エレニオ・エレーラ

SOCCERPEDIA / 監督ページ / フランスのサッカー監督 / 最終更新:2026年9月1日


概要

フランスエレニオ・エレーラ(Helenio Herrera Gavilán、1910年4月10日 - 1997年11月9日)は、ブエノスアイレス出身のサッカー監督。これまでに12クラブ・2の代表を指揮した。クラブ・代表で通算20個のタイトルを獲得、個人賞は6回。

エレニオ・エレーラ・ガヴィラン(Helenio Herrera Gavilán、1910年4月10日 - 1997年11月9日)は、アルゼンチン、ブエノスアイレス出身の元サッカー選手、サッカー指導者。あだ名は『魔術師』。幼少期にフランスへ帰化している。

クラブ経歴

経歴

現役時代、レッドスター・オリンピックやスタッド・フランス、FCOシャルルビルなどでプレーした彼は、引退後に指導者の道を歩む。

1945年、古巣スタッド・フランスで指揮を執った後、1949年にレアル・バリャドリードの監督となり、アトレティコ・マドリード、CDマラガ、デポルティーボ・ラ・コルーニャ、セビージャFC、CFベレネンセスで監督を務め、特にアトレティコ・マドリードではリーグを連覇した。そして1958年にFCバルセロナの監督に就任し、全盛期にあったレアル・マドリードを抑えてまたもリーグ連覇を達成した。にもかかわらずクラブから解雇を言い渡されたエレーラは、1960年にバルセロナのスター選手であり同年にバロンドールを獲得したルイス・スアレスと共にインテル・ミラノへと移った。

インテル・ミラノでは、カテナチオと呼ばれる守備に秀でた戦術を採り、スクデット3回、チャンピオンズカップ、インターコンチネンタルカップを2連覇する。その強さ、スクデットを5年連続で獲得し、グランデ・トリノと呼ばれた1940年代のトリノFCの中心選手であったヴァレンティーノ・マッツォーラの息子であるサンドロ・マッツォーラが所属していたことから、この時期のインテル・ミラノはグランデ・インテルと呼ばれた。

また、フランス代表のアシスタントコーチ(1946-1948)、スペイン代表(1959-1962)とイタリア代表(1966-1968、フェッルッチョ・ヴァルカレッジとの2頭体制)の監督をクラブチームとの兼任で務めた。

監督成績

在任別・通算

英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1378161271)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。

在任期間年齢チーム試合勝分敗勝率
1945.08〜1948.0635フランススタッド・フランセ・パリ12270223057.4%
1948.07〜1949.0638スペインアトレティコ・M261021438.5%
1949.06〜1952.1239スペインアトレティコ・M11555194147.8%
1953.01〜1953.0742スペインCDマラガ2193942.9%
1953.08〜1957.0743スペインセビージャ13872165052.2%
1957.08〜1958.0447ポルトガルベレネンセス1994647.4%
1958.04〜1960.0547スペインFCバルセロナ9471101375.5%
1960.07〜1968.0650イタリアインテル343194866356.6%
1959.03〜1960.0448スペインスペイン代表650183.3%
1962.05〜1962.0652スペインスペイン代表310233.3%
1966.11〜1967.0356イタリアインテル431075.0%
1968.07〜1971.0458イタリアASローマ11437473032.5%
1971.08〜1973.0461イタリアASローマ6223201937.1%
1973.07〜1974.0263イタリアインテル24127550.0%
1979.03〜1979.0468イタリアACリミニ1912813412.5%
1980.03〜1980.0669スペインFCバルセロナ1364346.2%
1980.11〜1981.0670スペインFCバルセロナ36246666.7%
通算114860225029652.4%

所属チーム

クラブ(選手時代)

期間年齢チーム
——ロッシュ・ノワール*
1931〜193220モロッコラシン・カサブランカ*
1932〜193321フランスCASGパリ*
1933〜193522フランススタッド・フランセ・パリ
1935〜193724フランスシャルルヴィル*
1937〜193926フランスエクセルシオール・ルーベ*
1940〜194229フランス
1942〜194331フランススタッド・フランセ・パリ
1943〜194432EFパリ・キャピタル*
1944〜194533ピュトー*

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
1944〜194533ピュトー*監督
1945〜194834フランススタッド・フランセ・パリ監督
1948〜194937スペインレアル・バリャドリード監督
1949〜195238スペインアトレティコ・M監督
1952〜195241スペインCDマラガ監督
1953〜195342スペインデポルティボ・ラ・コルーニャ監督
1953〜195742スペインセビージャ監督
1957〜195846ポルトガルCFベレネンセス監督
1958〜196047スペインFCバルセロナ監督
1960〜196249スペインスペイン代表監督
1960〜196849イタリアインテル監督
1966〜196755イタリアイタリア代表監督
1968〜197057イタリアASローマ監督
1971〜197260イタリアASローマ監督
1973〜197462イタリアインテル監督
1978〜197967イタリアリミニFC監督
1979〜198168スペインFCバルセロナ監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
193221モロッコラシン・カサブランカ*フランスCASGパリ*移籍—形態・移籍金は未確認
193322フランスCASGパリ*スタッド・フランセ*移籍—形態・移籍金は未確認
193524スタッド・フランセ*フランスOFCシャルルヴィル*移籍—形態・移籍金は未確認
193726フランスOFCシャルルヴィル*エクセルシオールAC*移籍—形態・移籍金は未確認
194029エクセルシオールAC*レッドスターFC*移籍—形態・移籍金は未確認
194231レッドスターFC*スタッド・フランセ*移籍—形態・移籍金は未確認
194332スタッド・フランセ*EFパリ・キャピタル*移籍—形態・移籍金は未確認
194433EFパリ・キャピタル*ピュトー*移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

タイトル

クラブ

アトレティコ・M(監督)

セビージャ(監督)

FCバルセロナ(監督)

インテル(監督)

ASローマ(監督)

個人

英語の記録名しか確認できないもの(8件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「エレニオ・エレーラ」(版 109210364)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
  2. Wikipedia(日本語版)「エレニオ・エレーラ」、版 ID 109210364、2026年10月11日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A9
  3. Wikipedia(英語版)、版 ID 1378161271、2026年10月11日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Helenio_Herrera

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