリ
- シャルルヴィル*
- エクセルシオール・ルーベ*
- EFパリ・キャピタル*
- ピュトー*
- レアル・バリャドリード
- アトレティコ・M
- CDマラガ
- デポルティボ・ラ・コルーニャ
- セビージャ
- CFベレネンセス
- FCバルセロナ
- スペイン代表
- インテル
- イタリア代表
- ASローマ
- リミニFC
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